第六章 敵は海賊

第一話 思わぬ強襲

 **


 ロレッタが目を覚ました時、〈戦乙女号〉の船上には不穏な気配が漂っていた。


 「なんだろ……」


 張り詰めた空気に不吉なものを感じつつ、ロレッタは船室を出る。

 甲板に出ると、ティアを含めた〈戦乙女号〉の船員が揃って立ち尽くし、船縁から手摺の向こうに広がる唸場を見ていた。


 ここしばらく晴天が続いていたが、今日は鉛色の雲に空が覆われていた。

 風が強く吹いていた。自分の頬に飛沫の粒が吹きつけるのに顔をしかめながら、ロレッタは〈戦乙女号〉の船員たちの背に歩み寄った。


 「何か、あったの?」


 尋ねると、ティアが振り返り、不安げなロレッタの顔を水面に映す。

 続いてアルトーがこちらを振り向き、水平線を羽の先で指し示した。


 「お嬢、あれを」


 アルトーの緊張を隠せない表情にロレッタは横でコーネルの使っていた双眼鏡を受け取り、アルトーの示す先を見た。


 「あれは……」


 武装した船が、真っすぐこちらを目がけて近づいてくる。


 「嘘……」


 ロレッタは唖然としてつぶやいた。


 「あれって……海賊船?まさか……」

 「無関係の船が、わざわざ私たちのいるこの島を目指してくる理由はない」


 狙いは自分たちだ、とティアが固く強張った口調で断定する。


 「俺が、〈傷痕の男スカー〉の一味にツけられたのかもしれん」


 コーネルが苦々しげに顔を歪めるのに、ティアが「今は状況を確認している暇はない」とかぶりを振って打ち消した。


 「すぐに碇を上げてこの場を離れるぞ。まだ準備が整わない内に戦闘するわけにいかない」


 ティアが船員に素早く告げると、すぐさまその場の全員が動き始めた。

 その場にたたずみ、近づいてくる船影を見据えるティアをロレッタは見上げた。


 その顔の水面は、今は静かに人の顔の輪郭を保っていたが──


 ぽつん、と音を立ててティアの顔の輪郭を描く水面に波紋が広がった。


 ロレッタが天を振りあおぐと、鉛色の垂れこめた雲から小さな雨の粒がぱらつき始めていた。


 〇


 雨の降り始める中〈戦乙女号〉は碇を上げ、停泊していた島から離れ始めた。

 ロレッタも、レンシやハルルと共に帆を張って、風を捉えようと試みる。


 風を捉えるまではティアが〈戦乙女号〉の船体を押し流していたが、戦闘になりかねない状況で、船を動かすのに集中すべきか迷いがあるようだった。


 「船長は船の防御に専念してください!」


 必死に舵を操るアルトーが、次第に強まる風の中で必死に叫ぶ。


 「……それが最善だな」


 ティアが掲げていた手を下ろして、苦い思いをにじませてつぶやく。


 「悪いが、この場は頼む」


 ティアは船首に仁王立ちになり、近づく海賊船を見据えていた。

 次第に勢いを増す雨の中で、周囲の景色が白み始める。


 「駄目だ……風向きが悪い……!」


 ロレッタの横で必死にロープを手繰っていたロッコが焦って声を張り上げる。


 「追イツカレル!」


 気が付くと霧のように海上を白く染める雨の向こうから、海賊船が姿を現した。

 船体同士がぶつかりそうなほどの距離に近づいて、ロレッタは大きく目を見開く。


 「〈大鮫号〉じゃない!別の海賊が襲ってきたの!?」


 それは〈翠緑の港ポートエメラダ〉で見た、〈傷痕の男スカー〉の乗る船ではなかった。


 しかし──


 「違う!こいつらは〈傷痕の男〉の一味だ!」


 ティアが舶刀カットラスを鞘から抜いて、雨の中、叫ぶ。


 「別動隊がいたんだ!」


 ティアの声が雨の叩きつける船上に響き渡ると同時に、接近した海賊船の上からいくつも黒い影が〈戦乙女号〉の甲板に向けて飛び降りてきた。


 武装した海賊たちが乗り込んでくるのに、ティアがすかさず舶刀を手に打ちかかっていった。


 〇


 「ロレッタは下がって!」


 次々と接近した船から乗り移ってくる海賊の姿に、イシュマーがとっさにロレッタを背中にかばって退いた。


 海賊たちは、素早く舶刀を振るうティアとコーネル、俊敏な動きで翻弄するレンシとハルルの兄妹によって防がれている。


