第四話 悲劇
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ロレッタは素早く船縁から甲板へとはい上がり、声の限りに叫んでいた。
自分が声を張り上げ叫んだのは、ボートで待機しているコーネルに、当然、海賊船の周囲で様子をうかがっているレンシとハルルに届いているはずだ。
──あとは、コーネルに言われた通り、出来る限り時間を稼がねば。
樽に詰められ、〈
当然──その場に居合わせた海賊たちも。
それでもロレッタは怯むことなく、ティアに恨みを持って集まった海賊たち──〈傷痕の男〉に集められた、大陸南岸の荒くれどもに鋭い目を向けた。
「馬鹿じゃないの!?自分たちの欲望に任せてやりたい放題やってきて、その癖、自分たちがやられた時はいつまでも根に持って」
ロレッタは鼻で息を吐いて、吐き捨てた。
「挙句に〈傷痕の男〉にそそのかされ、いいように手駒に使われ、その尻馬に乗って恨みを晴らすってわけ?」
「みみっちいにもほどがあるわよ‼」と、ロレッタが指差し
その場の海賊たちは一瞬、息を呑んでロレッタを見ていた。
しかし──すぐに顔を真っ赤にして殺気立って、ロレッタに向かってくる。
──「まあ、待てよ」
その時、薄ら笑いを浮かべた〈傷痕の男〉がティアの詰められた樽に足を掛けて、部下を押し留めた。
「てめぇの顔にゃ見覚えがあるよ。威勢のいい嬢ちゃん。……確か、カルドスの娘だったなぁ?」
「そうよ……。あんたが今人質に取ってる男の、娘よ」
〈傷痕の男〉と向き合って、ぎゅっとロレッタは唇を噛む。
真っ向から〈傷痕の男〉に
「ロレッタ……やめ、るんだ……」
「ちょっと待っとけ、『水溜まり』。意外と面白そうだしよ、少しあのガキと話をさせろや」
笑いながら〈傷痕の男〉はガンッと樽を蹴りつける。
大きく揺れた黒い水の中でティアの体が揺さぶられ、苦しげに身じろぎをした後でぐったりとうなだれる。
その姿を見て、ロレッタは怒りと悲しみで胸がおかしくなりそうになる。
だが──小さく息を吐いて気を落ち着け、〈傷痕の男〉と向き合った。
「てめぇ、どっから忍び込んできた?」
「何処からだっていいでしょ。あたしはあんたと、交渉をしに来た」
「ほう?」と〈傷痕の男〉が、新しい獲物を見つけた鮫のように笑みを浮かべた。
醜い傷痕の残る頬を歪めて
──手応えは悪くない。
狙い通りに〈傷痕の男〉はロレッタを無視できず、食いついてきた。
ロレッタは息を吐く。
口から出任せでもいい。今は少しでも自分に、〈傷痕の男〉とその部下たちの注意を向けさせなければ。
「あたしがあんたの探してる〈生命の泉水〉の在り処をティアから聞いて知ってる。〈戦乙女号〉には船員がいるし、あたしが彼らに指示を出して持ってくる」
「必要ねぇよ。ここに〈生命の泉水〉の在り処を知ってる奴が二人いるってんならよ、口を割らせて、俺自身の手で手に入れりゃいいんだ」
〈傷痕の男〉が
そう来るだろうと思った返答だった。
だから、ロレッタは落ち着いて考えを巡らせた後で、ゆっくり笑みを浮かべた。
「あたしも……」
「あぁ?」
「ティアの話を聞いて、あたしも見てみたくなったの。〈生命の泉水〉の正体を」
〇
それを聞いて、ティアが毒水の詰まっている樽の中からこちらを見た。
──分かっている。〈生命の泉水〉を誰の手にも渡すわけにいかないことは。
でも、今は〈傷痕の男〉の注意を惹きつけ、時間を稼ぐことがなにより肝要だ。
「あたしも手を貸すって言ってるの。あたしならティアを簡単に説得できるかもしれないし、〈戦乙女号〉の船員も、あたしから頼めば従ってくれる可能性は、あんたが脅して命じるより高いと思うけど?」
せいぜい不敵に振る舞っているように見えるよう、ロレッタは腰に手を当てた。
「つまり……あたしとあんたで〈生命の泉水〉の正体を確かめるために、手を組もうって言ってるの」
「なんだと……」
さすがにロレッタのその申し出は〈傷痕の男〉の意表を突いたようだった。
だが、かすかに目を見開いた〈傷痕の男〉は当然すぐ首を左右に振った。
「残念だったな、話にならねぇよ。おれぁ誰の手も借りるつもりはねぇ。〈生命の泉水〉を探すのに、誰とも手を組むつもりは……」
「分かるよ。……別に不老不死が目的で探してるわけじゃないんだものね」
ロレッタは素早く〈傷痕の男〉をさえぎって、言葉を発した。
すると、〈傷痕の男〉は心底驚いた様子で、大きく目を見開いた。
「あんたは別に、自分が不老不死になりたいとか、誰かに売りつけて金持ちになりたいとか、そういう目的で、〈生命の泉水〉を探しているわけじゃないのよね?」」
確信を込めてロレッタが言葉を繰り返すと、〈傷痕の男〉は呆然とこちらを見た。
思った通りの反応だった。
これまで誰にもその真意を言い当てられたことがなかったのだと分かる。
ティアですら、意外な成り行きに言葉を失っているようだった。
