第五章 呪われし過去
第一話 凪いだ海、ざわめく心
**
甲板の上に出された卓に、ティアとアルトーが対面で座っているのを、ロレッタは釣り糸を垂れながら、それとなく眺めた。
二人してカードゲームに興じているようだ。
ティアは目深に帽子をかぶり、顔を隠して手元の手札が映らないようにしている。
だが、勝負は終始、アルトーが有利に進めているようだ。
今のゲームもどうやらアルトーが勝利したらしい。
ティアがばさっと卓の上に手札をうっちゃって卓の上に頬杖を突いた。
「……どうなってる?」
イカサマをしているのでは、とティアは言外に疑いをかけていた。
アルトーは涼しい顔で卓の上に投げ出されたカードを羽で器用に集めている。
「いやあ、相変わらず船長は駆け引きが分かり易い。あの時、ロレッタお嬢に任せて正解でしたね」
銀貨を投げて寄越すのを羽で器用に受け取り、アルトーはほくほくしている。
苛立ちを隠せない様子で卓の上をとんとんとティアは革手袋の指で叩いた。
「ヒント位教えろ。何をどうやれば勝てる?」
「お得意様が一人いなくなっちまいますので、お教えできませんねえ」
アルトーが人の悪い笑みを浮かべて言うのに、ティアはぴしゃっ!と盛大に顔の水面に飛沫を上げて、不満そうに椅子の上で腕を組んだ。
「毎度あり」とアルトーは銀貨を懐に納める。
しかし、ロレッタが横から見ている限りでも、ティアの仕草は分かり易い。
いい手札が来た時は露骨に前のめりになるし、思うような展開にならないとイライラし始める。それが全部、体の動きや体の表面の水の動きで分かってしまうので、多分、ロレッタが相手でも同じ結果だろう。
先の騒動では、やはり、ロレッタが表向きテーブルに着くしかなかったのだ。
しかし──
(〈吹き溜まりの港〉を出てから、もう三日が経つ)
〈
アルトーが海鳥の群れを通して呼び集めた仲間を待つのに、この孤島に留まらねばならないのは分かる。
だけど──
(こうしている間にも、〈
釣竿を握り締めるロレッタの手に、知らず知らず力がこもった。
ぼんやりと竿の先──その先に見える水平線を眺めていると、不意に背中から声を掛けられた。
「魚、掛かっているみたいだぞ」
「えっ?あっ……!」
ぼんやりとしていたロレッタは、波間に浮かんでいたウキに目を向けた。
とぷん、と音を立てて海の中にウキが大きく沈み込んでいる。
ロレッタは慌てて仕掛けを手繰って魚を釣り上げようとした。
だが──気が急いてしまったせいだろう。
釣り上げる途中で、ぷつっ、と不吉が感触がしたかと思うと、釣り糸が切れて仕掛けが海の中へと消えていった。
「あ……」
「残念だったな」
さして残念でもなさそうに淡々と言う声に振り返る。
ティアが腰に手を当ててロレッタをのぞき込んでいた。
甲板に目を向けると、先ほどまでカード勝負に興じていた卓を片付けて、アルトーが物資の補給に出かけていた。
ロレッタも腰を浮かせかけたが、ティアが「必要ない」と首を左右に振った。
「アルトーは今日の分の食事を自分で狩りに行っただけだ。新鮮な肉が食いたいんだと、あの肉食鳥め」
「そうなんだ……」
「長い航海に出るとかじゃないんだ」と、ティアは真水の入った樽や、燻製にした肉、保存が利くように加工して干してある果実が垂れ下がっている船内を眺めた。
「その後のことは考えないでいい。お前の故郷……〈翠緑の港〉を救った後はまた私一人で、またあてどもなく海の上を浮かんでいるだけだ」
「……あんた一人で?」
何か目的があって船に乗っているわけではないのか、とロレッタがティアの顔をうかがい見ると、ティアは腕を組んでかすかにうつむいた。
「……せいぜい、〈
ロレッタはティア一人だけ乗っていた頃の、がらんとした船内の様子を思い出す。
「その方が身軽でいいからな」
投げ出すようにそう言って、ティアは自分の部屋へとくるりときびすを返して歩いていってしまった。
ティアから話しかけに来るのは珍しいが、結局何をしに来たのかは分からない。
ロレッタは息を吐いて、竿の先から垂れた切れてしまった釣り糸を見た。
──ロレッタも、魚が必要で釣りを始めたわけじゃない。
早く時間が過ぎて、アルトーの呼び寄せた仲間が集まってきて欲しい。
だが、時間が過ぎれば過ぎるほど、父や〈翠緑の港〉の人々に残された時間も減っていく──
