第59話 出産

 セレーナとラーシャはガスティーク邸での暮らしにも慣れてきて、冬もそろそろ終わりの頃になった。


 リスティの赤ちゃんはお腹を中からガシガシ蹴っていて、とても元気だ。3日後には帝王切開で取り出す予定になっている。

 切開と言っても、何か問題がある訳ではない。この世界の高位貴族は基本的に帝王切開で生むのだ。実際、俺も妹二人も帝王切開である。


 理由は至極単純で、聖属性魔法を前提とした場合、帝王切開の方が安全だからだ。


 浄化で感染症リスクはほぼないし、切った部分は治癒ですぐに塞げて、傷跡もほぼ残らない。現代の地球のような良い麻酔はないので楽とは言い難いが。


 育児に向けての準備の方は万端。服は綿の肌触りの良いものが出来上がっているし、育児の経験が豊富な家臣・使用人も揃えてある。

 なので、そわそわするし、不安な気持ちもゼロではないが、静かな日々が続いていた。


 ……ついさっきまでは。


「先王陛下、ステイン殿下、レミルバへようこそお越しくださいました」


 父が深く頭を下げる。流石の父も頬が僅かに引き攣っている。


「いや、突然すまんなガスティーク侯爵。だが、先触れを出すと歓待の準備とかするだろう? 負担はかけたくないからな」


 俺が家臣の魔法使い達と庭で魔法戦闘訓練をしていたら、突然、先代国王ダミアン・バン・ロフリクが現れた。曾孫が生まれるから来たらしい。そして、その後ろではステイン王子が申し訳なさそうに、苦笑いをしていた。


 先日、医師の診断で帝王切開の予定日が決まったとき、その情報は王家に手紙で送ってはあった。もしかしたら、フェリシー王女が突撃して来るかもと思ってはいたが、御先代とは。護衛も3騎しかいないし。


「すみません、ガスティーク侯爵。国王先王祖父が二人で『よし! リスティの出産だ。レミルバに行くぞ!』と言い出しまして。シャルロッテ王妃が止めたのですか……」


 夫のことは「政務があるでしょう」と何とか止めた王妃だが、「私は引退済みだ」と主張する先王は止めきれず、仕方なくお目付役にステイン王子を付けたらしい。


 ケフィン王子は忙しいだろうし、フェリシー王女では火に油なので、お目付役にステイン王子という人選は分かる。

 しかし、その『油』は大人しくしているだろうか?


