第三話 決戦へ向けて

 **


 横から殴りつけるような風の中、港に入ってきた〈戦乙女号〉.


 その船体に、船首に人を丸呑みにしそうな巨大な鮫の大顎の骨を掲げた〈大鮫号〉が近づく。


 お互いに帆を畳み、慎重に横づけをした二隻の船。


 その甲板の上に、彫像のように黙然とたたずむ互いの船員たち。


 「……私たちの方から行こう」


 二隻の船に足場が掛けられ互いが行き来できる状態になると、ティアが両脇に控えるアルトーとコーネルの二人を振り返った。


 どちらも無言のままうなずき、ティアの背中に付き従って〈大鮫号〉へと移った。


 張り詰めた空気の中、ティアは〈大鮫号〉の甲板の上で部下を引き連れた〈傷痕の男スカー〉と無言のまま向き合った。


 「まさか、今更約束を果たしに来るとは思わなかったぜ。『水溜まり』よぉ」

 「……ロレッタの父親は、カルドスは無事か?」


 雨の交じる風の中、ティアが問うと〈傷痕の男〉が鼻を鳴らして、自らの手に持った鎖を引いた。


 「ここにいるぜ」


 すると、鎖に引かれて、埃と汗に汚れた男が引きずり出された。

 ティアは一瞬驚いたが、カルドスが顔を上げるとその瞳には、思った以上に力強い落ち着いた光が宿っていた。


 ティアは、カルドスと目が合うと、かすかにうなずいてみせた。

 その様子を横目に見ていた〈傷痕の男〉が短く鼻を鳴らす。


 「それで?てめぇらは約束を果たしにここに来たのか?そうでないなら、今、この場でこの銛打ち野郎の首を斬り落とすことになるが……」


 すらりと舶刀カットラスの刃を抜いた〈傷痕の男〉に、ティアが「待て」と静かに鋭く制止の声を放った。


 「結論を急ぐなよ、〈傷痕の男〉」

 「あぁん?」

 「私たちはちゃんと、貴様の目の前に〈生命の泉水〉を持ってきてやった」


 それを聞いて〈傷痕の男〉は大きく目を見開いた。

 ティアは吹き荒れる風の中で、ゆっくりと両腕を組んで〈傷痕の男〉を見た。


 「お前が傷を負わせ、海へと落とした娘を覚えているか?」

 「……ああ。なんだったかなぁ?そんな昔のことは覚えちゃいねぇ……」

 「あの娘は、ロレッタは生きているぞ」


 それを聞いて〈傷痕の男〉は唖然とし、その横でカルドスがはっと顔を上げた。


 「あの娘は〈生命の泉水〉により命を取り留めた」

 「……そんなたわ言、信じられるわけが……」

 「嘘だと思うなら勝手にしろ。だが、確かに〈生命の泉水〉はここにある」


 ティアの落ち着き払った態度に、それが嘘でないことを〈傷痕の男〉も悟った。

 黙り込む〈傷痕の男〉の前でティアはゆっくりと革手袋を外し、自らの澄んだ水が巡り続ける手を掲げた。


 その内に、多くの生命を巡らせる肉体。


 「私自身が、この肉体自体が〈生命の泉水〉だ」

 「んだと……」


 ティアが吹き付ける風の中告げると、〈傷痕の男〉は唖然とした表情を浮かべた。

 その周囲にいた彼の部下も、どよめきの声を上げた。


 「私たちは約束を果たした。今まさに、お前の目の前に〈生命の泉水〉はある。そこから先はお前次第だ。〈傷痕の男〉」

 「…………」


 〈傷痕の男〉は何度も考えを巡らせるように沈黙していた。 

 しかし、やがてまぶたを閉じ、深くうなずいた。


 「なるほどな。今更こんな手の込んだ嘘をつく理由はねぇな」

 「約束を果たしてもらうぞ。カルドスを解放しろ」


 ティアが油断なく告げると、〈傷痕の男〉は「ひひひ」と白い歯をむいて笑う。


 「いいだろう。今更、こんな死にぞこないを惜しむ理由はねぇよ」


 そう言って、〈傷痕の男〉はカルドスの足枷に繋がれていた鎖から手を放した。

 錆の浮いた鉄の鍵を甲板の上に放りだされて、ティアはそれを見下ろす。


 ティアがちらりと両脇にいるアルトーとコーネルに顔の水面を向ける。

 彼らがかすかにうなずくのを確かめ、ティアは〈傷痕の男〉の投げた鍵を拾い上げようと前へ進み出て、身をかがめ──


 ──そこへ、すかさず舶刀で斬りかかってきた〈傷痕の男〉を、するりとティアは水の流れる体さばきで避けきった。


 「……そう来ると思ったよ」


 ティアも言いつつ、腰の鞘から舶刀を抜いて〈傷痕の男〉の刃を弾き返す。


 その攻防を受けて、両脇のアルトーとコーネルが同時に動いた。

 コーネルが周囲の海賊たちを牽制し、アルトーが素早く鍵を拾い上げてカルドスの足枷を外した。


 「船長!こちらへ!」


 アルトーがすかさずカルドスを抱えるように助け起こしながら〈戦乙女号〉の船上へと退いていく。次々と襲いかかる海賊たちをティアとコーネルの二人が斬り捨てながら、アルトーに続いた。


