第25話 ラボ

 カーテン越しに漏れる光に、リスティは目を覚ました。横を見ると、まだフォルカは寝ていた。すーすーと穏やかな寝息を立てている。

 リスティは小さく笑った。どちらかと言えばフォルカが先に起きることの方が多い。寝顔を眺められるのは少し嬉しい。


 フォルカを起こさないよう、そっと身を起こす。昨日は行為の後、そのまま寝たから裸だ。チェストから下着と部屋着の綿のワンピースを取り出し、身に付ける。


 ベッドに腰掛け、ふぅと一息。


 昨日は疲れたな、とリスティは思った。夜の営みも体力を使ったが、主な原因は気疲れだ。やはり新しい環境というのは疲れる。

 とはいえ、リスティの状況で疲れたなどと言っていたら世の嫁入りした女性に怒られるだろう。望んだ相手と結婚できて、嫁ぎ先の親族は優しく友好的、義父は父の親友だ。

 新しい生活にはすぐに慣れるだろう。懸念はほぼない。


 いや、強いて言えば一つだけ、気にかかっていることはあった。身近に一人、少し前の自分のような目をした人がいるのだ。一番欲しいものを、絶対に手に入らないのだと自分に言い聞かせて、諦めようと必死になっている。そんな目だ。


(リタさんってフォルカのこと好きだよねぇ……)


