第62話 訓練視察


 ブレスタうちの赤ちゃんが小さな口で一生懸命お母さんのおっぱいを吸っている、可愛い。


「ぶーちゃん、美味しいでちゅか?」


 俺は緩んだ頬で、横から赤ちゃんに話しかける。貴族の威厳とか、その手のものは知らない。


「いっぱい飲んでるから、きっと美味しいんだよ」


 リスティが慈愛に満ちた笑顔で言う。尊い。


「でも、母乳がちゃんと出て良かった。自分で賄えそう」


 リスティは胸が小さいから母乳が出ないかもと心配していた。杞憂に終わってホッとしているようだ。

 胸は小さくても授乳に問題はないと地球の知識では知っていたが、この世界も同じという保証はない。なので俺も少し心配だったが、リスティの母乳はバッチリ出ている。ちなみに母乳の溜まる分、少し胸サイズも大きくなっていた。


 暫く眺めていると、ブレスタはお腹がいっぱいになったようで、口を離す。


「あ、俺ゲップさせる」


 どう足掻いても母乳の出ない俺は、できることを逃すまいと手を伸ばす。リスティからブレスタを受け取り、背骨に手を沿わせて縦に抱き、背中をトントン叩く。10回ぐらい叩いたところで「ゲッ」と小さな音がした。うちの子、スムーズにゲップ出して偉い。これは天才かもしれない。


 さて、ずっと赤ちゃんといたいが、そうもいかない。


「じゃあリスティ、行ってくるね」


 今日はガスティーク家の直営農地に、視察のために出掛ける。ギリギリ日帰りの出張だ。


 文官10人に護衛5人と共に馬に乗り、レミルバを出る。道を淡々と進み、2時間半程かけて目的地に到着する。


 120年程前にガスティーク家が開墾事業をした地域で、中心に町がありその外側に畑が広がっている。近くにある12の集落もこの町の一部として管理されており、人口は全体で2000人程だ。


「フォルカ様、よくぞお越しくださいました」


 町長として町の運営を任されている家臣が出迎えてくれる。町長は50代の男性、中肉中背で髪はない。


「ああ、出迎えご苦労。予定通り進めさせて貰うよ」


 町長は「はっ! 承知しました」と頭を下げた。


 今日は監査を兼ねた視察だ。文官達が帳簿類や倉庫をチェックし、俺は護衛の魔法使い達と共に訓練と教育の様子を視察する。


「どちらを先に見られますか?」


「訓練の方から頼む」


「はい。ではご案内します」


 町長も馬に乗り、町の北に向かう。



 畑が途切れた先の平地に、千人程からなる軍団がいた。皆、槍を持ち、隊列を組んでいる。

 少し離れたところには大量のテントが並んでいた。


 農閑期の冬に行われる戦闘訓練だ。


 彼らはガスティーク領の領民の中から志願で集められており、この町だけでなく、近隣各地から集合している。



 訓練内容は基本的に、隊列を組んで指示に合わせて移動するというものだ。今は真っすぐ前進している。

 ただ進むだけではあるが、地面には岩が転がっていたり、小さな起伏があったりする。槍を持って隊列を乱さず、となるとそれなりに難しい。訓練中の隊列は綺麗に進めていた。


 暫くすると、ラッパが鳴り動きが変わる。斜め前への移動だ。これも隊列を維持したまま動けている。主に農民からなる兵としては、悪くない練度だと思う。


「頑張っているじゃないか」


 俺がそう言うと護衛達も「斜行が綺麗なのはよいですね」と褒める。


「ええ。不真面目な奴は翌年からは外されますから、皆真剣にやっています」


 俺は「そうだな」と頷く。


 この訓練、受けると悪くない給金が貰える。戦争が起きたときには真っ先に徴兵されることになるので、危険手当的な意味も兼ねて設定した。移動も含めて1ヶ月程の拘束で、熟練大工の2ヶ月分ぐらいの給料だ。かなり人気なので、不真面目なら外して別の志願者に入れ替えることができる。