 後に続いたティアと共に渡り切った所で、二隻の船の間に掛けられていた足場をコーネルが素早く蹴り落とす。

 同時に、ティアが水の流れを操り、素早く〈大鮫号〉から距離を取った。


 なおも〈戦乙女号〉に乗り込もうとした海賊たちが、次々と荒れて濁った海の上へと落ちていく。


 離れていく〈大鮫号〉から憎々しげに睨む〈傷痕の男〉が、ぐるりと首をめぐらせ、部下へと命じた。


 「砲戦の準備をしろ!あいつらのどてっ腹に風穴をこしらえてやれ!」


 それを聞いてティアもすかさずコーネルを振り返る。


 「コーネル、頼んだぞ!操船と回避は私がなんとかする!」

 「了解!」


 そう言って砲門へと駆けるコーネルが腹から声を張り上げて応じた。


 息を吐いて膝を突くカルドスの介抱をしていたアルトーがティアを振り向いた。


 「操船と回避は船長がするって……」

 「お前はカルドスを船内に連れて、どこでもいいからしがみついてろ」


 アルトーに命じて、ティアはばっと革手袋に包まれた手を掲げた。


 「今の私は余力十分だ。……派手にやるから、必死でついてこい」


 ティアの宣言に、アルトーは顔を青くしながら、慌ててカルドスを連れて船内へと駆け込んでいった。


 **


 海賊たちはほぼ全員が港へと出払っているようだった。


 ロレッタたちは慎重に進んではいたが、地下道に人の気配はない。

 〈翠緑の港ポートエメラダ〉の子供たちと共に探検して回った地下道の記憶を頼りに進んでいくと、地下道は地上へ続く階段に行き当たった。


 「ここから、地上の砦に繋がっているはず」


 確かに記憶にある階段にロレッタがうなずく。

 大槌を背に担いだロッコが注意深くカンテラの光を透かして様子をうかがった。


 「……そうだね、ひとまず安全そうだ」


 ロッコの言葉に、ロレッタもイシュマーと共に、地上の砦に続く階段を上がろうとした。


 と──


 「待ちな!誰か来る!」


 ロッコが素早く太い腕でロレッタたちをさえぎり、片手に大槌をつかんだ。


 ロレッタはイシュマーと共に退き、ロッコが大槌を両手に持ち替え振りかぶった。


 そこへ、階段の上から下りて来た人影が飛び込んできて──


 ──「ちょっと……ちょっと待って!ロッコ!」


 はっとしてロレッタは大槌を振りかぶったロッコの手をつかみ、引き止めた。

 その目の前で「うわあ!」と悲鳴を上げた人影が、足を滑らせ、その場に背中から倒れ込んだ。


 「ちょっと、大丈夫!?」


 ロレッタがその倒れ込んだ相手を見下ろし、手を掴んで助け起こす。

 その相手は目をぱちぱちと何度もしばたいて、ロレッタを見詰めた。


 「ロ、ロレッタ……?なに、そのカッコ……?」


 ロレッタの幼馴染の少年──ローダンが目を白黒させて、そう尋ねた。


 〇


 「えっと、みんな長いこと、砦の中に閉じこもって……疲れてる」


 ローダンが困惑しながらロレッタたちを砦の中へと案内する。


 「海賊たちが道を押さえてて町の方へも戻れないし、水や食料は逃げ込む時に手分けして持ち出してなんとかなってるけど、それ以外は……」

 「そうだよね。……十日間も、砦の中に閉じ込められてたんだもん」


 「大変だったよね」とロレッタが同意を示すと、自身も疲れた表情を浮かべたローダンが振り向いた。


 「俺……どうにかしたくって、地下通路をあちこち調べてたんだ。そこで、あの地下牢でカルドスさんも見たよ」

 「父さんを?」


 ロレッタが息を呑むのに、ローダンがこくりとうなずいた。


 「俺、カルドスさんだけでもどうにか助け出したかったけど……ついさっき連れ出されちまった。……ごめん、ロレッタ、俺、なんの役にも……」

 「そんなことない」


 ロレッタは力強く、ローダンの肩をつかんだ。


 「ローダンが時間をかけて地下通路を調べてくれたのは、あたしたちがこれからやろうとすることに、絶対に助けになる。……父さんだってきっと、あたしの仲間が助けてくれるはず」

 「これからやろうとすること……ロレッタの、仲間?」


 ローダンが困惑しつつ首をひねるのに、ロレッタは深々とうなずいた。

 そうして、背後に続くイシュマーとロッコを振り返った。


 「うん。その仲間と、あたしたち……〈翠緑の港〉のみんなで力を合わせれば、絶対に、海賊たちから港を取り戻せる」

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