第9話 拓人 1


「ッなんですって!? 沙良が退院した!?」



 ……俺は松浦拓人。突然愛する妻沙良が入院していた病院から居なくなった。

 いつものように病院に来ると、部屋はもぬけのから。俺は驚き大きく動揺していた。



 病院の人間に聞いても、沙良の行き先は知らないと言う。沙良は安静を条件に医師から退院の許可を自ら貰い、早朝に荷物を纏めて出て行ったというのだ。


 受付で『忘れ物です』とスマホだけを渡された。



 ……クソッ! これじゃスマホからのGPS検索も出来ない!



 ……多分、前に話をしていた沙良の実家だとは思うが……。そう思い急いで彼女の実家に行ったが誰も居ない。確かにここに来るのならスマホをわざわざ置いていく筈もない。


 どこかのホテルか……?

 しかしどこのホテルかもわからない上に、あのお嬢様の沙良が泊まるようなホテルがホイホイと泊まり客の名を明かす筈がない。



 ……チクショウ! せっかく全てが上手くいっていたのに! 



 俺は沙良が居るはずもない新しいマンションに帰った。知らず小さい頃からの癖だった爪を噛み、眺めの良過ぎる風景を見ながら沙良との出逢いを思い出していた。




 ◇



 幼い頃両親が離婚し、俺松浦拓人は母と2人暮らしだった。


 ……決して豊かでない暮らし。それでも俺は地頭が良かったのか、地元で一番の公立の進学校に行き国立大学へ進んだ。


 そこそこ有名なその大学には、中高一貫校や私立から入るような金持ちの子弟が結構いた。ヤツらは田舎の公立高校から来た俺らを横目に親から貰った小遣いで遊び回っていた。

 悔しい思いもしたが、俺はふと閃いた。


 ……ここには金持ちもたくさんいる。『お嬢様』と付き合って結婚すれば良いんだ、と。


 そうすれば、苦労せずに金も入る。



 しかしなかなかお嬢様とは出会いがあるものではない。だから俺はなるべくお金のかからないサークルに入り、面倒見の良い男を演じて獲物を待った。


 そこで出会ったのが高木沙良だった。



 可愛いが、世間知らずな沙良。自分の家は普通の家だというが、普段からの持ち物がそうでない事を表していた。普段使いのものが有名ブランドだなんて、俺では絶対にあり得ない。


 話すと父親が大きな会社の役員、そして有名な資産家と遠い親戚になるという。

 ……これくらいが、ちょうどいい。


 すご過ぎる家だと、俺みたいなヤツは警戒されて難しい。



 そうして彼女に慎重に近付き少しずつ仲を深め、半年ほど経った後に付き合って欲しいと言うと彼女は喜び頷いてくれた。



 その後沙良との関係は良好、そして俺は案外良い会社に就職出来た。彼女との結婚を見据えて少し無理をして良い目のマンションに住んだ。


 しかし、沙良は可愛いがやはり俺とは価値観が合わない事がよくあった。

 育った環境が違い過ぎるのだ。それは仕方ない。だがそれさえ我慢すれば俺の将来は安泰だ。



 そう思っていた時に、俺は『未来』と会った。



 未来は元々俺や沙良と大学で同じサークルだった。沙良とは友人だと思っていた。


 ……過去形なのは、未来が明らかに俺に色目を使ってきたから。



 そしてこの時の俺は丁度沙良とつまらない喧嘩をし、このままでいいのかと悩んでいた時期だった。



「……私、ずっと拓人のこと、良いなって思ってたのよ? それを沙良に取られちゃって……。沙良とは友人だから、ずっと隠してたの。だけど、やっぱり拓人が好き……」



 そう言って胸を押し付けてきた未来を、酒の勢いと投げやりな気持ちになっていたその時の俺は拒絶出来なかった。



 それからズルズルと未来との関係は続き……。いずれは沙良と結婚するのだから自由な今くらい、と未来と会う回数が増えていた。





 ……その日も、沙良に会えないと連絡して未来と一緒にいた。夜を2人で過ごし次の朝にはイチャイチャと買い物をした。いつもの未来のお気に入りのカフェに居ると、遠くに救急車の音が聞こえていた。



 そしてその日の昼過ぎに、沙良の事故を知らせる電話が掛かってきたのだ。


 

 

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