第64話 不穏

 俺とリスティは都市マリーバの視察を終え、レミルバのガスティーク邸に帰った。


「ただいま、ブレスタ。マリエル、ありがとう」


「お帰りなさいませ。リスティ様、フォルカ様。ブレスタさまは特に問題なく、元気です。今は眠っていらっしゃいます」


 リスティはべビーベッドて眠る我が子の頭を軽く撫でる。


「ブレスタ、お母さん帰ったよ」

「ぶーちゃん、お父さんも帰りまちたよ」


 一泊二日のマリーバの視察の間、ブレスタの面倒はマリエルさん達が見ていてくれた。


「ライガちゃんは……この子も寝てるね」


 リスティはブレスタとは別のべビーベッドに眠る新生児を眺めて言う。彼はライガくん。マリエルさんが産んだ男の子だ。彼女は目論見通り、ブレスタの乳母ポジションに収まっていた。


 今は静かだが、赤ん坊が2人居るとギャン泣き合唱が頻繁に発生し、かなり賑やかだ。

 もうすぐリタの子供も増えるからガスティーク邸北館は更に賑やかになるだろう。 


 とりあえず、座って一息。ハーブティーを飲む。


 育児が始まって思ったのは『確かに、これ一人でやったらキツイな』というのと『当然ながら、人手がいっぱいあれば楽』ということ。


 育児経験のある家臣と使用人が諸々兼務とはいえ6人居るし、セレーナとラーシャも面倒を見てくれている。人員は十分だ。

 ただ、リスティはなるべく自分でおっぱいをあげたいと、夜も授乳を頑張っている。なので少し眠そうだ。粉ミルクと哺乳瓶があれば俺も参戦できるのだが。


「リスティ様、マリーバはどうでした?」


「凄かったよ。水車の動力で糸が作られて、布織機もガチャンガチャンって」


 今回のマリーバ視察の主目的はリスティに前々から見たがっていた『水車式の紡績機』と『飛び杼を使った布織機』を見せることだった。


 リスティがマリエルさんにマリーバの様子を話し、暫し穏やかなお喋りタイム。


 雑談を楽しみながらハーブティーを飲み終わったところで、ドアがノックされた。


 「どうぞ」と返すと、家令のミュズリさんが入ってくる。


「帰ったばかりのところに申し訳ございません。旦那様が執務室にフォルカ様とリスティ様をお呼びです」


 父さんの呼び出しか。なんかミュズリさんの表情がやや固い。少し重い話かもしれない。


「分かった。リスティ、行こう」


「うん。マリエル、ブレスタをお願いね」


 俺とリスティは部屋を出て廊下を進み、父の執務室に移動する。


 執務室の中にはセレーナとラーシャもいた。


「フォルカ、リスティさん、呼び立ててすまないな」


「いえ。それで、何かありましたか?」


「うむ。楽しくない話だ。マンジュラ公爵から使者が来た。『グリフィス王国に不穏な兆候あり、念の為備えられたい』だそうだ」


「……具体的にどんな兆候かの情報は?」


「グリフィス王都に保管されている武器の整備点検が行われている可能性が高いという話だ。他にも動きがあるが、情報を精査中なのでまた使者を出すと言っていた」


「なるほど……マンジュラ公が完全な嘘を付く可能性は低いですね。流石に信用に関わる。ただ些細なことを大袈裟に言っている可能性は十分に考えられるのでは? 前回の戦争から9年、時間が経ったから武器の状態を点検しているだけかもしれません」


「かもしれない。だが、その後すぐにロフリク王家からも書状が来た」


「王家はなんと?」


「グリフィス王国にて小麦に不自然な値上がりがあったとのことだ」


 大麦ならまだしも、小麦か。ロフリクにしろ、グリフィスにしろ、小麦の主な用途はパンだ。行軍の際の保存食になる二度焼きパン軍用ビスケットの材料も小麦である。


義父様おとうさま。ロフリク王家ではグリフィスの民間の商会などに間者スパイを送り込んでいます。そこからの情報でしょう」


 リスティが補足する。


「そうか。グリフィス王宮内に間者スパイは?」


「入り込めていない筈です。なのでロフリク王家が直接入手できるのは周辺情報だけになります。マンジュラ派はもっと食い込んでいるかもしれませんが」


 つまり、グリフィス王家の意思決定に関してはロフリク王家では情報を取れないと。


「現時点では何とも言えませんが、戦争に備える必要はありますね」


「ああ、私もそう判断する。セレーナさん、ラーシャさん、申し訳ないが……」


「はい。子作りは一時中断ですね。幸か不幸か、私もラーシャも妊娠の兆候はありません」


 大魔法使いが妊娠するというのは、戦艦が10ヶ月ドック入りするようなものだ。開戦の可能性があるときに子作りに勤しむ訳にはいかない。


「すまないな」


「いえ、当然のことです。父もそう言うはずです」


「父さん、それ以外はどうしますか?」


「あまり大きな動きは見せたくない。マンジュラ公爵はマンジュラ派としての意図を持って情報を流しているだろう。我々を動かしたい理由があるのかもしれない」


「となると……父さんが弾の製作を頑張るぐらい?」


「そうだな。少しお前に仕事を回しても大丈夫か?」


「はい。セレーナとラーシャも手伝ってくれていますから」


 少しばかり忙しくなりそうだが、頑張ろう。



◇◇ ◆ ◇◇



 マンジュラ公爵、テイモン・ストラ・マンジュラは私室で手紙の確認など細かな仕事を進めていた。幾つかの手紙に返事を書き、一息ついたところで、ドアがノックされた。


「入れ」


 ドアが開き家令が入ってくる。


「失礼いたします。ロフリク王家から書状が届いております。まだ未開封です」


 マンジュラ公は家令から手紙を受け取ると、ナイフで封を切り、中身を読む。


「グリフィス王国で小麦の不自然な値上がりあり、だそうだ」


 マンジュラ公の言葉に家令はホッとしたような顔をする。


「旦那様、上手く行きましたな」


「ああ。良かった。すまない、酒を出してくれるか」


 家令は「御意」と手早く棚から蒸留酒ウィスキーとガラス製のグラスを取り出す。水属性魔法とその派生『冷』を併用して氷を作ると、氷をグラスに入れ酒を注ぐ。


 家令が「どうぞ」とグラスをテーブルに置く。氷がグラスの中で、カランと軽い音を立てた。


 マンジュラ公爵はグラスを傾け、蒸留酒ウィスキーを飲む。酒精が喉を炙る。

 背もたれに体を預け力を抜いて、長く深く息を吐く。木の香りが鼻へ抜けた。


「美味い。彼らはよくやってくれた。まだ先は長いが……それでも一つ扉が開いた。手筈通り進めてくれ」


「はい。必ず」


 マンジュラ家の家令は暗く燃えるような瞳で、深く頭を下げた。

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