第37話 懐妊
「はへ、第二王妃様が既に向かっているのですか?」
リスティと共に父の執務室に呼ばれた俺は、父の言葉に素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ああ、先程の早馬が王都を出ると同時に、イザベル殿下が乗った馬車も出発しているそうだ」
リスティから妊娠したかもと聞かされて数日後、やはり ”来ない” ということで俺達は両親に報告をした。それを聞いた父は国王陛下にも一報を入れねばと言って、王都に連絡をしたのだった。
その返事が「第二王妃がガスティーク邸に向け出発しました」だ。
想定外の事態だが、何をしに来るのかは明白だ。リスティの妊娠を確認するためである。
「えっと、急いで歓待の準備をしなくてはいけませんね」
「ああ。このあとすぐに命令を出す」
状況が状況だ、歓待なんてしなくても向こうは気にしないだろう。でも、そうもいかない。
「しかし、イザベル第二王妃か。好みが分からないな。ロフリク家から移った家臣に聞くか」
「イザベル様なら、ああ見えてお肉が好きですよ。特に鶏肉を好んでいます。紅茶と甘いものも大好きです。お酒はあまり嗜まれません。あと、香辛料の強いものは苦手です」
嫁入りに同行した元ロフリク家臣を呼ぶまでもなく、リスティが答える。
「ありがとう。花の好みとかは分かったりするかな?」
「何の花が好きというのはないですが、白と青の組み合わせをよく飾っていました」
「助かった。それで指示を出そう」
父が家臣、使用人達に指示を出し、俄に屋敷が騒がしくなる。とはいえ、部屋の準備と会食の準備ぐらい、大変ではあっても何とでもなる。
そして一夜明けて翌日、イザベル第二王妃が到着した。
「ようこそお越しくださいました、イザベル殿下」
父の礼に合わせ、俺達も一礼する。
「お出迎えありがとうございます」
イザベル殿下は微笑んで礼を返してくれる。若草色の髪に淡いブルーの瞳、たわわな胸。30歳は過ぎているのだが童顔なので若く見える。息子のステイン殿下と並んで「姉妹です」と言われたら、信じてしまいそうだ。
「突然来てしまって申し訳ありません。国王陛下が興奮してしまってすぐ確認しろと。急に行ったら迷惑ですよと、シャルロッテ陛下と一緒に止めたのですが、俺とヘンリクの仲だ問題ないと言って……」
想像していた通り、突然の来訪は国王陛下の暴走らしい。リスティが苦笑いして「お父様相変わらず」と呟いた。
「いや、私も気になって仕方がなかったのです。来ていただけて、本当にありがたい」
父の言葉は半分本当、半分社交辞令だ。
「お気遣いありがとうございます。さて、陛下が気を揉んで周りが困っていると思いますので、早速診断したいと思います。どこかお部屋をお借りできますか?」
「はい。どうぞこちらに」
イザベル第二王妃を小部屋に案内する。一緒に部屋に入るのはリスティと母さん、俺の3人だ。父と
この世界、妊娠検査薬もなければエコー写真もない。初期の段階で妊娠を確認するのは難しいのだ。やろうとすると極めて高度な技量を持つ風属性派生『音』魔法の使い手が微細な胎児の心音を調べるぐらいしか方法がない。
そして『音』魔法の達人たるイザベル殿下には、それが出来る。
リスティがベッドに腰かけてシャツをめくって腹部を出す。イザベル第二王妃はそっとリスティのお腹に触れ、目を閉じる。
ゆっくりと魔力が流れ、恐ろしい程に緻密な魔法が構成されていく。属性は違うが、制御技術は
一つづつ、音を打ち消していき、最後に残った微細な音を感知する……俺も一応風属性の使い手だが、何年練習したって出来る気がしない。
緊張してきた。俺は『お父さん』になるのか、もうすぐ分かるだろう。