その相反する状況の中で、ロレッタに出来ることは少しもない。
心の中のざわめきを静めようと、ロレッタは軽く胸に手を当てて海を眺めた。
大陸南岸の明るい陽射しの下、海は皮肉なほどに穏やかだった。
〇
「イシュマーさん、どうです、一杯やりませんか?」
アルトーが戻って来て夕陽が水平線に沈んだ船内。
起き出してきたイシュマーとアルトーと三人で食卓を囲んでいたが、おもむろにアルトーがそう提案した。
釣った魚、燻製にした肉、昼間採ってきた果実の、簡単だが十分な食事を三人で囲んでいる所に、アルトーがごそごそとラム酒の瓶を取り出す。
「これは?何処で調達したんです?」
「へっへっ、先日、こっそり〈吹き溜まりの港〉まで調達に行ったんで」
人の悪い顔でほくそ笑むアルトーをロレッタは呆れ半分で横目に見た。
「〈吹き溜まりの港〉だと、またあの魚人種たちに絡まれる危険があるんじゃないの?よく一人で行ったね」
「いやー、だって、これがなきゃ始まりません。ロレッタお嬢にも、お土産持って帰ってますよ」
そう言って、アルトーは今度はロレッタに桃の蜂蜜漬けの入った瓶を差し出す。
「こいつでどうか船長には内密にしといてくださいよ」
「……もう、調子いいなあ」
如才のない立ち回りに、ロレッタは思わず呆れてしまった。
羽の先を一本指を立てるように嘴の前に立てて、片目をつぶったアルトーの憎めない笑みに、ロレッタは苦笑を浮かべる。
そうして、イシュマーとアルトーは互いに酒杯を重ね、ロレッタも十分に食事を取った後で、ランプの灯りの元、和やかに語らった。
「そうですか。アルトーは東の大山脈の出身なのですね」
「ええ、かつては大陸領土の東の端と呼ばれた大陸を縦断する山脈でさ。その山頂辺りの険しい岩場にわたしらの集落がありましてね……」
アルトーはラム酒の杯からぐいーっ、と嘴に酒を流し込んで語る。
「そういう場所だから、峰を移って他の集落に行ったり、谷間を越えるのに飛んでかなきゃならんわけです」
そう言いながら、アルトーは自分でも堪え切れないといった様子で思わず笑い出してしまった。
「しかし、わたしゃ見ての通り、てんで飛べませんでねぇ。このまま仲間の内にいても落ちこぼれるだけだと思って、思い切って山を下りたんでさぁ」
「それは……ひどく苦労なさったのでは?」
イシュマーが気遣わしげに尋ねるのにも「ぎゃっはっはっ」と豪快に嘴を大きく開けてアルトーは笑った。
「いやいや、わたしみたいな半端者は逆に人間さんたちの間で暮らす方が性に合ったみたいでさ、これが、あの故郷の人たちの価値観に染まっていたら、もう落ちぶれてどうにもなんなかったでしょうねぇ」
「わたし以外の同族は、どうにも真面目すぎてねぇ」と羽を組んで息を吐くアルトーは、自分なりに納得して今の暮らしを続けているようだった。
「今の世はどうしたって他種族さんとの付き合いは避けて通れません。あの人たちがどうしてるか気に懸かりはしますが、まあわたしなんかが気を回してもどうにもならんことでね……」
「なるほど、そうですか」
アルトーなりに思う所は色々あるらしいが、基本的に明るくたくましく生きているらしい。
「ああいや、しんみりさせる為に話したわけじゃありませんで」
「さぁさ」とアルトーはイシュマーの空になった杯にラム酒を注ぐ。
イシュマーも今はすっかり傷も癒えたようで、のんびりと酒宴に付き合っている。
ロレッタはふとあくびが出てきたのを噛み殺した。
「眠くなってきたし、あたしはそろそろ寝るね」
イシュマーとアルトーの二人に声を掛けた。食堂を出ていくロレッタを二人が振り返り「おやすみなさい、お嬢」「ロレッタ、おやすみ」とそれぞれに返事をする。
甘い物を食べたので真水で口をゆすいでから船室に戻り、ロレッタはハンモックの上に横たわった。
それから、ふっと、今日のこの賑やかな食事は アルトーなりに自分を気遣ってくれたのではないかと、はたと気付いた。
今は〈戦乙女号〉も、ロレッタたちも動きようがない。
そんな中でジレンマを抱えて過ごすことは、著しく精神が削られていく。
胸の
だが、今は焦っても仕方がないのだ。
ロレッタはハンモックの上でぎゅっと拳を握り締め、〈戦乙女号〉に打ち付ける波の音を聞きながらまぶたを閉じた。
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