第26話 リスティ、ハマる
リスティを『ラボ』に案内した翌日、俺はリタと2人で書斎兼執務室にいた。
久しぶりの本格的な事務仕事だ。王都滞在中に溜まっていた仕事を片付けていく。
仕事が溜まったと言っても、王都滞在中の業務は家臣達が代決で回してくれている。俺がしなくてはならないのは主に報告書の確認だ。
ガスティーク家の事業のうち俺が担当しているのは綿の栽培から紡績、布織までの繊維産業と、製鉄業になる。
サクサクと目を通していく。概ね順調に業務は回っており、特に問題は起きていない。
製鉄所は赤字だが、これは投資が大きいからで、想定通りだ。
「よし、問題なしだな」
「はい。強いて課題を上げるなら綿栽培量が紡績能力と布織の能力に少し負けているぐらいですか」
リタの指摘は正しい。さりとて改善の難しい問題だ。
「そこはコライビの面積が限界になるからなぁ。肥料とかの工夫で増産できればいいのだけど、簡単ではないし。やっぱり他領から羊毛とか仕入れてくるか? でも余力があると言ってもあり余っている訳ではないし」
「そうですね。わざわざ他から仕入れるなら紡績と布織の能力も上げたいところですが……」
「機密保持を考えると簡単には広げられないからなぁ。それに父さんは一人しかいないからね。機械を増やすと交換部品が間に合わなくなりそう」
「どうしても一部の部品は旦那様頼りですものね……」
「いっそ、高度な部品が必要ない機械を設計できればとも思うけど」
「発想は素晴らしいと思いますが、具体的にどう実現するのか私では全く想像が付きません」
あーでもないこーでもないと、事業について話す。
そういえば、リタとのこんな会話も久しぶりな気がする。最近はいつもリスティといたから、会話が減っていた。
そのリスティは現在『ラボ』にいる。
昨日はリスティが顕微鏡に興奮して、その場にあった試料を片っ端から観察しているうちに昼になってしまった。午後は家臣の紹介があったので本棟に戻ったが、まだまだ『ラボ』を見足りなかったらしい。なので、今日はマリエルさんを伴い見学の続きをしている。
「しかし、リスティは随分と『ラボ』が気に入った様子だったな」
「そうですね。でも、リスティ様は最高位の治癒師でもいらっしゃいますから、極小生物に関心を持たれるのは当然かもしれません」
純粋な好奇心だった気がするけど「そうだね」と返しておく。
「何にせよ『ラボ』はガスティーク家の事業とも深く関わるから、リスティが興味を持ってくれるのは良いことか」
さて『ラボ』だが、言うまでもなく俺が ”よーし、現代知識チートしちゃうぞー” と思って作った部署だ。知識の出どころを不審がられるのも覚悟の上で、構成員にはかなりの部分まで科学知識を教えてある。
身分を問わず素質重視で選んだ構成員は優秀で、『品種改良』の他にも、俺のうろ覚えの知識を元に『水車式の紡績機』や『飛び杼を使った布織機』なんかを実現してくれた。技術の足りない部分を魔法に頼っているので本当の大量生産はできていないが、それでもかなりの成果が上がっている。
なお、定番のマスケット銃は作っていない。この世界の戦場は火炎魔法や雷撃魔法が飛び交うのだ。火薬を使うなんて怖すぎる。マスケットの有効射程だと攻撃魔法の範囲内なのでアウトレンジも出来ない。
「思ったより早く片付いたな。皆が恙無く回してくれたおかげだ」
「はい。労っておいた方が良いかと思います」
「そうするよ。さて、じゃあリスティの様子を見に行く……前にお茶でも飲むか。紅茶淹れてくれる? リタの分もね」
リスティにはクーデルが対応してくれている。急ぐ必要もない。
リタは「はい」と頷き、書斎兼執務室を出て行く。
俺は書類を整理し、机に片付けていく。終わった頃にリタがティーポットののった配膳台を押して入ってきた。随分と早いが、リタは火属性魔法の適性が『2』ある。戦闘に使える程の力ではないが、ポット一杯分の湯ぐらいはすぐに沸かせるのだ。
台のうえには茶菓子のクッキーもある。柔らかな茶葉の香りが部屋に漂った。
頃合いを見て、リタがカップに紅茶を注いでくれる。
移動するのも面倒だ。事務作業用の机で、紅茶をいただく。美味しい。クッキーを摘んで甘さも楽しむ。なんか、ふと前世のオフィスを思い出した。時々お土産とかで甘いもの貰って、残業時間とかにデスクでモグモグしてた。
懐かしい。嫌いではなかったよ、弊社。
しかし、現世はとても恵まれている。仕事をする上で上司に気を使ったり、お局様に気を使ったり、そういう面倒が何もない。それどころか、綺麗なお姉さんまで付いてくれて、頼めば美味しい紅茶が出てくる。
「ほら、リタも飲もう」
俺が促すと、リタも「頂戴します」と言って自分のカップに紅茶を注ぎ、口にする。
暫し、二人で静かにお茶を楽しむ。満ち足りた時間だ。
「美味しかった。リタ、ありがとう」
「いえ、まだまだです。では参りますか?」
「うん。ラボに行こう」
部屋を出て『ラボ』へ移動、入口近くにいた
扉の前で「凄い! これ、凄い!」とリスティの声が聞こえてきた。
扉を開けると、リスティは手にガラス製の器具を持っていた。部屋にはクーデルとマリエルさんもいる。
「リスティ、どんな感じ?」
我ながら雑な質問で、リスティに話しかける。
「フォルカ! ねぇ、これ凄い! フォルカが作ったんでしょ、凄いよ。フォルカ凄い」
リスティが手にしているのは、温度計だ。ガラス管の中の水銀の膨張で温度を測るアレである。
「さっき試作機を見せて貰った紡績機と布織機も凄いよ。でもこれはもっと凄い。だって熱い冷たいが、数値になる」
余程感動したのか、リスティの目がちょっと潤んでいた。横でクーデルが「仰る通りです! それを理解されるとは流石リスティ様」と全力で同意している。マリエルさんは少し困った顔。
確かにリスティの言う通りだと思う。紡績機も織り機も、人間ができることを効率化するだけだ。対して温度計は概念を作り変える。熱さを客観的に記録し、時間と場所を越えて伝えることが出来るのだ。『ラボ』では5年前から気温を記録しているが、恐らくそれはこの世界で最古の気温データになる。
「うん。長い目で見れば影響は大きいだろうね」
「ふふ、私の体温36度ちょっとかぁ。凄い、凄い」
「まぁ、気に入ってくれたようで何より」
「あ、紡績機と布織機の稼働してる現物も見てみたいから、マリーバにもいつか連れて行ってね」
キラキラした目で言うリスティに俺は「うん、もちろん」と頷いた。
そんな感じでリスティは『ラボ』に嵌まった。
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読んでいただきありがとうございます。
ところで体温が計れるということは……
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