第10話 拓人 2


 俺は慌てて沙良が運ばれたという病院に駆け付けた。


 そこには沙良のご両親が鎮痛な面持ちで座っていた。そして俺に気付くとゆっくりと顔を上げた。



「お義父さん……! 沙良は……!?」



 俺は2人の深刻な様子に沙良がとても心配になる。


 ……まさか、沙良がどうにかなる、なんてことはないよな……!?



 そんな俺に、沙良の両親の態度はどこかよそよそしかった。



「拓人君。……君は今までどこに居たんだ?」



 俺はヒュッと背筋に冷たいものが走った気分だった。



「……俺は、今日は古い友人との約束が……」


「───私は、今日沙良は君に会いに行ったのだと思っていた。ここのところの君は忙しそうで、なかなか会えていなかったようだしね。

……君の会社に私の知人が居るんだ。そんなに忙しいのかと尋ねてみれば、君はほぼ定時に帰り休日出勤をしてる訳でもないそうだね」



 ドクンドクン……。

 嫌な予感がする。俺は、疑われている。



「古い友人とは、女性か? こんな広い街でも、堂々と2人で歩いていれば誰か知り合いなどの目につくものだよ」



 お義父さんが俺を責める。その横で、いつも優しい印象しかなかったお義母さんが口を開く。庇ってもらえる! ……俺は一瞬そう期待した。



「……沙良は、最近なんだか落ち込んで……。婚約が決まったのに貴方が最近冷たくなった、と。他の女性が良くなったのなら、もう沙良を解放してあげてちょうだい」



 そう冷たく言い放たれた。



 もう彼らには俺は『娘の愛する大切な人』ではなくなったのだ。



 俺は今まで積み上げたものが何もかも崩れたと分かった。

 その後、沙良の両親から完全に拒絶された。



 今までの俺の人生は大概が自分の思うようになってきた。……その中で、俺は決定的な何かを間違えた。沙良との関係で悩む事があったのなら沙良との話し合いで解決するべきだった。


 ……それを、その時近くにいた未来で誤魔化した。そして一番大切にすべき沙良を蔑ろにしてしまったんだ。



 絶望して家に帰り数日間、落ち込んだ状態で過ごしていた。何度もきていた未来からの連絡は全て無視した。



 ……思い出すのは、沙良との楽しい美しい思い出ばかり。



 俺は諦めきれなくて、数日後沙良のいる病院に再び足を運んだ。



 

 病院の受付で彼女の病室を聞いた。『ああ聞いていますよ』と親切な職員がすぐに対応してくれ教えてくれた病室へと向かう。

 今日、一般の個室の病室に移ったのだそうだ。



 そっと、彼女の名前が書かれた病室の扉を開ける。幸いな事に部屋には他に誰も居なかった。



 そこにはベットに眠る美しい沙良の寝顔。少し、痩せたのではないか。

 俺は沙良の枕元までゆっくりと近付いた。



 ……俺は、こんなに愛しい沙良を裏切って、どうして浮気などしていたのだろう。



 育った生活環境の違いは決して彼女のせいではないのに。自分は初めからそれが分かっていて彼女と共に生きると決めたはずなのに。それを他の何かで埋めようとした。



「……最低だ、俺……」



 そう呟きベットの横に膝を突き、至近距離から愛しい沙良を見つめ続けた。


 

 ……その時だった。


 沙良の長いまつ毛が少し動き、ゆっくりとその瞼を開いたのだ。



 ゆっくりと、沙良の視線が拓人を捉えた。



「…………だれ?」



 胸がズクリと痛む。


 俺は、沙良に知らない人として扱われるのか。



「あ……。御免なさい……。私……、記憶を、今までの記憶を失っているみたいなんです。だから、誰のことも、分からなくて……」



 力無く、沙良は言った。



 ……記憶を? 俺の事が分からない……。


 俺は一瞬ショックで胸が苦しくなった。


 が……、俺はふと気付く。沙良は今なんと言った? 『誰のことも分からない』?



 そう考えた瞬間、俺は目の前が開けた気がした。



「大丈夫だよ。……俺は拓人。沙良の……、君の『婚約者』だ」



 そう言うと、沙良は少し驚いたように瞬きをした。



「……実は、君はご両親と仲が悪かったんだ。……大丈夫、不安になることはない。俺と一緒にいよう。俺が誰からも、君の両親からも沙良を守るから」



 俺の言葉に初め沙良は動揺し怯えた様子を見せたが、スマホに入った大量の2人の写真を見て納得したのか小さく頷いた。



 俺は子供の頃から催眠術や心理学が好きだった。大学時代、心理学も取っていたのだ。


 ……真っさらな沙良の心に暗示をかけ、ゆっくりと俺に縛り付けよう。


 誰にも沙良を俺から奪わせない。



 ◇



 俺は高層マンションの窓から風景を見ながら、そんな一年前の苦い記憶とそれからの苦労と沙良と過ごした幸せな日々を思い出していた。



 そうだ。俺は絶対に沙良を諦めない。何度だって彼女を取り戻してみせる。



 ……愛してるよ、俺の沙良。




 

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