「フェリシー王女は大丈夫でしたか?」


「自分も行くと叫びましたよ。ケフィン兄様がなんとか止めました。ギリギリでしたね。マルスフィーに乗る前に確保出来なければここに居たでしょう」


 相変わらずロフリク王家は自由だな。


 まぁ、ダミアン陛下もレオガルザ陛下も『戦争が嫌いで、戦争に強い』という素晴らしい気質をお持ちなので、少し自由過ぎても皆付いていくのだが。


「とりあえず、リスティのところにご案内いたします」


 祖父と弟の顔を見たリスティは、苦言を呈しつつも嬉しそうだった。


◇◇ ◆ ◇◇


 リスティがソファーに座り、俺とダミアン先王、ステイン王子の3人がテーブルにつく。


 俺達の前に置かれたボウルには薄茶色の澄んだスープと薄黄色の麺、煮豚に、茹でほうれん草が入っていた。そう、醤油ラーメンだ。


 唐突に現れたダミアン先王は「食事のことも気にするな。ここに来る途中にメシが美味そうな酒場があったぞ。行くぞステイン」とか言い出した。

 父が ”勘弁してくれ” と頬を引き攣らせ、リスティが「今日は試作品の料理を夕飯にする予定だから一緒に食べよう」と引き留めた。


 結果、今に至る。


 フォークでラーメンを掬い、口に運ぶ。

 うん。スープは上々、麺は日本のそれには劣るが及第点といったところか。


「ほう! これは美味いな!」


 ダミアン先王が満足気に言う。お気に召したようで良かった。


「確かに、美味しいですね。このスープ」


 ステイン殿下からもスープにお褒めの言葉。


「うん。美味しいね。海の幸をたっぷり使っているのがよく分かる」


 リスティも満足気だ。

 ただこのスープ、魚介をふんだんに使っているため非常に高い。屋台村の夢を実現するためにはこのままでは駄目だ。次は豚骨でも試させよう。


「そう言えば、フォルカ君」


「はい。先王陛下」


「先程の庭での戦闘訓練、素晴らしい動きだった。更に腕を上げたな。もう儂でも勝てん」


「光栄なお言葉ですが、陛下にはまだまだ及ばないかと」


 いやいや、会戦で自分を囮にするために敵中央に突撃して生還する人には勝てな……くもないか一対一ならば。


「謙遜するでない。この歳になると若者に抜かれるのは心地よい。それが孫娘の夫となれば、尚の事よ」


 ダミアン先王の声は本当に嬉しそうだ。


「でも、リスティには勝てませんよ」


「うむ。儂もだ」


 先王陛下はガハハと笑う。それを見てリスティも目を細めていた。


「あ、赤ちゃんがお腹蹴り始めた」


「ほう。これは『僕もひい爺ちゃんなんてすぐ追い抜くぞ』と意気込んでいるのかもしれん。楽しみだ! 長生きせねばな!」


「そんな武闘派じゃないかもよ? ステインみたいに音楽好きとか」


「ふふ、もしそうなったら、母さんと二人で教えますよ」


 どうだろう? 俺とリスティの子供だと音楽とかよりラボでクーデルと一緒に小火ボヤとか起こしてそうだけど。

 あと、この子は父さんの孫でもある訳だ。


「芸術系なら宝飾品作りとか、そっちかもしれませんよ」


「確かに! ガスティーク侯爵の血な訳だしな。土属性適性があると良いが」


 そんな風に和やかに会話は弾み、ラーメンは少し伸びた。




◇◇ ◆ ◇◇




 先王の来訪で少しバタバタはしたものの大きな問題はなく、リスティ出産の当日を迎えた。


「緊張するね。義母様、フォルカ、皆さん……よろしくお願いします」


 険しい面持ちのリスティを先頭に、出産を行う部屋に向かう。


 本人の他には女性医師、補助の産婆、母、家臣のベニット、そして俺の5人が、部屋に入る。

 ベニットは聖属性魔法使いで、4児の母でもあるので頼もしい。


 部屋に入り、リスティは拘束ベルト付のベッドに座る。


「リスティ様、痛み止めの追加分を」


 医師がリスティにコップを渡す。鎮痛効果のある薬草を煮詰めたものだ。リスティは薬を飲み干す。


「暫く待機いたします」


 静かに、薬の効きが深まるのを待つ。


 部屋は暖炉で暖められており、温度管理も大丈夫である。産湯もちゃんと用意済み。


「そろそろですかね。まずは消毒からお願いします」


 母が頷き、即死魔法を部屋全体に発動した。これで菌に虫、生物か微妙なウイルスまで、死滅する。


 母はそのまま即死魔法を維持する。

 体内魔力の阻害効果により、即死魔法は人体内の菌やウイルスまでは殺しきれない。だが発動し続ければ例えば咳をしても、吐き出された瞬間に菌・ウイルスは死滅する。正直過剰な対応ではあるが、今回はやれることは全部やる方針である。


「産湯の温度調整をお願いします」


 俺は「分かった」と火属性で産湯用の湯を少し加熱。産婆が温度を確認しOKが出る。


「では手順の確認をいたします。ベルトを締めた後に切開、子供を取り出し、胎盤を取り、その後はすぐに治癒魔法で切口を塞ぎます。今回は念を入れてフォルカ様が止血に入られます」


 治癒はベニットに任せて、俺は水魔法で止血を担当する。懐から生理食塩水の入った小さな瓶を取り出した。これも滅菌済みだ。


「では、リスティ様。横に」


 リスティが無言で頷き、横になった。動いてしまわないように、ベルトで太腿と胴体を拘束する。

 痛み止めを飲んだと言っても、その効果は地球の現代医療の麻酔には遠く及ばない。心配だが、できることをやるしかない。


 医師が小刀を手に構える。


「フォルカ様、止血の準備はよいですか?」


「ああ、行ける」


 俺は生理食塩水の瓶を開ける。液体操作で生理食塩水を操り、切り口に纏わせて『魔法で固定』し血をせき止めるのだ。


「リスティ様」


 リスティは「うん」と言って、折った布を口に咥えて、噛む。


「では、皮膚から」


 刃が引かれた。俺は切断面だけを凝視し、魔法制御に全力を尽くす。薄い生理食塩水の膜で切断面を覆う。


 刃が何度か引かれ、赤ん坊らしきものが取り上げられる。産声がした。


「胎盤を取ります。終わったら治癒を」


 医師が処置を続ける。


「完了です。治癒を」


 ベニットが治癒魔法を発動。それに合わせて俺は生理食塩水を回収した。


 予定通りに措置が終わる。


「リスティ! 大丈夫か」


「……大丈夫。今、念の為に自己治癒を」


 魔法が構築される。この国最高の聖属性魔法使いによる強烈な治癒魔法が、駄目押しとばかりに発動する。


 リスティが大きく息を吐いた。拘束ベルトが外される。


 俺も小さく息を吐く。見る余裕がなかったが、赤ん坊は産婆が産湯に入れている。


「男の子ですよ。元気です」


 産婆が柔らかな声で言った。見ると確かに小さなチンチンが付いている。

 これが、俺とリスティの子供か。ギャーギャー元気に泣きながら、弱々しく手足を動かしていた。


 白い布で包まれ、赤子がリスティに手渡される。お腹の傷は既に塞がっている。残っているのは極細のペンで引いたような白い跡だけだ。


「私の赤ちゃん……」


 リスティが目を潤ませる。


 俺は自分の子供を眺める。よく新生児は猿みたいと言うが、確かに猿みたいだ。


 細い手を動かしている。


 ……可愛いな、これ。


 見た瞬間はそうでもなかったが、少し遅れて、じわじわと愛しさが込み上げてくる。


 マッチみたいに細い指が動いている。可愛い。


「外見的に分かる問題はなさそうです。フォルカ様、皆様にお伝えください」


「分かった!」


 俺は他の家族が待つ隣室に向かう。ノックもせずにドアをバーンと開く。

 父、妹達、祖母、ダミアン先王にステイン王子、セレーナ、ラーシャ、リタとマリエル、皆一斉に俺の方を見た。


「無事に生まれたよ! 男の子! 外から見て分かる問題はなし!」


 皆が歓声を上げた。特にダミアン先王とマリエルさんは感極まった様子でボロボロ涙を流していた。


 そうして、俺はお父さんになった。



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