第3言 人間はみんなタケノコ

 大変です。


 とてつもなく、モーレツに、恥ずかしくなってきました。


 何考えていたのでしょう、前回の自分。妄言が過ぎる。これが寝言ってことですかね……。


 もう、墓のセルフサービスを利用するしかないです。頑張って穴掘って埋まります。よろしければその上に石でも置いていってください……ありがとうございます……。




 はい、気を取り直して。

 話を進めないとですね。


 今回も前回に引き続き「どうやって物語を書いてるの?」な話をします。人間編なので、キャラクターのつくり方みたいな話を中心に。


 単刀直入に言います。


 ごめんなさい、キャラクターのつくり方わかりません。


 ……と言いますのも、キャラクター、つまり人間は自分にとってはつくるものではないからです。


 そもそも、前回語った通り、世界設定すらメガネを忘れた人レベルの解像度しか持っておりません。当然、人間だって、うっ……、知らない人ばかり……頭が痛い……。


 斑鳩睡蓮という物書きは、物語を出力する装置でしかございません。肝心の物語について、あまりよく分かっておりません。


 ただ、ぽやっと世界の形が見えて、自分の見たいものを見つけたら、文字を書いてみるのです。


 すると、手が勝手に動いてゆきます。知らない展開、知らない設定、知らない人間……。じゃんじゃん文字を書く度に出てきます。


 知らない天井どころの問題じゃないんですよ!

 気づいたら知らないものできてるんですもん……。


 そして、人間はその内でもワケのわからないものの極地でございます。


 やつらは、ただ、増え続けるのです。これはホラー体験と言っても過言ではないでしょう。タケノコです、人間はタケノコ。そして、知らないうちに竹やぶになって、気づけばどうにもならないまでに成長していくのです…………。ああ、タケノコご飯食べたい。


 明確に人間が生まれたと感じる瞬間。これは、彼らが一言発する瞬間と同じです。産声ですね。


 一言発したその瞬間、そこには一人の人間が存在します。名前も持っています。


 名前に意味を持たせることは、創作者としてもちろんやるのですが、「これが君の名前か」という感覚でつけています。


 ちなみにですが、名前をつけるときにかける時間は、一分にも満たないことがほとんど。それ以上の時は、名前に意味を持たせたい時になるのですが、基本どこかで読みかじった言葉がスッと当てはまるので、ここに時間をかけることもほぼありません。


 じゃあ、人間の設定は?


 当然、ぽっと出なので何もわかりません。そうです、筆者は設定ゼロのキャラを突然出すのです。すさまじく、何も考えていない、TE☆KI☆TO☆U。


 頭花畑というのには、そういうことも含まれております。


 ですが、名前と声を持った、もちろん容姿も持った人間は、それだけで確かに存在します。設定はゼロなのではなく、ただ作者が知らないだけなのです。(少なくとも筆者はそう思っております)


 世界五分前仮説のようなものです。世界は実は五分前に始まったものなのかもしれない、我々は五分より前の記憶を植え付けられて五分前に誕生したのかもしれない。


 だから、何も知らなくともいいのです。彼らは自身の意思と過去を持ちます。ただ、動いて話すだけで彼らの過去や性格、信条が自ずと分かってくるわけです。そして、彼らは自分自身の望みを知っていますから、その心のままに歩んでいきます。


 辿り着きたい場所は彼らが知っていればいい。

 筆者はただ手を動かすだけで構わないのです。


 彼らについて筆者が知らないことは、まだ知らなくていいこと。時が来れば、彼らが教えてくれますから焦らずともよいのです。


 これを作者は何も考えてない状態と呼びます。丸投げ。おかげさまで、キャラクターの名前などを忘れるちゃらんぽらん作者となっております。ヘタしたら、読者の皆さまの方がよく覚えていらっしゃるかもしれない……。


 あと、彼らの方が基本筆者よりも賢いです。

 特に、ミリタリーアクションものである「ヘルエンジェル」の登場人物の皆さまは、ほとんどが凄まじく賢いです。正直、みんなが何考えているか分からない……。


 この寝言を読んでいらっしゃる方も、普段からツイッターなどで斑鳩睡蓮の呟きを見ていらっしゃる方も、もうお気づきかと思いますが、筆者はキャラクターのことを「彼ら」と呼びがちです。


 勝手現れて、勝手に人生歩んで。

 しかも作者はその人について何も知らないし、作者にも全然似てない。


 これどう考えても他人です。自分にとって、キャラクターとは限りなく他者なのです。だから、どうしても「うちの子」という表現にはならなくて。というか、うちの子じゃない。


 そんな距離感なので、当然彼らの考えていること、感じていること、行動の理由、全部外から推し量ることしかできません。


 そんな彼らの心を覗くことができるのが、物語を綴ること。文字を書くことは誰かの心に触れることでもあります。


 そんなこんなで、自創作は竹の原生林となっているわけです。今日もどこかでポコポコタケノコが生えているのでしょう…………。



 各自脳内竹やぶとタケノコでも眺めて、今回のお話を終わりましょう。みなさん、いいタケノコは採れましたか。



 次回は伏線についてお話します。失礼、寝言を言います。


 よろしければ覗いてみてくださいませ。

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