第六話 残虐なる夢の終焉
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海賊に占拠された港だったが、ティアたちが引き付けてくれたお陰だろう。
港に残された海賊たちの数は圧倒的に少なかった。
ロレッタたちが地下通路から出ると、倉庫の床下の堅穴に繋がっていた。
周囲の様子を注意深く窺ったが、一人の見回りがいるだけだ。
その一人だけいた海賊を、ロッコが不意を突いて、あっという間に物陰に引き摺り込む。
「爆薬は何処に仕掛けてんだ?}
ロッコが大槌でとんとん、とうずくまった海賊の足の間の辺りの床を叩く。
海賊が怯え交じりながら、それでもロッコを睨み返した。
「そんなん大人しく言うわけねぇだ……」
「あっそ」
ロッコは軽く顔をしかめた後で、思い切り大槌を振り上げた。
そのままなんの
そのあまりの迫力に海賊が唖然とした表情を浮かべ、後ろで見守っていたロレッタですら思わずぎゅっとまぶたを閉じた。
ごすん!と鈍い音と衝撃が床を伝わってくる。
ロレッタがおそるおそる目を見開くと、ロッコの大槌は海賊の股の間の床を正確に撃ち抜いて、床には穴が開いていた。
「……で?もう一度聞くけど、何処に爆薬が仕掛けてあるって?」
「なんなら足の一本でもいっとくか?」と改めて大槌を構えるロッコを見て、海賊は顔を真っ青にしてわななきながら口を開いた。
「ぞっ、造船所と……一番大きな倉庫と、漁師道具が入っている物置……そ、それから……港の桟橋にも……あります」
震えながら答える海賊に「嘘言ってねぇよな?」とロッコが凄んで尋問する。
すっかり怯えきった海賊は何度もがくがくと顎を上下させた。
「う、嘘なんて言ってねぇ!俺はあの〈
「そうかよっ!」
ロッコは海賊の前にうずくまると、容赦なく海賊の横面を張り倒した。
彼女の分厚い手で叩かれた海賊はそのまま倉庫の床に倒れ込み、気を失う。
それを見届けてロッコはロレッタを振り返った。
「今こいつが言ってた中だと、どれが一番、ここから近い?」
「あっ、えっと、一番大きな倉庫かな」
「案内してくれ。爆薬自体は慎重に扱わなきゃなんねぇから、今は周りにいる〈傷痕の男〉の部下をぶっ倒すだけだがよ」
気を失った海賊の手足を手早くロープで拘束して、倉庫の空き箱にロッコは突っ込んでいく。
「火薬は後でわたしがなんとかしてやる。町の連中にも伝えたが、素人が絶対に手ぇ出すんじゃねぇぞ」
「分かってる。あたしたち以外にも武器を扱っている人もいるし、これだけ手薄ならなんとかなると思う」
ロレッタが自分たちの後についてくるイシュマーとローダンを振り返る。
ロッコも「なら心配いらねぇ」と辺りを見渡し、同意を示した。
「……結局、港に残っているのは〈傷痕の男〉に信用されてない連中のようだ」
完全にのびて箱に詰められた海賊を見下ろし、ロッコが一つ息を吐く。
「どんだけ入念に準備をして、船長への復讐をエサに荒くれ者を集めても、〈傷痕の男〉にとって『使える奴』はごく一握りだったんだろう」
ロッコが確信を込めて言うのに、ロレッタはふと、別動隊の船の上で対峙した〈傷痕の男〉の事を思い起こす。
「結局、あの男は自分の目的を共有する仲間を、見つけられなかったのね」
「まあ、そうだな。奴にとって周りの人間はせいぜい自分の手駒か、夢へ至る道を邪魔する障害でしかなかったんだろうさ」
呆れ口調でロッコが断定するのに、ロレッタはふとうつむいた。
「……もし、そういう仲間が見つかったら、あいつも少しは違ったのかしら?」
自分の夢を語って、それが誰にも理解されない悲しさ──孤独。
それは、ティアたちに出会っていなければ、ロレッタ自身も感じていたかもしれない、暗く空しい感情だった。
「さあね、だからと言って、あいつのしてきた事は許されないし、今ここでその夢が潰えるとしても、それはあいつの自業自得だってことさ」
それには、ロレッタも異論はない。
〈傷痕の男〉はあまりに自分本位に罪を重ね、人の命を奪ってきた。
