第四話 海鳥は伝える為に飛ぶ

 〈戦乙女号〉は〈吹き溜まりの港〉から少し離れた孤島の近くに停泊していた。


 人が暮らしている形跡のない、ロレッタの足でも半日あればぐるりと周りを歩けるような小さな島だが、湧き水の汲める泉があり、密生した木々の中には果実をつける種類の物もあった。


 「〈吹き溜まりの港〉にも、魚人種に睨まれてほとぼりが冷めるまで近寄れない」


 また船室に海水を汲んで運び入れているティアがそう言う。


 「私は力を蓄えているから、ロレッタたちは自分たちの準備を整えていろ」


 ティアがぶっきらぼうに告げる言葉に従い、ロレッタはその島へ下りた。


 「イシュマーはまだ満足に動けないから、留守番をしていて」

 「よろしく頼むよ、〈水精霊ニンフ―〉さん」


 船上でだが、随分と自由に動けるようになったイシュマーが片手を振って見送るのに、ロレッタも手を振り返し、アルトーの漕ぐボートに乗って孤島へと向かう。


 アルトーと共に島に上陸すると、彼が先導して探索を進めてくれた。

 湧き水を汲み、果実を採取し、小動物を狩って、補給を進めていく。


 「これから船長以外の船員を集めなきゃいけませんからね。何日かここに留まっておれたちで補給をしましょう」


 その手際の良さはロレッタも認めざるを得ない。

 出会った経緯が経緯だが、どうやら本当に優秀な船乗りらしい。


 しかし、それにしても──


 「仲間を集めるって、どうやって集めるつもり?」


 此処で補給をしながらあちこち移動するわけにはいかない。

 それに関してもアルトーは考えがありそうで、ロレッタに向けて気取った風に片目をつぶってみせた。


 「心配いりません。お嬢は文字通り、大船に乗ったつもりでいてください」


 湧き水の入った樽と汁気のありそうな果実、そしてその場で狩った小さな猪を荷車に乗せて、船へと二人で運んでいく。


 アルトーの自心ありげな態度の根拠がなんなのか。

 それはその日の夕刻、茜色に染まる陽射しに照らされる甲板の上で分かった。


 〇


 「海の仲間たちよ、どうかよろしく頼むよ」


 夕陽に染まる甲板の上には、どこからか鴎の群れが集まってきていた。


 アルトーはその海鳥の群れに向かって羽を上げ、喉を鳴らして何事か呼びかけた。


 その場にはティアも船長の部屋から出て来て、イシュマーも立ち合い〈戦乙女号〉に今いる面々が揃っていた。


 ロレッタも並んでマストの帆桁に集まる海鳥の群れを見上げていた。

 すると、次第にアルトーの周りにその群れが羽を打ち鳴らし降りてきた。


 アルトーは自分の周りに集う鴎たちに、まるで言伝を頼んでいるかのように丁寧な仕草で語りかけている。


 時折、アルトーとティアは人の言葉を交わしていたが、その場は主にアルトーが鳥の群れに申し伝える場のようだった。


 夕陽に染まる中、アルトーが一通り鳥たちに伝え終えた仕草で羽を下ろす。

 すると、次第に鴎の群れが夕陽の染まる空の上へと離れていった。


 遠ざかっていく海鳥の群れを片羽を額に当てて見送っていたアルトーだが、ティアに改めて向き直った。


 「近くにいそうな連中だけでも、特徴を伝えて探してもらうように頼みました。見つけたら、仲間たちで手分けしてこの島に案内してもらえるようです」

 「……助かる」


 アルトーが報告すると、ティアが深々と息を吐いて礼を言った。


 「本当に……?」


