第二話 落日、集う運命
**
ティアの部屋で、ロレッタはティアと共に身なりを整えていた。
鮮やかな羽飾りの付いた帽子をアルトーから手渡され、ロレッタは首をひねる。
「何度も皆で話し合って作戦は分かったけど、これって必要なこと?」
「船乗りってのは、度胸があってハッタリを利かせた奴が一番偉いんですよ」
華やかな金色の
「それには外見から入るのが一番手っ取り早い手です。お嬢は度胸は申し分ありませんし、沢山の人を説得するってんなら、必要なことですよ」
「そうなのかなあ」
ロレッタは得心がいかなかったが、その
「よく似合っていると思う」
「……ティアがそう言うんなら、信用するけど」
ロレッタはアルトーの手から羽飾りの付いた鮮やかな赤い帽子を受け取る。
それを形よく整えて頭に被ると、ティアがうなずき自分も群青色の分厚いコートを羽織り、新しい帽子を被った。
「着飾るのは、それだけ精神的優位に立つ常套手段だ」
ティアが姿見に自分の姿を映し、一つうなずいた。
「少なくともみすぼらしい姿でいるよりはいい。取れる手は何でも最大限使おう」
そして、顔の水面にロレッタを映して、ティアはじっと見詰めた。
「これが、奴との最後の決着をつける戦いだから」
〇
水平線の向こうからその港町の遠景が見えた時、そう長い間遠く離れていたわけではないというのに、ロレッタはひどく懐かしく感じた。
これまで、ほとんどその外に出た事はなく、自分の世界そのものでもあった、小さな小さな港町。
〈
ロレッタや、他の船乗りの帰りを岩だらけの岬の突端で待ってくれている。
今はまだ──
「風が出てきたな」
〈戦乙女号〉の船員の揃う甲板の上で、ティアがふと頭上を見上げてつぶやく。
その言葉にロレッタも同様に空を見上げると、西の空に黒い雲が広がっていた。
「嫌な風向きだな。これ以上は帆を上げて近づけないかもしれない」
「……ここから先は、私が〈戦乙女号〉を動かそう」
ロッコが風になびくマストの上の旗を見上げて顔をしかめるのに、ティアが組んでいた腕を解いて、片手を掲げた。
「日没が近い。私はこのまま船を港へ近づけるから、全員持ち場についてくれ」
甲板に集まる自らの船員を振り返り、ティアが命じる。
ロレッタもボートに向かおうとした時だった。
「ロレッタ」
ティアに呼び止められ、ロレッタは振り返る。
すると、すぐそばに立っていたティアが軽く片手を背中に回して抱き寄せてきた。
「ティア……」
「私は〈
ティアはロレッタをじっと見下ろした。
「ロレッタ自身の力も必要なんだ。でも私は、ロレッタなら必ずやれると信じている。……私も、私の全ての力をもって、奴を討ち果たす」
「今度こそ」と決意を込めて、ティアはロレッタの背に回した手に力を入れた。
「これ以上、奴に何も奪わせない。そして、奴の命をもって罪を償わせる」
「うん」
ロレッタはティアの手をつかんでこくりと頷いた。
「お願い、父さんを、助けてあげて」
「任せておけ」
最後にぽんと軽くロレッタの背中を手で叩いて、ティアは船首の方へと向かっていった。その背中を見送り、ロレッタは改めてボートへと向かう。
既に海面の上に出されたボートの上にはイシュマーとロッコ、二人の精霊種がロレッタを待っていた。
「港にいる海賊たちに気付かれるわけにいかないよ」
「私たちも行動を開始しよう」
二人が口々に言うのにうなずき返し、ロレッタはボートへと乗り込んだ。
**
〈大鮫号〉の甲板の上に引き立てられたカルドスは、久しぶりに感じる外光の眩さに目をしばたいた。
潮の香りを含んだ外気は、むっと湿り気を帯びて強い風が吹いていた。
──大陸南岸の夏にはよく起こる激しい嵐の気配がした。
長い時間降り続くわけではないが、小さな舟は引っくり返ってしまうほど風が荒れて、雨が激しく打ち付けるのだ。
「ちっ、嫌な天気だ」
自分の足かせに繋がれた鎖を握った〈傷痕の男〉がいまいましそうに空をあおぐ。
