第5話:脅威の来訪


 イタリアンファミリーの中でも特に強い権力を持つ家に生まれたヴィートは、厳しすぎると思うほどの教育環境で育てられた。物心がついた時から様々な言語の習得を義務づけられ、五歳からは大人顔負けの武術・武器訓練を課せられて。毎日、幼子の柔肌を真っ赤に腫上がらせて帰ってくる痛々しい姿は、幼なじみとして顔を合わせていたセイの胸も切なく締め上げた。


 代わってセイは両親がマフィアに属しているとはいえ、形は一般家庭と同じなので最初はスクールに通っていたが、それも九歳までの話だった。


「今は随分大人になったけど、昔のヴィーはすごい泣き虫だったんだよ。家庭教師の先生が怖いってずっと泣いてたし、僕が登校しようとする度に大泣きして駄々を捏ねたし。そのせいってわけじゃないけど、いつの間にか僕もスクールを辞めてヴィーと机を並べるようになったんだ」


 スクールを辞めるきっかけとなったのはヴィートの涙だったが、実は元々、オメガで人よりも体力が劣っていたセイは集団生活に馴染むことができなかった。それに思春期を迎えればヒートによって否が応でも休みがちになってしまうため、ヴィートの隣にいることはセイにとってもプラスだったのだ。


「ヴィーと一緒に学んだ勉強は厳しかったけれど、凄く身になった。そのおかげで今の僕がいるんだから、ヴィーや先代には感謝してもしきれないよ」

「そう……ですか……」


 相槌を返す声に元気がない。どうしたのだろう、さっきまであんなに陽気だったのに。


「どうしたの、エド。体調悪い……?」

「いえ……貴方があまりにもヴィートとのことを楽しそうに話すので……」

「…………へ?」

「……私だって一人の男です。自分の全てを捧げたいと願っている相手が別の男の話をして微笑んでいたら……」


 嫉妬してしまいます、とどんな女性も虜にするであろう美麗な男が、子どもみたいに口を尖らせる。


 その顔を見たセイが、一番に思ったことは可愛い、だった。


「ふっ……ふふっ……」

「何かおかしいことがありましたか?」

「ううん、エドって可愛いんだなぁって思っただけだよ」

「なっ……可愛いって、私にそんなことを言ったのはセイが初めてです。それに愛らしいのはどう見ても貴方だ」

「つい数秒前まで膨れてた人間が言っても、説得力ないよ。ほら、手が止まってる。早く作らないと、日が暮れちゃうよ?」


 見上げて柔らかく笑うと、目前の美丈夫の顔がたちまち真っ赤に染まった。

 そのまま口をパクパクとさせているエドアルドを見て、やはり可愛いのは彼の方だと確信する。


 笑いながら食事の用意を続け、一時間ほどで食卓には二人で作った和風ラザーニャと、エドアルドが作ったカルパッチョ、カプレーゼ、そして焼きたてのパンに白ワインが並んだ。予想以上に豪華となった食事を前にすると二人とも自然と腹が鳴ってしまい、揃って吹き出しながら食卓へとつく。勿論、味も見た目同様に完璧だった。


 今日はともに過ごす相手が予想外の人物になってしまったけれど、やはり食事は一人よりも二人の方がいい。そう思いながらセイは他愛もない、けれど決して二人の関係を大きく変えるような領域には触れない会話で時を過ごした。


 会話の中、エドアルドのファミリーについて少しだけ聞かせて貰ったが、彼らは古い時代から続くイタリアンマフィアとは思えないほど仲がいいらしく、家族のような関係なのだという。聞いていて羨ましく感じていると、それが顔に出ていたのかエドアルドに今度皆を紹介したいと言われた。――――無論、彼のファミリーと顔を合わすこともないだろうからと、曖昧な返事で躱したけれども。


「――――今日は一緒に過ごしてくれてありがとう。父さんたちもきっと喜んでると思う」

「いいえ、お礼を言うのは私の方です。今日は私の我儘を聞いてくれて、ありがとう」


 笑顔と充足に満たされた食事を終え、使った食器を片づけたところで二人は向き合う。名残惜しい、と言ってしまってはいけないかもしれないが、そう思ってしまうくらい今日の時間は楽しくて、別れの言葉を告げるのを躊躇いそうになった。


 でも、そんなことは許されないと自分を律する。

 エドアルドのためにも、けじめをつけなければ。


「エド、本当にありがとう、すごく楽しい時間を過ごせた。けど…………僕らの時間は、これでおしまいだよ」

「セ、イ……?」

「僕らはこの部屋から出た瞬間、仕事のパートナーへと戻る。そして、それぞれのファミリーに帰るんだ」


 セイはヴィートの右腕として、エドアルドはファミリーの長として。


「僕は今から厳しいことを言うかもしれないけど、許して欲しい。――――ドン・マイゼッティー、僕の未来と貴方の未来が交差する日は絶対に来ない。貴方は僕の運命のアルファかもしれないけど、僕は貴方を受け入れるつもりはないよ」

「や……やめて下さい、そんな残酷なことを言うのは……」


 一気に青ざめたエドアルドが、小さく首を振る。あからさまにショックを受けている様子に、セイの胸もナイフで抉られたかのように痛んだ。


「申し訳ないけれど、理解して欲しい。でないと貴方と貴方のファミリーが……」


 理由を言い掛けたところで、セイはハッと目を見開き、外へと続く扉に視線を向けた。

 今、何か音が聞こえた。


「セイ?」

「……ごめん、誰か来たみたいだ。悪いけど少しの間、隣の部屋に隠れてて貰えないかな」


 微かだが、遠くから聞こえたのはエンジン音だった。おそらく、この家に続く小道の入口に車が停車したのだろう。


「ヴィートですか?」

「いや、ヴィーは今日外せない会合で遠方に出ているから、彼じゃない。多分、ファミリーの人間だと思う」


 この辺一帯はスコッツォーリが管理する敷地のため、ヴィートの屋敷同様、一般人や他の組織の人間が気軽に入って来られる場所ではないうえ、周辺にある住居もこの別荘のみ。つまり、他の家と間違えて入ってきたという理由も考えられない。


 加えて、もし来訪者がヴィートだったならば来る前に連絡は入れてくるだろうし、セイを驚かせようという悪戯目的なら、音や気配を一切悟られないまま部屋の中まで入ってくるはず。だから絶対に違う。となると考えられるのはスコッツォーリの人間しかないのだが、組織内の人間にエドアルドがここにいることを知られてしまったら、非常にまずい事態になる。


「もし都合が悪いのであれば、私が勝手にしたことだと話しますが」

「ううん、あまり事を大きくしたくないんだ。来た人間はすぐに帰すから、それまで隣の部屋で待っていて欲しい」

「分かりました」


 小さく頷いたエドアルドが、隣の部屋に入っていく。それを見届けてから、さも来訪者に気づいていないふりをして待っていると、程なくして部屋の玄関口が勢いよく開かれた。


「やっと見つけたぜ。低俗なオメガ野郎が、ちょろちょろと逃げ回りやがって」


 ノックもなしに中に入ってきたのは先日、セイの腕を掴んだことでヴィートの怒りを買った扉番の男だった。

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