 リスティは心の中で呟く。

 普通の妻なら夫から遠ざけるのだろうが、そういう気にはならない。

 リタの胸はリスティよりは僅かに大きいが、誤差だ。女としては同類と言っていい。そのためか、不快感よりも親近感と同情が勝る。


 ぼんやり思考を巡らせていると、フォルカが「ふぁ」と声を漏らしてゆっくり目を開く。


「おはようフォルカ」


「ああ、おはようリスティ。今日は寝顔を見そびれたな」


「ふふふ。私はフォルカの寝顔を堪能したよ」


 微笑み合い、顔を近づけ、おはようのキス。

 フォルカも服を着て、リビングに移動する。


 程なくマリエルとリタが入って来て、朝食の用意をしてくれた。今日の朝食はフォルカと2人、部屋で食べる。

 テーブルに並ぶのはオムレツ、カリカリに焼いた薄切りベーコン、豆のポタージュに白パン。

 2人で「いただきます」と声を揃える。


 フォークで口に運ぶ。オムレツは僅かに半熟感があり、味付けも程よい。白パンは柔らかくてふわふわだ。

 ガスティーク家の料理人は腕が良い。日常で食べるシンプルな料理なら、王家お抱えの料理人より上かもしれない。


「うん。このポタージュも美味しい」


「口に合ったなら、よかった。ところでリスティ、今日の午前中は別棟を案内して、『品種改良』の説明をしようと思うけど、それでいい?」


「うん。もちろん」


 リスティは頷く。綿栽培の秘密はかなり楽しみだ。


 食事を終えると、服を部屋着から普段着に着替え、フォルカと二人で部屋を出る。


 北館の裏口から屋外に出る。本棟の西側は小さな森になっていて、木々が視界を塞いでいた。フォルカは「こっちだよ」と言って森の中に進んで行く。

 少し先に鉄の柵があり、その一部が鍵付きの扉になっていた。フォルカが鍵を取り出して解錠し、先へ進む。


「この先に別棟があるの?……あ、あるね」


 柵を越えて程なく、木々の向こうに建物の茶色い壁が見えてきた。三階建ての煉瓦造りの建物だ。


「さっきの扉から先が機密区画で、許可のない家臣、使用人の立入りは禁止されている。リスティはもちろん自由に通ってね。マリエルさんの同行も大丈夫」


 建物の前まで行くと、入口の扉の前に白い薄手のロングコートのような服を着た男性が立っていた。深く一礼し、扉を開けてくれる。


 中に入ると、お揃いの白い上着を着た一団が整列している。「お待ちしておりました」と、一斉に頭が下げられた。


 フォルカが前に3歩進み、踵を返してリスティの方を向く。


「リスティ、ようこそガスティーク家研究棟、通称『ラボ』へ」


 両手を軽く広げ、フォルカが言う。


「研究棟? ラボ?」


 リスティは小首を傾げた。


「うん。文字通り色々な研究をしている。この人達は研究棟のメンバーで、全員ガスティーク家の家臣」


 フォルカが白服の人達について説明してくれる。なるほど、機密エリアの人員なのだから、雇用契約による使用人ではなく、誓いを立てた家臣を当てるのは当然だ。

 ただ、随分と若い人が多い。白服の人達は全部で20人ぐらい居るが、多くが10代半ばから20歳程に見える。


 フォルカが言葉を続ける。


「それで、『ラボ』って言うのは秘密保持の為に付けた名前。外でここの話をするときに『研究棟』って呼ぶと少なくとも何か研究をしているって分かっちゃうからね。ガスティーク家の会計資料とかでも『ラボ』表記している」


「なるほど。『ラボ』か、何か由来があるの?」


「いや、俺が適当に音の響きで付けただけ。『西第二別棟』にする案もあったけど、いっそ脈絡のない固有名詞付けた方が、何の情報にもならないから」


「確かに意味を持たせると推測の糸口になるから、無意味な命名した方が良いね。『西第二別棟』だと長いし」


「うん。それで、『ラボ』での一番の成果が『綿』の品種改良による国内栽培なんだ。現場に案内するね。クーデル、同行を頼む。他は仕事に戻ってくれ」


 フォルカがそう言うと小柄な女性が歩み出て来て「クーデル・アルシュタンと申します」と頭を下げる。


 クーデルは20歳ぐらいの茶色い髪の女性だ。そばかすが目立つが、よく見ると顔立ちは整っていて、クリッとした目が可愛い。そして、胸はかなり大きい。つい、あのぐらいあったら色々できるのになぁと思ってしまう。

 ……思考がそれてしまった。リスティは頭を振って意識を切り替え「よろしく、クーデル」と返した。


「じゃ、行こうか」


 3人で歩き出す。廊下を抜け、裏口らしき扉から外に出る。すると、少し先にもう一つ建物があった。


 王城の大ホールぐらいありそうな大きな建物だ。一際目を引くのが屋根、形は普通の三角屋根だが、透明だ。恐らくガラス製だろう。

 クーデルが鍵を開けてくれている。


「ここは温室と呼ばれている。とりあえず中に入ろう」


 中に入って、リスティはまた驚いた。まず床が土だ。中は畑のようになっていて様々な作物が植えられている。隅の方には綿の木も見えた。

 透明な屋根から直接日光が入るため、屋外のような印象だが、かなり暖かい。


「凄い。屋根、ガラスだよね?」


「うん。ガラスだよ」


 少し自慢げにフォルカが頷く。屋根には大きな板状のガラスが大量に使われている。透明度の高い板状ガラスは高位の水魔法使いでないと作れないのでかなり高価だ。フォルカなら簡単に作れるのは理解できるが、壮観である。


「これだけで標準的な貴族の屋敷が家具付きで建ちそう……」


「うん。実際結構お金がかかってる。ガラスの成形と不純物除去は魔法でできるけど、原料のガラスは発注したし、ガラスを嵌める金属枠も高く付いた。本当は壁もガラスにしたかったんだけど、諦めたよ」


 フォルカがほんの少し残念そうに言う。


「それで、品種改良だけど……それ程特別な話ではないんだ。『綿の木』やその近親種の種を色々な地域から入手して栽培し、その中で寒さに強かった個体同士を交配させて、徐々に寒さに強くしていった。馬とかでも、足の早い個体や体力のある個体を交配させて、それを繰り返して質の良い馬にしてるでしょ。それと同じ。もっと言えば、貴族が自分達にやってることでもあるよね。魔力の強い血統を意図的に作っている訳だから」