額の傷がうずくのか、顔をしかめる〈傷痕の男〉の横顔をカルドスは見た。
「あんたにも思う通りにならんことはあるようだ」
ぼそっとつぶやくと、途端に足枷に繋がった鎖が強く引かれ、〈大鮫号〉の黒く塗られた甲板の上に叩きつけられた。
「余計な減らず口を聞くんじゃねぇよ。どのみちあとわずかの命なんだからよ」
冷ややかに吐き捨てる〈傷痕の男〉の声を聞きながら、カルドスはぐっと下腹に力を込めて立ち上がる。
(大丈夫だ)
カルドスには小さな、しかし確かな予感がある。
「ふん、懲りもせず来やがったか……」
〈傷痕の男〉が吐き捨てるように言う声に目を開くと、入り江の外の沖の海から港へと、風に逆らい近づいてくる船の姿が見えた。
十日前、〈大鮫号〉と一戦を交えた、あの船乗りの船だ。
(これから先、何が起こるにしても……この男の思う通りには絶対にならない)
カルドスは〈傷痕の男〉の背を見詰め、静かな確信を抱いた。
これから自分の目の前で、何が起こるにしても。
**
「よし、港の海賊たちの目は〈戦乙女号〉の方に向いている。わたしたちは今の内に動くぞ」
「うんっ」
ロッコが素早く櫂を手繰ってボートを港から少し離れた砂浜へ進める。
ロレッタも彼女と同様に素早く櫂を取ってボートを漕いだ。
黒い雲が近づき、風が強く吹き始めている。
みるみる間に波が高くなるのに、ロレッタも急いでボートを砂浜へと近づけた。
砂浜にボートが着くと、ロッコと一緒に肩で息を吐きながら砂浜へと降り立った。
続いてイシュマーが降りるのと同時にむわっと湿気を含んだ風が吹き始める。
嫌な天気だ。大きな嵐が近づいている気配がする。
雨風が自分たちと海賊たちのどちらに有利に働くか分からないが、今はなるべく急いだ方がよさそうだった。
足を急がせつつ、ふと〈翠緑の港〉を離れたあの日のことをロレッタは思い出す。
あの時、海の上にこぼれ落ちた自分の涙。
〈翠緑の港〉を離れるのを夢見ていたロレッタが、不本意な形で生まれ故郷を離れることになってしまった。
(もし、海賊を倒して〈翠緑の港〉が元通りの平和な港になったとしたら、あたし……)
これまでと同様に、〈翠緑の港〉で父と共に平穏に暮らすのだろうか。
当然、父はかけがえのないただ一人の家族だ。
今回のことでそれがよくよくロレッタも身に染みて理解ができた。
父の身は心配だし、これからも父を支えて暮らすのが嫌なわけではない。
でも──
ロレッタは港に見える、次第に〈大鮫号〉へと近づく〈戦乙女号〉を振り返った。
父を人質に取られ、何度も危険を感じて、心躍るとはとても言えないような十日間の冒険の日々だった。一度は実際に命を落としかけたことだってあった。
だけど、確かに自分はあの船で、ティアと、仲間たちと共に冒険をした。
ティアは〈傷痕の男〉との決着をつけた後は、以前のように一人、大陸南岸の海を〈戦乙女号〉と共に
集まった仲間とも、ロレッタとも別れて、ただ一人。
それは行くアテも目的もない、ただ
それに──ロレッタがついていく事を、ティアもカルドスも許しはしないだろう。
──「ここが、あんたらの言ってた地下の通路かい?」
ロレッタがじっと〈戦乙女号〉を見詰めていると、不意にロッコが前方を指差し、声を掛けてきた。
はっとしてロレッタが振り向くと、岩場の奥に、あの日も港に向かうのに使った地下通路へ続く洞穴の入り口が見えていた。
「うん、あそこから、港の地下に……そして、町の地下や砦につながるはず」
「なるほどね。異種間戦争時代の遺構ってわけか」
ロッコが納得したたように腕組みをしてうなずく。
「あれから海賊たちが中に入り込んでいるかもしれない。注意深く進もう」
イシュマーが注意を促す声に、ロッコもロレッタも同時に振り向き同意した。
三人で身を寄せ合うように、洞窟へと足を踏み入れる。
それと同時に背後から、ぽつぽつと雨の降り始める音がした。
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