「ただ……確かめずにはいられないのよね?周りが誰も信じなくったって、〈生命の泉水〉と呼ばれる薬で自分自身の目で見て、それを実際に手に取ってみるまで納得できないのよね?」
言っている内に、ロレッタの方も確信が深まった。
これまで不気味で残忍な海賊としか思えなかった男の内面が、ほんの少しではあるけれど、理解できた気がした。
自分も──ロレッタ自身も、その一点だけは〈傷痕の男〉と同じだからだ。
船乗りの間の言い伝えや、不思議な伝説。
船すら呑み込むような大魚、美しい姿と歌声で船乗りを惑わせる
「あたしたちは、そういう不思議を自分自身の手で見つけ出したいんだ」
「…………」
〈傷痕の男〉は張り付いたような笑みを消して、ロレッタをじっと見ていた。
そこには初めて、自分自身と似通ったものを持っている相手を思わぬ場所で見つけた、そんな表情が浮かんでいた。
だが──
「……本当に残念だがよ、カルドスの娘」
「…………」
「おれぁ、てめぇみたいなガキの手を借りるほど切羽詰まっちゃいねぇんだよ」
そして、〈傷痕の男〉はすらりと腰に差した舶刀を抜いた。
「……てめぇら絶対に手を出すなよ。このガキは俺が直々にやってやる」
ぎん、と鋭く射殺すような目で周囲の部下を睨みつけた後、〈傷痕の男〉は一歩ずつロレッタに向けて近づいてくる。
「に……げろ……!ロレッタ……っ!」
樽の中から懸命に身を乗り出すティアが叫ぶ声を聞いて、ロレッタは拳を握った。
──もう十分、時間は稼げたはずだ。
ロレッタは背後からひゅっと何かが空を切って飛んでくる音を聞いた。
「っ!?」
〈傷痕の男〉が反射的に舶刀の刃を立てて、自分の顔めがけて飛んできたナイフを叩き落とした。
「ちっ、完全に不意を突いたつもりだが、相変わらず勘の鋭い野郎だ」
ロレッタの背後の船縁から、低くしわがれた声が聞こえたか。
すると、とすっと足音を立てて自分の隣に人影が降り立った。
「貴様……コーネル!」
「よお、あんた、どうやら船長に恨みのある連中を集めたらしいがよ」
甲板に降り立ったコーネルが片手に舶刀を持ち、もう片方の手でナイフをもてあそび、周囲の海賊たちを鋭く睨んだ。
「あんた自身が恨まれ、憎まれる側だってのも自覚した方がいいぜ?」
ぱしっ、と手でナイフの柄を受け止めたコーネルは、鋭い切っ先を〈傷痕の男〉へ向けた。
〈傷痕の男〉は燃え
「まんまとハメてくれやがったな、クソガキぃ‼」
そう言って詰め寄ろうとした〈傷痕の男〉の前に、コーネルが素早く立ち塞がる。
「コーネル……!」
〈傷痕の男〉と渡り合うコーネルに向けて、ティアが叫ぶ。
「毒の仕込んである刀だ……!刃に、触れるな……!」
コーネルはそれを聞いて、舶刀で慎重に相手と距離を取り、投げナイフで隙を狙う構えを取った。
場慣れしたコーネルの立ち回りに〈傷痕の男〉が動きを封じられる。
コーネルは決して自分から踏み込まずに距離を取るのに、〈傷痕の男〉が焦れたように周囲の部下に叫んだ。
「何をぼさっと見てやがんだ!この男を殺せ!ガキをとっ捕まえて俺の前にひざまずかせろ‼」
〈傷痕の男〉の声を聞いて、それまで呆然としていた周囲の海賊たちは遅まきながら動き出したのだが──
「ロレッタ!今ダ!」「船長ヲ助ケテアゲテ!」
水飛沫を上げて海面から甲板へと飛び込んできたレンシとハルルの魚人種の兄妹の二人が、手足の鱗を閃かせ、周囲の海賊たちに飛びかかる。
魚人種のたくましい手足を使った俊敏な立ち回りでレンシとハルルは次々、海賊たちを打ち倒していく。
その時、わずかな隙ではあるが、確実にティアへの道筋がロレッタに開かれた。
ロレッタははすかさず一直線にティアの詰められた樽に向かって駆け抜け、全身の力を込めて樽を突き動かした。
甲板の上に毒水の詰まった樽の中身がぶちまけられ、まろび出るようにティアの体がその中から出てきた。
「ティア!」
ロレッタはすかさず、身動きがまともに取れないティアの体をとっさに自分の上着で包んで肩で支えた。
ティアの体をこぼさないように、懸命に引きずるように船縁まで運んでいく。
「ティア、頑張って!もうすぐだから!」
「ロレッ……タ……」
とにかく、海の中に飛び込めばティアも力を取り戻せる。
そこから全員で海の中に逃げ込めば海賊からも逃れられるはずだ。
この窮地から逃れる光明がロレッタの目の前に見えた、その時──
「ロレッタ!避けろ!」
「えっ?」
コーネルの鋭い警告の声が発されたと思った途端──
自分の背中に何かがぶつかった衝撃をロレッタは感じた。
何か冷たい物が自分の肉を裂いて潜り込んでくる感触がして──
口の中に鉄錆の味がして、ぐるんと視界が上下に反転した。
ロレッタの体は勢いに押されて手摺の向こうへ投げ出され、頭から真っ逆さまに黒い海の上へと落ちていった。
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