そして──ロレッタがほんのわずかばかり自分に憐れみを抱いていると知っても、喜びはしないだろう。
それが、あの男の選んだ道だった。
そうして、足を止める機会はいくらでもあった筈なのに
**
「この松明を海に落とせば今度はハッタリでなく、あの港は吹き飛ぶ」
〈傷痕の男〉がひくひくと頬の傷を引きつらせて、ティアとコーネルに向き合う。
コーネルはそれを見て「ちっ」と低く舌打ちした。
「そんな事をしてなんになる?みっともねぇ上にあんたらしくもねぇ」
コーネルが冷ややかに吐き捨てるのに、〈傷痕の男〉はなおも頬をひくつかせ、唾を吐いて叫ぶ。
「うるせぇ!せっかくここまで来たんだ!誰も馬鹿にして取り合わなかった俺の夢が、今目の前にあるんだよ!」
「諦めきれるか……!」と〈傷痕の男〉は目を血走らせてティアを見た。
その執念を前に、ティアは呆れてぶくりと一つ息を吐く。
「……今更、お前に勝ち目はない。コーネルの言う通り、お前のしていることはただの悪あがきだ」
「うるせぇ!黙りやがれ!」
松明を掲げたまま〈傷痕の男〉はじりじりと後ずさる。
「……とはいえ、此処は退かせてもらうぜ。おれぁ、諦めねぇ、目指す物が手を伸ばせば届く場所にあると分かったんだ。何度だっててめぇを狙ってやる」
「そうはいかない。お前の野望は、今ここで潰える」
ティアがじりっと歩を進め、にじり寄るのを見て〈傷痕の男〉は大きく身を引く。
「来るんじゃねぇ!それ以上、一歩でも近づいたら松明を海に投げ入れるぞ!」
船の舳先から松明を突き出し、今にもその手を放そうとした──
──「やってみろよ」
ティアが
それを聞いて、〈傷痕の男〉ばかりか、コーネルもぎょっと目を見開いた。
「やってみろ。その後、どうなったとしても追い詰められるのはお前自身だ」
ティアが重ねて告げるのに、〈傷痕の男〉は呆然としていたが「なめやがって……!」と烈火の如く怒り狂った。
「俺が今更躊躇うとでも思ってんのか?『水溜まり』、てめぇなんかにここで殺されるぐらいならよ!派手にこの港吹っ飛ばしてから死んでやるぜ!」
「おい!」
コーネルが堪らず飛び出すのを、ティアが押し留める。
「船長!?」
「ひひっ……。『水溜まり』よぉ、てめぇは結局、人の心を知らん化け物だ!」
ティアを見下ろし、〈傷痕の男〉は醜い傷痕の残る頬を大きくつり上げて、満面の笑みを浮かべた。
そして、火の点いた松明を海へと投げ入れた。
〇
港は──
〈翠緑の港〉は──
吹き飛んだりはしなかった。
何秒経っても、いくら待っても、ただ強く吹き付ける風だけが響いていた。
「なんで……」
〈傷痕の男〉がうめいて、後ずさる。
「なんでだよ!?ちくしょぉおおおおおおおっ‼」
絶叫し、ぜぇはぁと肩で息を吐く〈傷痕の男〉をティアは舶刀を手に見据えた。
「港をよく見てみろ」
「……あぁ?」
ティアが油断なく告げるのに、〈傷痕の男〉がのろのろと港の桟橋を振り返る。
そこに〈翠緑の港〉の住民が総出になって、港に残っていた〈傷痕の男〉の手下を縛り上げ、拘束している光景が広がっていた。
そして、その中央に堂々と立っている小さな人影が見えた。
「あの……ガキ……」
先日、船の上で対峙した年端もいかない少女。
臙脂色のコートに、赤い帽子を吹き付ける風にはためかせ、じっとこちらを見据えている、その視線。
それが確かに自分を捉えていることに〈傷痕の男〉は腹の底から噴き上がるような怒りをおぼえた。
「あの、クソガキぃ……!」
最後の最後に自分の足元をすくったのが、自分に対して分かった風な口を聞いたあの小娘だったなんて──
そんなの認められない。
〈傷痕の男〉はしゃにむに火の点いた木材を投げつけ、ティアとコーネルの間をがむしゃらに突進して突破する。
そのまま〈大鮫号〉の浸水する船内へと〈傷痕の男〉は駆けた。
今にも沈み込みそうな船体だが、辛うじて船首部分は水に浸かっていない。
そこに、最後の最後に自分を
船首に積まれた砲台。
先ほどの砲戦で砲門は開かれたままになって、都合のいいことに砲弾と火薬も詰まっていた。