15分程経っただろうかイザベル殿下が「終わりました。出ましょう」と言った。結果は父も交えて部屋の外で発表らしい。
扉を開けると、父と妹達は使用人が用意してくれた椅子に腰かけて、そわそわしていた。
イザベル殿下が微笑んで口を開く。
「皆様、胎児の心音が確認できました。間違いなく、懐妊されていると存じます。おめでとうございます」
嬉しい結果だ。少し不安もあるけれど、めでたい。やった。
「そうか、そうか。うん、うん。ガスティークの将来は明るいな! 良かった、良かった」
「良かったわ。リスティさんおめでとう」
父さんと母さんが本当に嬉しそうだ。マリエルさんも目を潤ませている。
「はい。ありがとうございます……よかったです」
「では、国王陛下にも一報入れさせていただきます。行きなさい」
イザベル殿下が命令すると、王都から彼女に同行してきた家臣の一人が走って行く。
本当に一刻も早く伝えるよう命令されているのだろう。大変そうだ。
リスティは幸せ8割に不安2割といった表情で、自分の下腹部に手をあててゆっくりさすっていた。
まだ妊娠初期だから安心はできないが……俺が父親になるようだ。
◇◇ ◆ ◇◇
リスティの妊娠はまだ暫く発表はしないため、家臣達には外部に対する箝口令が布かれた。しかし、屋敷の中はすっかりお祝いムードになっている。
イザベル殿下は今夜は泊まり、明日王都への帰路につくそうだ。
長旅で疲れているであろうイザベル殿下には一旦賓客用の部屋で休憩して貰い、その後晩餐という流れになった。
いつもの食堂だが、テーブルには磨かれた食器が丁寧に並べられ、花が飾られている。メンバーとしては祖母を含む家族一同にイザベル殿下が加わるだけなので、こじんまりした夕食会だ。
「イザベル殿下、本日は遠くガスティーク邸までご足労いただき誠にありがとうございます」
「いえ、改めて突然の来訪、申し訳ございません。しかし、良い報せができて良かったです。おめでとうございます」
俺とリスティは「ありがとうございます」と返し、夕食会が始まった。
テーブルに置かれたガラス製のグラスに飲み物が注がれる。リスティとライラ、アリア、酒を好まないというイザベル殿下は葡萄ジュース、後の面々には葡萄酒だ。
俺は普段は酒は飲まないが、今日はいただいておく。夏になれば王都に行き夜会にも参加する。結婚もしたので、今後はジュースでは済ませ難い。酒にも慣れておくべきだろう。
「では、乾杯!」
父の言葉に合わせて皆でグラスを目の高さに上げる。そのまま口元へ持っていき、傾ける。果実味と渋みが舌を撫で、酒精が軽やかに鼻に抜ける。最高級のものだけあって、美味しい。
食事が配膳される。
一皿目はビシソワーズスープ。イザベル殿下はスッとスプーンで口に運ぶ。一瞬後、頬を綻ばせ幸せそうな顔をする。口に合ったようだ。
「美味しい。これは、芋と葱と…生クリームですか?」
「流石はイザベル様、大正解です」
イザベル殿下の言葉にリスティが嬉しそうに笑った。
「ふふふ、それ程でも」
横で見ていると、リスティとイザベル殿下の仲は本当に良いのだなぁと実感する。正妻の実子と第二夫人ではあるが、普通の親族という感じだ。
転生者の俺にとっては意外な関係だが、実はロフリク王国だと正妻やその子供と第二夫人の関係が良好なことは珍しくない。
王家や高位貴族の第二夫人は『血統のスペアを産む』以上のことは基本的に求められないので、趣味に生きたい女性に人気のポジションなのだ。
イザベル殿下も音楽が好きで、音楽活動に時間を使う為に第二夫人になった人である。野心は全くなく、自分の子を王にしたいとかは欠片も思っていない。対立する理由もない訳だ。
次は白身魚のソテー、鴨の香草焼きと、和やかに食事は進んでいく。