 ロレッタもおそるおそる、鳥の獣人種の航海士の顔をのぞき込む。

 すると、アルトーは若干、その顔を引き締めた。


 「お嬢……ロレッタお嬢は故郷の人々や家族を海賊に人質に取られてると聞いています。当然、不安にお思いでしょう」

 「うん……」


 アルトーはロレッタの肩にぱさりと、片羽を置いた。


 「今はおれや船長を信じてください、としか言えませんが……。仲間は皆、頼りになる連中です。海賊程度に後れを取ったりはしない」


 「ごめんなさい……」


 ティアもアルトーも、〈翠緑の港ポートエメラダ〉の人々──いや、ロレッタ自身の為にできることをやってくれている。


 改めて明確な気遣いを向けられて、その事がはっきり理解できた。


 「謝らないで」と、アルトーが告げる。


 「おれはお嬢の暮らす場所のこと、詳しく知りませんが……きっと朗らかで明るい、いい場所なのだろうな、と思います。お嬢みたいな子がいる場所ですからね」


 甲板の上に膝を突いて、こちらを見詰めるアルトーは真摯な表情をしていた。


 「お嬢の故郷は必ず取り返してみせます。……もどかしいでしょうが、今はおれたちも準備を整えましょう」


 アルトーのゆっくり語りかける言葉に、ロレッタも深くうなずいた。


 「うん……」


 **


 大陸南岸の碧い海の上を、海鳥の群れが渡っていく。


 互いの縄張りを渡りながら、鳴き声を交わし、情報を伝達していく。


 やがて夜が訪れ、一度はそれぞれの寝床に帰って、寄せ合うように巣を作る仲間達にも、その情報を伝え合った。


 互いに持ち帰った情報が群れの仲間に共有される。


 そして、翌朝になって飛び交い、それぞれの餌場で別の群れと鳴き声を交わし、更に情報が広く伝わっていく。


 伝わっていくうちに海鳥の内の何羽かが、人の暮らす港や町、小島へと向かっていく。そうして、大陸南岸のある地域に暮らす海鳥たちの間で情報が伝わり、目的の人物は確実に探し当てられていった。


 海の上の澄んだ空を渡る海鳥たちの情報網が広がっていくのと同時に──


 一人の男が、その日の光の届かぬ地下で目を覚ました。


 **


 カルドスは鎖がじゃらりと鳴る音にはっと意識を取り戻した。


 足枷を付けられ、港の地下にあった牢獄の中で目を覚ましたカルドスは、まとわりつくような湿気と、目と鼻の先も見えない暗闇の中で目をしばたいた。


 港での騒乱の後──


 人質に取られた自分は〈傷痕の男スカー〉の部下達が見つけたこの地下通路の牢の中に運び込まれ、囚われた。


 鉄格子には錠前が掛けられ、カルドスは足枷を付けられ獄に繋がれた。


 それからは生かさず殺さず、乏しい食料と水だけを与えられて囚われている。


 光の差さない牢にずっと閉じ込められて、既に時間の感覚が怪しくなっている。

 自分が此処に閉じ込められてから、どれだけ時間が経ったか──


 意識がもうろうとしている。

 ひょっとしたら、与えられる水の中に何か入っていたのかもしれない。


 「くそ……っ」


 カルドスは力なく闇の中でうなだれた。


 「どうなってる……」


 必死に思考を続けようとするが、全く考えがまとまらない。

 何か考えようとすると、端から思考が暗い闇の中に溶けだして、かき消えていく。


 カルドスは頭に手を当ててうめいた。


 あれから──


 あれから、一体どうなった?