 だが、これではとても逃げ切ることはできない。


 アルトーが必死で舵を操っているが、雨風の中で制御が利かないようだ。

 ロッコが張ろうとしている帆は吹き荒れる風の中で、もてあそばれるようにはためいている。


 海賊船に並ばれたまま、〈戦乙女号〉は身動きが取れなくなっている。


 次々と甲板の上に飛び込んでくる海賊たちを振りあおいで、ティアが叫んだ。


 「アルトー!このままじゃらちが明かない!船を離せないか!?」

 「分かってます!でも、海が時化しけて、これじゃ……!」


 波が高く叩きつけ、甲板にまで飛沫が上がってくる。

 懸命に操船を試みるアルトーの姿を見て、ティアが顎を引いた。


 自分に斬りかかってきた海賊を斬り伏せ、ティアが叫ぶ。


 「致し方ない!ここは私が引き受ける!お前らは〈戦乙女号〉で一旦、この海域を離れろ!」

 「船長!?」

 「相手の船に乗り移る!私一人であれば、後でいくらでも逃げ出せる!」


 そう言うなり、ティアが片手を掲げて大きく振り下ろす。


 「全員、何かにつかまれ!」


 ティアが叫ぶと共に〈戦乙女号〉の船員たちは全員が手近のマストや手摺に全身ですがりついた。


 ティアの操る波が〈戦乙女号〉の船腹に打ち付け、船体が大きく傾く。

 そのまま甲板の上の海賊を押し流し、強引に振り落とした。


 「また船に無茶させやがってぇ!」


 とっさにマストに抱き着いていたロッコが、大きく傾き上下する〈戦乙女号〉を見てティアに怒号を上げる。それに対して、ティアは軽く肩をすくめてみせた。


 「悪いな。後で直しておいてくれ」


 そう言って、ティアは船縁に手摺の上に足を掛け、立ち上がった。


 「皆、後は頼んだ」


 吹き付ける雨と風の中、ティアは〈戦乙女号〉の船員を振り返り、かすかにうなずいた。


 「ティア!」


 ロレッタはその背に思わず駆け寄った。

 しかし、ティアは振り向かないまま白い雨の壁を突き破り、海賊船へと乗り移っていった。


 **


 ティアは〈戦乙女号〉の船縁の手摺を蹴って、接近していた海賊船の甲板へと飛び移った。


 そこにいた海賊の男たちが、突然、乗り移ってきたティアの姿におののく。

 退く海賊たちに、ティアはすかさず舶刀で斬りかかる。


 雨に濡れる甲板を滑るように移動し、次々と海賊たちをなぎ払い、足払いを掛け、刀の柄で殴りつけて息つく暇もなく打ち倒していく。


 激しい雨が甲板の上で打ち付ける。


 雲の中で稲光が閃き、轟く音が響き渡った。


 ティアは自分を取り囲む海賊たちをぐるりと見渡した。

 遠巻きにティアを囲む海賊たちは、それでも殺気立った目を見開き、ティアを取り囲んでいる。


 妙な雰囲気だった。


 彼らは、次第に離れていく〈戦乙女号〉を一顧いっこだにしていない。


 (まさか……)


 ふと、ティアがある可能性の一つに思い当たって身構えた。

 その時、甲板を踏み鳴らして近づいていくる足音が伝わってきた。


 ──「まんまとおびき寄せられたな、『水溜まり』よぉ」


 その笑いを含んだ声を聞いて、ティアはぎょっとしてそちらを振り向いた。


 「馬鹿な……」

 「そうだよそうだよ、そうだよなぁ。お前は船員と船を逃がす為なら、自分を犠牲にするのもいとわないよなぁ」


 おどけるように両手を広げ、近づいてくる痩身の男。


 別動隊がいるのは、まだ予測の範囲内だった。

 それだけ大陸南岸の荒くれ者を集める時間はあったのだから。


 だが──まさか、だからといって──


 ティアは自分の前の前に舶刀の柄に手を置いて、一歩ずつ足音を響かせて近づいてくる男の姿を呆然と見詰めた。


 「後で自分ならいくらでも逃げられると思ってたんだろ?自分では理に適った判断をしたつもりだったんだろ?……よく分かるぜ」


 かぶっていた帽子の下から、醜い傷跡に引きつった頬を歪めるのが見えた。


 「それが俺の狙いだとは、読めなかったようだがよぉ?」


 唖然とするティアを見下ろし、〈傷痕の男〉が獰猛な鮫のような白い歯を剥いてわらった。

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