「イザベル様、王都は変わりないですか?」
「そうですね。概ね平静です。フォルカさんの結婚で取り乱した令嬢が幾人かいるのと……フェリシーさんが何度かガスティーク領に突撃しようと脱走を企てたぐらいですかね」
「フェリシー……」
「城壁のところで門番が食い止めて、ピエール達が捕らえるのがパターンになってますよ」
フェリシー殿下、城壁が突破されたら普通にガスティーク領まで来そうだな。
「あの子は本当に……無茶するなら里帰りしないぞと脅しておいてください」
「ふふ。伝えておきます。
デザートは苺のムース。イザベル殿下の口にも合ったようで、美味しいとニコニコ笑っていた。
その後は紅茶を飲みつつ、リスティがイザベル殿下と母さんに妊娠中の注意点とかを聞き、晩餐は終了となった。
◇◇ ◆ ◇◇
カッカッと部屋に足音が響く。国王レオガルザが部屋の中をうろうろ歩き回っているのだ。夫の落ち着かない様子に王妃シャルロッテは溜息をついた。
「連絡はまだ来ないのか」
「あなた、 ”まだ” なんて言う時間ではないわよ」
「しかし、最速ならそろそろ」
「夜も昼と同じ速度で馬が走れば、そろそろですけど、現実的でないことぐらい分かるでしょう」
「むぅ……」
レオガルザは引き続き部屋の中を行ったり来たりしている。壁際に控える家臣達も呆れ顔だ。
レオガルザが何かの宗教的な修行かと思うぐらい部屋を歩き続け、流石に疲れて椅子に座ったとき、扉がノックされた。レオガルザが「入れ!」と短く返すと扉が開く。
ふらふらしながら入ってきたのはイザベルと共にガスティーク領へ向かった家臣の一人だ。一度大きく息を吸い、口を開く。
「陛下! イザベル殿下が胎児の心音を確認しました! リスティ様ご懐妊です!」
「うぉぉぉッ! そうか! よく報せたっ! 遅いぞ全く! 酒を持ってこい!!」
レオガルザが興奮して叫ぶ。
「あなた! まだ未発表なのですから大声は」
「むぅ、すまん! 酒は当然最高級だぞ! めでたい! めでたい!」
「そうですね……本当に良かった」
シャルロッテの目から涙が溢れる。イザベルの技量なら誤判定はまずない。一時は諦めていたリスティの子供、それが確かに存在しているのだ。それも心から好いた男性の子供だ、これ程の良い報せはない。
フォルカとリスティの婚姻に関して、あれこれ囀る外野達も、子供が生まれれば黙るだろう。
家臣が葡萄酒とグラスを持ってきて、レオガルザとシャルロッテに注ぐ。
「初孫だ、初孫だぞ! シャルロッテ」
言ってレオガルザは葡萄酒を一息に飲み干す。
「そうですね。ふふ、シャルロッテおばあちゃんですか」
シャルロッテも葡萄酒を一口、芳醇な香りが鼻に抜け、深い渋みと仄かな甘みが口に広がる。
「ふはは、レオガルザおじいちゃんか! そうか! 俺もおじいちゃんか!」
ドンと扉が開き、人が入ってくる。先王ダミアンだ。ちなみに仮病はとっくに完治したことになっている。
「レオガルザ! ついに曾孫だ! 初曾孫だ!!」
そのままダミアンは息子であるレオガルザに抱き付く。
「良かったな! 良かった! 素晴らしい!!」
ダミアンはテーブルに置いてあった葡萄の瓶を掴むと、直接瓶から飲み始める。
ゴブッゴブッと音を立て、最高級の葡萄酒が冒涜的に消費されていく。
「まったく……」
シャルロッテは涙を指で掬い、笑顔で溜息をついた。
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読んでいただきありがとうございます。
皆様のお陰で約10万字、リスティ妊娠まで来れました。
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