「初回のときは、隊列もぐちゃぐちゃでしたがね」


 町長は懐かしそうに目を細める。

 確かに最初は並ぶのにすら手間取り「あっ、日本の小学生って凄かったんだな」と思った。だが年1回の訓練もこれで7回目、今ではちゃんと形になった。


 止まって槍を構えたり、色々やって、昼食の時間になる。


 訓練期間中の食事は支給される。この訓練が人気な理由の一つだ。まぁ、材料と薪を渡されて自分達で作るのだが。

 毎日三食麦粥で、大麦、ひよこ豆、ラードを基本に、日によって野菜や塩漬け肉、卵などが追加で入れられる。何度か試食したが、不味くはない。


 当番の者が麦粥をよそっていく。食事の配膳の手際もよい。


「テント張りはどうだった?」


 俺は町長に問う。彼らはテントに泊まっているが、それも当然自分達で設営している。


「手際よく設置していました。行軍中も良い動きができるかと」


「いいな。やはり短期間の訓練でもあるとないでは別世界だ」


 軍隊にとって行軍の速度は非常に重要だ。

 テントの設営、食事の準備が早ければ、より遠くへ移動することも、より長く休息時間を取ることもできる。


「はい。集団行動に慣れるという意味では大きな成果が出ております」


「結果が出ていて何より。よくやってくれている。父にもきちんと報告しておくよ」


 そう言うと町長は嬉しそうに「ありがとうございます」と頭を下げる。ツルツルの頭部が冬の陽射しを反射させた。

 彼は『訓練に適した平地に近い』という理由でなぜか町長の仕事に加えて訓練関係の仕事までやらされている。ちゃんと評価されるべきであろう。


「お褒めの言葉、訓練兵達にも励みになりましょう。フォルカ様からの言葉、彼らにも伝えてよろしいでしょうか」


「もちろん。褒めてやってくれ」


 ガスティーク領では、ここ以外にも2カ所で同規模の訓練が行なわれている。合計すれば約三千人、もしものときは相応の戦力になるだろう。


「では町に戻ろうか」


 俺達は来た道を戻り町へ。文官達は監査を終えていた。特に問題なしだそうだ。


 パンとシチューの昼食を食べて、今度は文官達も連れて教会に向かう。木造平屋の簡素な建物だが、周辺は綺麗に掃除されており、祈りの場として機能していることが伺える。


 静かにドアを開け、中に入る。7歳ぐらいの子供達が50人程、机に向かっていた。


 ここでは子供に基礎的な算数と国語を教えていた。ただ、本格的な初等教育を行っている訳ではない。授業の期間は2ヶ月しかないので無理な話である。

 本当の理由は子供達の選別だ。見込みのありそうな子供はレミルバに連れていき、追加で教育を施す。子供は労働力でもあるので、このとき親には補償として金銭も渡している。


 そしてレミルバで教育して、いよいよ優秀で本人が希望すれば、家臣としてラボ等に引き上げるのだ。コストは嵩むが、天才を一人引ければ全て返ってくるだろう。


 残念ながらガスティーク領全域で実施はできておらず、この町やコライビのような直営農場だけの施策だ。他の地域でも優秀そうな子供がいれば推薦するよう家臣達に通達はしているが、お試し教育まではできていない。


 子供達の様子を眺める。

 座っているのが辛くて仕方ないようで、体を揺すっている子もいれば、楽しそうに勉強している子もいる。


 うちの子は勉強できるだろうか? 受験とかはないけど、できないと領地経営で困る。今から心配だ。


「今年は良さげな子供いる?」


 俺は小声で町長に聞く。


「最前列右端の女の子と2列目右から4人目の男の子が見込みありと報告を受けております」


 俺は静かに部屋の右前に移動し、その2人を確認する。女の子の方はニコニコしながら楽しそうに勉強をしている感じだ。微笑ましい。男の子の方は少し退屈そうにしている、恐らく内容が簡単過ぎるのだろう。レミルバに来るのが楽しみだ。


「意図通り運営されているようで、良かった。今日はこれで終了にする」


 さて、急いで帰って、ブレスタを愛でねば。



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