 〈傷痕の男〉は、あの船乗りは、〈翠緑の港〉の人々は──


 ロレッタ、は。


 考えれば考えるほどに頭の中が混沌としていく。

 必死に意識を保とうとしても、目の前が暗闇に閉ざされた中で、その闇の中に自分自身が溶け出していくようで──


 その時──


 ──「……カルドスさん?」


 誰かに名前を呼ばれた気がして、カルドスは我に返った。


 声を出そうとして、喉元がひきつって痛みを覚える。

 何度も空咳を繰り返して、カルドスはへばりついた喉の奥からゆっくりと声を押し出した。


 「だ……れ、だ……?」

 「カルドスさん、しっかりしてください。俺です、ローダンです」


 聞き覚えのある名前に、カルドスの覚束なかった意識がはっきりと立ち直った。

 暗闇の中鉄格子の向こうに目を凝らすと、確かに日に焼けた少年の顔がこちらを心配そうにのぞいていた。


 「どうして……ここが……」

 「ここ、昔使われてた地下通路の中にある牢なんです。前に、子供たちで探検したことがあって……」


 海賊たちに気付かれず港へ近づいた時にも使った場所だという。


 「ローダン……町の様子はどうなっている……?ロレッタ、は……」

 「カルドスさん、落ち着いて聞いてください」


 ローダンはちらりと地下通路の周囲の様子をうかがった後で、カルドスの囚われた牢屋の鉄格子に身を寄せる。


 「町の人たちはみんな、丘の上の砦の中に集まって閉じこもってます。港を占領した海賊たちも今の所、そこまでは手を出していません」


 住民の間に今の所、犠牲者は出ていない。

 そのことがはっきり伝えられて、カルドスはひとまず息を吐いた。


 「そうなのか……」

 「ええ。ただ他の港や町へ続く道も海賊たちに固められ、助けを呼べないんです」

 「周到なことだ。……あの男らしい」


 〈傷痕の男〉のにやついた顔が脳裏に浮かんで、カルドスは闇の中で頭を振る。


 「ロレッタは……砦の中にはいません。イシュマーさんも……。最後に見たのは港の近くの海岸で、変な船乗りと一緒にいたのは見かけたんですけど……」


 それを聞いて、カルドスはひとまず安堵の息を吐いた。


 「心配しなくていい。その船乗りは、味方だ。……少なくとも、ロレッタを傷つけたりする心配はない」

 「そうなんてすか?」


 若干、疑わしげなローダンに向かってカルドスは「確かだ」と請け負う。


 「あれは……元々、ロレッタを守る為に、ここへ来たんだ……」


 カルドスが吐息交じりに告げた。

 ローダンはなおもに落ちない顔をしていたが、それ以上は深く問い詰めようはしなかった。


 「カルドスさんがそう言うなら、ロレッタは無事なんでしょう。でも……」


 ローダンが口ごもってうつむく姿に、カルドスも苦い思いでうつむいた。


 「すまん……全ては、俺のせいだ」

 「えっ?」

 「今がいつか分からんが、捕まって十日後に……俺は殺される。その時、どうにか港を爆破するのだけは許してもらう。なんとしても……俺の命に代えても、それだけは……」


 カルドスがほの暗い決意を込めて告げた言葉に、ローダンが鉄格子の向こうで顔を上げた。


 「そんなの駄目です!」

 「いいんだ……。それしか俺にできることは……〈翠緑の港〉の人々に詫びる術は……」


 カルドスはうなだれたまま言葉をこぼした。

 と──


 「ロレッタはどうなるんです!?」


 ローダンが闇の中、思わず張り上げた声にカルドスは思わず目を見開いた。


 「ロレッタ……は……」


 カルドスは黒ずんで汚れた自分の手を見ながら──あの嵐の夜以来、ずっと共にいた子供の顔を思い浮かべた。


 「今回のことで……分かったんだ……」

 「何がです……?」

 「運命は、きっと……あの娘をこの小さな港に留めはしないのだと」


 今回の出来事は多くの偶然が積み重なって起きたことだ。


 ロレッタがあのオルゴールを見つけたことも、そこへカルドスを追って〈大鮫号〉が現れたことも、オルゴールによって、あのロレッタを守る船乗りが現れたことも。


 その全てが今、この時に重なったのは運命の為せる業なのかもしれない。


 この牢獄の暗闇の中で、ずっとその事を考えていた。


 運命はロレッタをこの港の外へと導こうとしているのだ。

 ロレッタもまたいつかこの港を離れて大海原へ漕ぎ出すことを夢見ていた。


 今回のことは──きっと、ロレッタを送り出す大きな意志の配剤かもしれない。


 カルドスはそう思って、闇の中でまぶたを閉じたが──


 ──「でも、それじゃあロレッタがあまりに可哀そうです」


 「え……?」


 思わぬ言葉が聞こえて、カルドスが反射的に顔を上げると、ローダンが鉄格子をつかんでうつむいていた。


 「運命がロレッタを海へ連れ出すのだとしても……それでも、ロレッタにだって帰る場所が必要なんじゃありませんか?」

 「帰る……場所……?」


 カルドスが何度も目をしばたき繰り返す言葉に、ローダンは深くうなずいた。


 「〈翠緑の港〉は外に出た船乗りたちがいつか戻ってくるのを、温かく迎え入れる場所です。ロレッタが船乗りになって外に出て行っても同じです。……ロレッタの帰る場所を守って、ロレッタを待ってくれる人が……絶対に必要だから」


 カルドスはぽかんとして口を開いた。


 「ロレッタの帰る場所を守って……ロレッタを待つ……?俺が?」


 呆然としたまま繰り返すカルドスに、ローダンが深々と何度もうなずいた。


 と、そこへ何者かが近づいてくる気配がしえ、ローダンがそちらを振り向く。

 闇の中、〈傷痕の男)の部下が様子を見に来たのかもしれない。


 「だから、カルドスさん。……絶対に諦めちゃ駄目ですからね!」


 そう素早く言い残して、ローダンは鉄格子の向こうの闇の中へと姿を消した。


 カルドスはしばらく呆然としていたが、やがて闇の中で身を横たえた。


 自分がロレッタの帰る場所になる──


 これまで考えもしなかったことだった。


 だが──その言葉は確かにカルドスの胸のうちに一つ、小さく、しかし確かな灯りを灯していったのだった。

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