第七章 決戦の時
第一話 再び、〈翠緑の港〉へ
**
レンシとハルル、そしてコーネルに救助されたロレッタとティアはその日の内に〈戦乙女号〉へと帰還した。
ロレッタはすぐには身動きが取れないほどに衰弱していたし、ティアも一言も口を聞かず、知らされた自分の正体や様々なことに思いを巡らせている様子だった。
担架に乗せて運ばれるロレッタを見て、イシュマーとアルトーが駆け寄った。
最初は深刻な表情を浮かべていたが、ロレッタが言葉を交わせる状態だと分かると、二人の集中砲火が始まった。
──まあ、それも仕方のないことだと、ロレッタは受け入れた。
「今回の行動でお嬢の褒められる点は、命は落とさず帰ってきたことだけです」
「あんまり心配を掛けさせないでおくれ」
アルトーとイシュマーは互いに額に羽と手を当てて、力なく息を吐いた。
「寿命の縮むような真似は金輪際やめて欲しいよ」
「はー、全くです」
結局、イシュマーとアルトー二人のお説教をベッドのあるティアの部屋に運ばれるまで、延々と聞く羽目になった。
ベッドに寝かされた後は、ロッコが一通り体の状態や傷の具合を確認した。
だが、ナイフが刺さった背中を見て、ロッコはそっと肩甲骨の間辺りを触れて「傷一つないよ」と首をかしげた。
「本当に、そんな深い傷を負ったのかい?」
「……うん。あれが、夢や幻……とは、思えないけど」
深々と刺さった刃の冷たさを、ロレッタは確かに覚えている。
「ふむ」とロッコは顎に手を当ててうなっていたが、やがて一つ息を吐いた。
「あんたの話が本当なら、ティアの体にはそれだけの深手を瞬く間に癒す効果があるってことになるけど……」
「……コーネルや、レンシとハルルには直接現場を見られた。アルトーやイシュマーには、ティアから話すと思うけど」
「そうだね。あんまり無闇に口外していいことじゃないね」
「心得てるよ」と、ロッコは腕を組み、深々とうなずいた。
そうして、ベッドの上に横たえられたロレッタの肩まで、毛布を引き上げた。
「ロレッタは安心して体を休めて体力を戻しな。それが今のあんたの仕事」
「……うん、ありがと」
ロレッタはロッコが軽くぽんと分厚い手で肩を叩くのにうなずき、目を閉じた。
ロッコが部屋を出ていく足音が聞こえた。そう思った途端に、ロレッタはまぶたが重くなり、深い眠りの淵へと落ちていった。
〇
次にロレッタが目を覚ました時、辺りは明るくなっていた。
少しの間ぼうっとしていたが、気配を感じてベッドの上から振り向くと、ティアが海図を前にして、航路や方角などを確認している姿が見えた。
「ティア……」
かすれた声でロレッタがその名を呼ぶと、海図を見ていたティアが顔を上げた。
「ロレッタ、目が覚めたか」
「ティアの方は……平気なの……?」
ロレッタが体を起こそうとすると、ティアが歩み寄ってそっと肩を押し留める。
「私の心配はしないでいい。もうすっかりいつもと変わりない」
新しい服を着てコートを羽織ったティアは、外見はすっかりいつも通りに見える。
「あの、『外』のこと、だけじゃ、なくてさ……」
「……分かってる」
あのティアの『内側』で見た、涼やかな女騎士の顔の輪郭を形作る水面が上下するのを、ロレッタは見詰めた。
「私の正体、私の肉体のこと……私の、内にいる姫様をはじめとした多くの命のこと……」
ティアは革手袋をした自分の手を見下ろし、ぎゅっと音を立てて握り締めた。
「確かに、今すぐ全てを受け入れられるわけじゃない。……これまで長い間、本当に長い間、自分自身のことさえ何も分かっていなかったんだと改めて知らされた」
「ティア……」
ロレッタがベッドの上から手を持ち上げ、軽く革手袋の上からティアの手に触れる。水の詰まった袋のようなその感触を軽く握り締めると、ティアがそっと握り返してきた。
「だが、姫様のお陰でロレッタが今もこうして無事でいる。それが……今の私には、なにより大事なことだから」
そして、ティアは手を放し、再び元の海図の前へと戻っていく。
そこで──ようやくロレッタも〈戦乙女号〉が何処かへ向けて動いているの気が付いた。
「何処へ、向かっているの?」
ベッドで横になったままロレッタが尋ねる。
ティアがぎゅっこ音を立てて拳を握り締め、ロレッタの方へと顔を向けた。
