第4話:束の間の幸せ


 懐かしい木の香りがするウッドハウスに、バターの甘さが漂う。


「ホワイトソースは目を離すとすぐダマになるから、手を止めないようにね」

「分かりました。……しかし驚きですね。まさかホワイトソースが小麦粉とバターとミルクで作れるなんて」


 セイの指示通り延々と木のヘラを動かし続けているエドアルドが、初めて知ったと感心しながら呟く。


「エドはあまり料理しないの?」

「簡単な酒のつまみ程度なら作れますが、本格的なものは……。でも料理は嫌いじゃありませんよ」

「じゃあそのソース作りが終わったら、エドも何か一つ作ってくれる? 食卓がラザーニャとパンだけじゃ、寂しいから」


 セイもそれほど料理ができる方ではない。と言うよりも、ラザーニャだけしか作れないと言った方が早いかもしれない。この料理はヴィートの父に仕えていた忙しい母が、セイの誕生日だけはと必ず休みを取って作って見せてくれたから覚えている。


 基本はイタリア伝統の作り方だが、ほんの少しだけ母の故郷である日本の味が隠された特別な料理。両親をヴィートの父とともに失ったのは五年前のことだが、その前に作り方を教わっておいてよかったと思っている。


「勿論、いいですよ。ではここにある材料を見て、いくつか作りましょう」


 笑顔で快諾したエドアルドが、再びソース作りに集中する。それから少しして、隣から陽気な鼻歌が聞こえてきた。

 どうやら、かなりご機嫌らしい。会話がなくても感情がこちらにまでダダ漏れになってくる辺り、生粋のイタリア男を体現している。


「エドのお父さんも、エドみたいに明るい人?」


 エドアルドを見ているうちに、ふと気になって聞いてみる。


「おや、私のこと興味を持ってくれるなんて嬉しいですね。ええ、父は陽気で楽しいことが大好きで、母を心の底から愛する温かな男でした」

「へぇ……愛妻家かぁ」

「それもありますが……実は、私の両親も運命の番だったんですよ」

「えっ! 本当にっ?」


 さらりと告げた驚きの事実に、セイは思わずラザーニャに入れるポテトを切っていた手を止め、驚きの声を上げてしまった。だがそれも仕方ない話だ。今の時代、オメガの数が減少していることもあって、アルファとオメガが結ばれることすら珍しいと言われているのに、さらに運命の番なんていったら一生一度存在を確認できるか否かの奇跡である。


 自分たちの事例も十分希有だというのに、こんなに近くにもう一組居たなんて。


「二人は私たちの時のように、一目見てすぐに自覚したそうです。そして恋に落ち、一年後には私が生まれていた」


 当時、エドアルドの母はまだスクールに通っていたそうだが、卒業も待てなかったぐらいの勢いだったそうだ。


「父はずっと母のことをミューズだと称えて、愛し続けました。酷い話、時々息子の私にすら嫉妬するぐらいで、母はいつも呆れた顔をしていましたが、とても幸せそうだった。…………最期、父が事故で他界し、追うようにして母が衰弱死するその瞬間まで」


 エドアルドは悲しそうに笑いながら、出来上がったホワイトソースの火を止める。

 セイは何と言っていいか分からず、言葉を飲み込んでしまった。

 オメガの衰弱死は、自分のバース性が判明した時に聞かされた。オメガは番のアルファを失ったり、理由なく引き離されたりすると過度の精神的ストレスにより体調を崩してしまったり、命を落とすことがあると。おそらくエドアルドの母親は、夫を失ったショックに耐えられなかったのだろう。


「……エドのお母さんは、お父さんのことを本当に愛していたんだね。亡くなってしまったのは悲しいことだけど、僕には二人の繋がりが素晴らしいものに思えるよ」

「ええ……息子の私が言うのも何ですが自慢の両親で、私も将来は二人のような家庭を持つのだと心に誓ったぐらいです」


 両親のような家庭。その言葉に、セイはわずかに肩を揺らした。

 きっとエドアルドが脳裏で描く未来予想図には、セイが映っていることだろう。運命の相手と番い、愛を囁き合いながら暮らす。想像してみただけで心が温かくなって笑みが零れそうになったが。


 ――――そんな未来は絶対に訪れない。


 すぐに現実に引き戻され、瞳を伏せる。


「セイのご両親は、どんな方です?」

「え? 僕の? 僕の両親は、父さんが若い頃からヴィートのお父さん……先代と友人だったそうで、ずっとファミリーとして支えていたんだって。母さんは日本人で……」

「ジャッポネーゼっ?」

「へ?」


 話の途中、エドアルドが急に声を上げたものだから、セイは目を丸めて声の方を見つめた。


「どうしたの?」

「あ、いえ、私はジャッポーネが昔から大好きなんです。あの国は四季の移ろいが美しく、豊かな情緒があるでしょう? こんな立場ですから難しいかもしれませんが、いつかは行ってみたいと願う国なんです……」


