第51話 肉フェス

 レディング伯爵邸母の実家で1泊し、俺達の車列はコライビを目指した。前回リスティと移動したときと同じルートだ。


 例年、夏の王都滞在から帰るときに父はコライビを視察していた。


 俺達は景色を眺めたり、おやつを食べたり、その他諸々時間を潰した。

 やがて馬車は無事にコライビに着く。もちろん今度は侵入者騒動なんて起きていない。


 橋を越えてコライビに入り、村長としてコライビを管理している家臣に出迎えられる。

 そのまま『綿畑』の様子を見て説明を受ける。『綿』の栽培は順調なそうだ。

 その後は村長らが執務に使う屋敷に入る。


 さて、コライビの人々にとって父の視察は重要なイベントだ。

 領主が『綿の木』を眺めることそのものはどうでもいい。視察の後、ガスティーク家から農民への労いの意味で、食べ物と酒が振る舞われるのだ。


 振る舞われる食材は肉が中心である。外部から生きたまま持ち込まれた家畜をコライビの中で屠畜し、広場で煮たり焼いたりして食べるのだ。1日では食べきれない量が準備されるので、この日は肉食べ放題。麦酒ビール葡萄酒ワインもたっぷりある。俺は心の中で『コライビ肉フェス』と呼んでいる。


 この催しをコライビの農民達は相当楽しみにしているようで、近づくとテンションが上がっていくそうだ。


 広場では『肉フェス』の準備が進んでいる。解体された豚、鶏、羊の肉がえっさほいさと運ばれ、仮設のかまども準備される。


 日本の政治家なら確実に自分も軍手をして肉を焼くところだろうが、もちろん俺達はそんなことはしない。会場の広場には入らず、屋敷の中でのんびりする。

 怠け者のようだが、コライビの農民達が飲めや歌えや楽しむ場なのだ。偉い人が居たら気を使って酒が不味くなる。


 なので俺達は屋敷の中で肉を食う。広い食堂とかはないので、家族で集まったりもしない。両親と妹達は別室だ。

 なお、同行している家臣一同は今夜はコライビ警備兵達の兵舎に押し込まれている。


 部屋の中には俺とリスティ、クーデルがいた。テーブルの上には鉄板、肉と野菜もある。火種や燃料はないが、それは俺が魔法で焼くから不要だ。

 そこに、リタが戻ってきた。彼女にはコライビに移住してきた山賊被害者2人の様子を見に行って貰っていたのだ。


「リタおかえり。どうだった?」


「はい。健康そうでした。心の中は分かりませんが、普通を取り繕えてはいるようです」


「そうか、悪くはないか」


 よかった、とは言えないが、問題はなさそうだ。

 コライビの農民は全員雇われで、ガスティーク家から給金が出る。生活に困ることは基本的にない。


「貴族として、こんな筋違いな手出しはすべきじゃないと、分かってはいるのだけどね」


 他領の領民がたまたま不幸になっただけ。本来は俺が手を出すことでも、気にすることでもない。


 俺が少し自虐的に言うと、リスティは柔らかく微笑んだ。


「別に良いと思う。確かに貴族としては好ましくないかもしれないけど、私はちょっと感情に流されちゃう優しいフォルカが好きだよ」


 リスティ……なんて素敵な妻だろう。そう思っているとクーデルが横でうんうんと頷く。


「私も小火ぼやを出しても笑って許してくれるフォルカ様のままでいて欲しいです」


 話が違うと思う。その辺は反省して改めるべきかもしれない。


「クー、火の元には注意しようね。さて、リタさんも戻ったし、食べようか」


「おう、熱源は任せろ」


 俺は火属性魔法を構築し、鉄板を熱した。油をサッと引く。


 焼肉奉行は俺が務める。まずは豚肉。トングに似た器具で鉄板に乗せると、ジューっと良い音がして、肉の焼ける匂いが広がる。

 味は醤油ベースのタレ。塩とレモンも用意してある。完全に焼肉だ。


「焼けたぞ、食べよう」


 表面に僅かに焦げ目の付いた肉に、醤油タレを付けて口に運ぶ。旨い。白米がないのが悔やまれる。


「このショウユのソース、美味しい」


 リスティが幸せそうな声を出す。


「美味しいです。でも醤油か……懐かしいですね。思えばフォルカ様と私とリタで醤油を作ろうとしたのがラボの始まりでした」


 クーデルが遠い目をする。確かに懐かしい。リタも頷く。


「そうでしたね。東方から流れてきた流人から麹と製法を手に入れたフォルカ様が嬉しそうに作るぞって。温度管理に必要だって言って温度計も開発して……グリフィス戦争以降は国力増強、戦力増強に繋がるものが優先になって、醤油は事業化できませんでしたが」


「……ねぇ、醤油を自家用ぐらいしか生産してないのってガスティーク家に余力がないからなんだよね」


「うん。家臣を増やし過ぎる訳にもいかないし」


「なら、他の家に頼んじゃえば? 王都で照り焼きが人気になった今なら、手が挙がるんじゃないかな」


 確かに良いかも。醤油単体は別として照り焼きソースは売れるだろう。


「良いね。今度父さんに提案してみよう」


 折角の技術だ。活かしたい。


 さて、それはそれとして、次はラム肉。焼肉奉行は忙しいのだ。

 程よく焼けたら、いただく。羊肉は臭みもあるが、それが良い。


 部屋の窓からは広場が見える。あちらでも『肉フェス』が始まったようだ。楽しそうな喧騒が聞こえてくる。心地よいBGMだ。


 うん。肉が美味い。



◇◇ ◆ ◇◇



 マンジュラ公爵、テイモン・ストラ・マンジュラは自領の本邸に帰還した。


 屋敷の奥にある自室に入ると、ソファーに腰を下ろし、大きく息をつく。


「旦那様、お疲れのご様子……移動にはもう少し余裕を持たれては?」


 そう主を心配するのはマンジュラ家の家令だ。彼はマンジュラ公が王都にいる間、領地経営全般を回していた。


「必要ない。確かに疲労はあるが、その程度で体調を崩す程に歳を取ってはいない」


「はっ。失礼いたしました」


「構わん。気遣い嬉しく思う。お前もご苦労だったな。それで、はどうだ?」


「把握できている範囲で、問題は起きておりません」


「そうか。何よりだ」


 家令の何とも煮え切らない答えに、しかしマンジュラ公爵は満足する。

 今マンジュラ公爵とその派閥が進めているのは、雲を掴むような工作。言葉に誠実たろうとすれば「順調です」などという答えは出る筈がない。


「先日送った暗号化の手紙も届いているか?」


「はい。届いております。既に指示通りに動いており、順調です」


 泳がせているグリフィスの間者スパイに掴ませたい情報を無事に掴ませたということだ。


「彼女は優秀だな。素晴らしい」


 グリフィス王国とて愚かではない。間者スパイが入手した情報の真偽は可能な限り検証をしようとしているフシがある。だが、マンジュラ公爵は掴ませる情報を峻別はしているが、偽情報は流していない。いくら検証したところで信憑性が増すだけだ。


 偽情報を与えるのは決定的なタイミングで一度だけ、その時は今ではない。


「引き続き、準備を進めよう。苦労をかけるがよろしく頼むぞ」


「苦労など、何でもございません。私とてこのままでは、死んでも死に切れませんから」


 マンジュラ公は「ありがとう」と小さな声で礼を言った。




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