最後の最後に、運命は〈傷痕の男〉に微笑んだようだった。
「〈傷痕の男〉!」
そこへ、ティアが駆けてくる。
彼女を振り返り、〈傷痕の男〉は凄絶に笑んだ。
「一足遅かったなぁ、『水溜まり』。てめぇはこの後、俺を切り刻むんだろうが、それより先に、こいつを港にぶち込んでやるよ!」
「なんだと……!?」
「へっ、へへ……当たり所が悪きゃよ……。港に仕込まれた爆薬に引火して、そのままあの港は木っ端微塵だよ」
「そこから一歩も動くなよ」と、〈傷痕の男)は火打石を手に砲台の導火線に近づく。
ティアはぐっと唇を噛み締め、仁王立ちになっている。
だが、やがて、ぶくりと息を吐くと舶刀を床に投げ捨てた。
「貴様の執念には負けた。私の負けだ。……樽に詰めるなり、切り刻んで瓶に詰めるなり、なんでもして私の体を持っていくがいい」
「ああ……?」
「だから、あの港には手を出すな」
そう言ってティアは、軽く両手を広げて〈傷痕の男〉の前に立った。
「抵抗はしない。やるんならさっさとやった方がいいぞ?」
「なっ……てめぇ……」
〈傷痕の男〉は自分の舶刀を握り締める。
「何を企んでやがる?」
「今の私はあの子や、あの子の故郷や家族を守るのが第一だ。貴様の執念には負けたと、そう言っているんだ」
「どうした?」とティアは拳を握り締める。
「お前がその一生を懸けて追い求めた伝説が、今目の前にあるんだぞ?」
「…………っ」
〈傷痕の男〉はティアに向けてじりじりと油断なくにじり寄った。
誰にも相手にされなかった──
バカげた夢だと、鼻で笑われた──
その伝説を証明する手立てが、今、目の前に──
〈傷痕の男〉が、そう自分の夢に指がかかった手応えを感じて舶刀を振るおうとした、その時──
ティアの体を突き破って、太い
「なあっ!?」
目の前にまで迫っていた〈傷痕の男〉は突然、ティアの体を貫いて飛んできた銛の鋭い尖端を避けきれなかった。
鋭く尖った銛の尖端に深々と腹を貫かれ、〈傷痕の男〉は大量の血反吐を吐いた。
「が……はっ……!」
〈傷痕の男〉は浸水する船内の床を滑って、ずるずると船内に流れ込んでくる冷たい海水へと沈んでいく。
体の底からはい上がってくるような冷たい水の感触。
全身が水に浸かった〈傷痕の男〉は目の前が自分の流した血の色に染まるのを見た。
それが彼の見た、最期の光景となった。
**
ティアは自分の体と、新調した服とコートに空いた大穴を見て息を吐いた。
「ああするしかなかったんだ。申し訳ない……」
すまなさそうな声に振り向くと、そこに、ロレッタの父親──カルドスがいた。
彼は、自分の手で決着をつけるつもりで〈大鮫号〉に乗り込んできたのだろう。
「いいや、あんたが〈傷痕の男〉を狙っていたのは私には分かっていた」
最後の最後、銛を構えたカルドスの姿を〈傷痕の男〉から隠す為に、ティアは〈傷痕の男〉に、自らの肉体を餌に立ち塞がったのだった。
ティアは何事もなかったかのように塞がる自分の体の穴に、小さくうなずいた。
「服は後で直してもらったらいい」
コートに空いた穴に革手袋の指を突っ込み、改めてカルドスに向き直る。
「こちらこそ助かった。礼を言うよ」
そう言うと、カルドスもまたふっと息を吐いてかぶりを振った。
「今、ここであの男とケリをつけることができたのは……、とっさにあの男の裏をかく動きができたのは、あんたも、俺も……どちらも自分以上に大切なものの為に動いたからだ」
カルドスが意味ありげに「分かるだろ?」と確かめるのに、ティアもうなずいた。
「……確かにな」
ふっと力が抜けてよろめいたカルドスの体を、ティアはとっさに助け起こした。
そして、〈傷痕の男〉の亡骸と共に沈んでいく〈大鮫号〉を後にする。
強く叩きつけるような雨が降り始めた。
〈戦乙女号〉の甲板に戻ったティアとカルドスは港の方角を同時に振り向く。
その桟橋で自分たちを待っている、一人の少女の姿。
二人はその娘の姿を雨にけぶる景色の中で見詰めた。
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