 自分の好きな国とセイの母の国が同じことが、嬉しいのだそうだ。

 そう言われて、セイの胸にもエドアルドの笑顔と同じ温かさが生まれた。

 母の国には数えるほどしか行ったことがないが、雪化粧の富士山や、一面を薄桃色に染める満開の桜などの心洗われる景色を初めて見た時は、感動のあまりに涙を零してしまった。両親が亡くなってからはエドアルド同様、マフィアの幹部という立場もあって足を伸ばす機会を作れずにいるが、母の国のことは心から愛しているし、日本人の血が混ざっていることも誇りに思っている。


 だからだろうか、エドアルドが好きだと言ってくれていたことに、顔の緩みが止まらなかった。まるで二人だけの特別な共通点を見つけたみたいだ。


「あまりに好きすぎて、学生時代はずっとカラテのサークルに所属していたぐらいです」

「エドはスクールに通っていたのっ?」


 何気なく告げられた話にセイは喫驚し、思わず大きな声を出してしまった。

 イタリアンマフィアの全てが該当するというわけではないが、スコッツォーリやマイゼッティーのように世襲制をとっているファミリーの嫡子は、誘拐されたり襲われたりする危険があるため、学校には通わず家庭教師の下で学ぶことが多い。ヴィートも生まれてすぐに専属の教師が傍に置かれたぐらいで、一度も学び舎に足を踏み入れることはなかった。


 しかしエドアルドの話によると、彼は大学を卒業するまで一般人に混ざって勉学に励んでいたらしい。


「私の家は穏健派で通っていましたし、父も権力や縄張りを主張しない性格だったので、狙われることがあまりなかったんです。ですから、ごく普通の学生として通っていましたよ」

「そうだったんだ……珍しいけど、スクールは通えるなら通ったほうがいいもんね」

「ええ、ありがたいことです。……おっと、話が横道に逸れてしまいましたね。中断させて申し訳ありません。どうぞ、続きを」


 促され、ああそうだったと思い出したセイが、話を再開させる。


「えっと、母さんの話からだよね。……確か母さんは、大好きなイタリアで働きたくて、日本から飛び出して来たって言ってたっけ。二人の出会いは…………父さん曰く、『道で出会った途端に一目惚れした』って言ってたけど、多分、ナンパじゃないかな? 母さん、『声をかけられた直後に、プロポーズされてビックリした』って言ってたから」


 情熱的なイタリア人は、少しでも気になった人間を目にすると、あたかも運命と出会ったかのように愛を体現して見せる。おそらく当時の父は、道で見かけた母に目を奪われ恋に落ち、必死に口説き落としたのだろう。母から昔聞いた話を思い出し、セイは小さく微笑んだ。


「ふふっ、イタリア男らしい行動ですね」

「だよね。で、そのまま結婚して母さんもスコッツォーリに入った」

「そのまま? 日本から働きに来てマフィアに入るとは、セイのマンマは強い女性ですね」

「それだけど、実はね、母さん最初はマフィアだって知らなかったみたいだよ。父さんから紹介されて入ったのがスコッツォーリの経営する会社で、気づいたらファミリーになってたって。それを知らされた時はさすがに怒ったらしいけど、何とか仲直りして……僕が生まれた」

「それでも許してしまうところが素敵だ」

「まぁ、父さんより肝が据わってた人だからね。だからベータ同士からオメガの僕が生まれても、母さんは嫌がらず普通の子どもと同じように愛してくれたよ」


 そう、セイの両親は二人ともベータ性だった。故に、生まれてきたセイもベータだと思っていたが、調べてみればオメガで。

きっと初めて三種性の性別が分かった時、さぞ落胆したことだろう。

 けれど二人は一度も、セイを攻めなかった。バース性なんて関係ないと笑い飛ばしたぐらいだ。


「優しい両親で、僕は幸せだった」

「セイ、それは違います」

「え?」

「オメガだから嫌がられるなんてことは、絶対にない。それに貴方はオメガである前に一人の人間ですから、愛される資格は十分にある。それをセイの両親が当たり前に知っていただけですよ」

「エド……」

「世の中にまだ、『オメガは劣等種』だなんて、一昔前の悪しき思考が残ってることは確かです。でも私はそういった考えが嫌いだ。オメガは希有な存在であって奇跡と呼ぶべきだと思っています。だから……貴方もどうか自分を卑下しないで下さい」


 真剣な面持ちでエドアルドは語る。

 これまでオメガが希有だなんて言われたことがなかったセイに、自分が特別だという感覚はなかったが、時間が経つうちにじわりじわりとエドアルドの言葉が胸に染みてきて、身体中が嬉しさで染まった。


 スコッツォーリには、まだセイを見下す者が大勢いる。普段はヴィートが守ってくれているが、裏では何度もアルファの慰み者だと言われてきた。そんな環境にいるせいか、いつの間にか自分自身に劣等種という呪いをかけていたようだ。


「ありがとう、エドは優しいね。こうやってエドやヴィーみたいにオメガのことを考えてくれる人がいてくれるだけでも、何だか前向きになれそうだよ」

「ヴィー……ですか」

「ん?」

「あ、いえ……ご両親の話にもありましたが、先代からの付き合いということはセイとヴィートは生まれた時から?」

「うん、一緒だよ。生まれた年も同じだから、ずっと二人で育ってきた」


 問われたことに答えながら、セイは二人の二十三年を振り返る。



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