 フォルカの説明は理解できる内容だった。確かに軍用の騎馬は野生の馬とは別物と聞くし、貴族の平均的な魔力と平民の平均的な魔力には大きな隔絶がある。


「なるほど。でも、ロフリク王国だと最初の種が育たなくて無理じゃ……あ、だからこの建物なのか」


 ここは屋内だから暖炉でも何でも使って中を温めることができる。屋根から陽光が入るから植物は問題なく育つだろう。


「うん。少し寒いけど育つぐらいの気温まで暖かくした」


「でも、何世代も何世代も繰り返すのでしょ。それだと相当な期間がかかるよね。この建物、そんなに古いものじゃないし……あっ!」


 リスティはまた、言っている間に気が付いた。のんびり自然に育てる必要はないのだ。


「そっか! 木属性魔法による成長促進! 水属性派生の『冷』を使えばこの建物内を冷やすことも出来るから、擬似的に四季を早回しして」


 木属性魔法に植物の成長を早めるものがある。魔力消費が大きく、農業に直接役立てるのは難しい魔法だ。だが、高位の木属性魔法の使い手であるフィオナ・ガスティーク義母ならこの建物内部ぐらいは十分にカバーできる。


「リスティ……凄いね。その通りだよ」


 フォルカが驚きの表情を浮かべている。でも驚いているのはリスティの方だ。これまで誰もやらなかったような魔法の活用で、大きな成果を上げている。


 そして――


「ね、当然『品種改良』って他の作物にも適用できるよね。最近ガスティーク領の麦の生産が増えているのって……」


「うん。収穫量が多くなるように品種改良した麦を一部で育て始めている。病気で全滅するのが怖いから全て置き換えてはいないけど」


「病気で全滅?」


「うん。同じ性質の苗ばっかりだと、病気が流行ったときに被害が大きくなる可能性があるんだ。人為的に無理やり形質を揃えているからね」


「近い親戚ばかりで、みんな胃腸が弱い、みたいな感じ?」


「うん。概ねそんな感じ。特定の病原菌、ああ悪性の極小生物のことね、に弱いとかがあると伝染病で大飢饉になりかねない」


「その言い方だと、フォルカは極小生物仮説に確証があるんだね。私も支持はしているけど」


 『極小生物仮説』とは伝染病の原因は目に見えない小さな生物によるものだとする仮説だ。木属性派生の『即死魔法』によって伝染病の伝播がある程度防げることがその根拠になっている。


「じゃあ、次はそれだね。ついてきて」


 フォルカが歩き出す。リスティは「それって何だろう」と思いつつ、付いていく。温室と呼ばれていた建物を出る。

 クーデルがいそいそと施錠をして、また小走りに付いてくる。年上だろうけど、小動物っぽい雰囲気で可愛い人だな、とリスティは思った。


 最初に入った研究棟に入り、廊下を少し進んで、ドアを開けて一つの部屋に入る。


「顕微鏡ですよね、準備します」


 クーデルの言葉にフォルカが「お願い」と返した。

 クーデルが何かの準備を始める。リスティが見たことのない不思議な器具に何かを付けたり、金具を回したり、色々している。


「リスティ様、こちらを覗いてみてください」


 リスティは言われるがままに、不思議な器具の上の筒のような部分を覗く。すると、何か奇妙なものが見えた。楕円形の何かが、沢山ある。


 何かさっぱりだが、今までの話の流れからして、まさか……


「もしかして、これ、極小生物?」


 目を離して、フォルカに聞く。


「うん。だからもう仮説じゃない。その器具は複数のレンズで拡大して肉眼で見えない小さな物を見る道具。俺と父さんの合作で、ほぼ全ての部品が魔法加工品」


「何それ、凄い。凄すぎて凄い」


 リスティは驚きの余り語彙が消失していた。

 控え目に言って歴史に残る大発見だ。


「ま、それで見えるのは極小生物の中では大きいものだけだけどね。もっと高性能なやつもあるけど、それは聖属性魔法による光操作で補助しないと使えない」


「聖属性使えれば見れるの?」


「リスティなら練習すれば使えるよ。大変な上に何の役に立つかと言われると微妙だけど」


「練習する!」


 リスティはフォルカの肩をガシッと掴んで言った。



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