「……〈
「それって……!」
ロレッタが声を上げると、ティアが腕を組み「ああ」と短く、しかし確かな決意を込めてうなずいてみせた。
「もう待つ必要はない。今度こそ、〈
**
〈翠緑の港〉の下に張り巡らされた、かつて自分たちの先祖であった海賊たちが作ったという地下通路。
その地下牢の中で、カルドスはじっとまぶたを閉じ心を静めていた。
今の自分に抵抗する術はない。
おそらく、自分が死ぬか生きるかの期限までにはもう時間は残り少ない。
だからといって、心まで折れてしまってはいけない。
(でないと、次に会った時、あの子に顔向けができない)
カルドスの肉体は確実に弱っていたが、覚悟が固まったことで心は凪いでいた。
ただひたすらに、カルドスは心を落ち着かせ、時が過ぎるのを待った。
そうして、闇の中でじっと座っていると──不意に足音が聞こえてきてカルドスは目を開いた。
自分を閉じ込める鉄格子の向こうに、若干よろけつつ、痩せた男の姿が現れた。
ぐっと鉄格子をつかんでこちらをのぞき込むその姿に、カルドスは口を開く。
「……〈傷痕の男〉」
「よお、カルドスよぉ」
〈傷痕の男〉は額に巻いた包帯に血をにじませていた。
「明日の日没がてめぇの処刑の刻限だからよ。知らせに来てやったぜ」
「そうか」
カルドスがまぶたを伏せて淡々とつなずくと、〈傷痕の男〉は意表を突かれた様子で目を見開いた。
「……随分と落ち着いてやがんな。怖くねぇのかよ、ええ?」
「じたばたした所でどうにもならんのは一緒だ。逃げも隠れもしないというより、逃げも隠れもできん。……よく分かっているさ」
カルドスが静かに吐息と共に言葉を吐き出すと、〈傷痕の男〉はひくりと頬の傷を引きつらせた後で気に入らなさそうに息を吐いた。
「はっ……覚悟はできてるってか?ならこれはどうだよ」
〈傷痕の男〉はがしゃっ、と音を立てて鉄格子を揺らした。
「てめぇのガキは死んだぜ、カルドス」
「……なんだと?」
カルドスが目を見開くと、〈傷痕の男〉は「ひひひ」とにやけた笑みを浮かべて、なおもなぶるようにカルドスに言葉を投げかけた。
「そうだ、あのガキは死んだ。俺が殺してやったよ。背中からナイフで突き射してやって、海に落ちてよぉ。あんなガキが独りぼっちで暗い海の中で死んじまったよ」
「…………」
〈傷痕の男〉が
カルドスはしばらく黙っていたが、深々と息を吐き口を開いた。
「それは違うな」
「あぁ?」
「お前はそう思い込んでいるのかもしれんが、ロレッタは生きている」
カルドスが落ち着き払った態度で静かに告げると、〈傷痕の男〉はぽかんと口を開いて、唖然としてカルドスを見ていた。
だが、すぐに嗜虐的な笑みを浮かべて腕を組む。
「おいおい、長い事真っ暗な闇ん中にいて頭がいかれちまったか?おれぁ、この目で見たんだぜ、あのガキが血を流し、海へ落ちるその様をよ」
「お前が嘘を言っているとは思ってない。ただ、それでもあの子は生きていると、俺はそう信じている。そういう話だ」
カルドスが少しも取り乱した様子もなく話すのを、〈傷痕の男〉はひくっ、と傷痕の残る頬を歪めて、黒い目を細めた。
「……そうかよ。だがどっちみちてめぇはもう、あのガキには会えねぇぜ」
〈傷痕の男〉はがしゃん、と激しく鉄格子を蹴りつけた。
「明日の日没、直々にてめぇの首を斬り落として港に掲げてやるよ、銛打ち野郎」
そのまま肩をいからせ、地下通路の床を踏み締め去っていく〈傷痕の男〉の足音を聞きながら、カルドスは再び闇の中、目を閉じた。
そのまぶたの裏に──十年前の嵐の夜から共に過ごしてきた最愛の娘の姿が映る。
(娘……そうだ、あの子は俺の娘だ。誰がなんと言おうと、俺は本当の娘としてあの子に接して、愛情を注いできた)
十年の月日を共に過ごした自分の直感が告げていた。
ロレッタは生きている。
あの子の運命がここで尽きることはない。
誰も見たことのない海の果て、誰も知ることもない不思議へと続くロレッタの道。
こんな場所で途切れてしまうものではないはずだ。
カルドスは胸に満ちる確信を込めて、闇の中息を吐く。
そして、自分の運命をただじっと待ち続けるのだった。
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