第三話 らしくない事を

 とりあえず、最初の一勝負だ。


 ロレッタが息を吐いてテーブルに着くと、対面の席でこの場を取り仕切っているという魚人種の男が、人間とかけ離れた容貌をしていてもそれと分かる、こちらを侮った薄ら笑いを浮かべた。


 その両側には彼の手下らしい他の魚人種が控えている。


 (この雰囲気だと、なにか罠を仕掛けてくるかも。ひとまず様子見……)


 そう思って、ロレッタは貝から削り出されたものらしい、滑らかな手触りのチップを二、三枚出そうと手に取った──


 が、次の瞬間、唐突に横からティアの手が伸びてきた。

 そのまま、がさりと、ろくに枚数を数えもしないで。大量のチップをテーブルの上にティアは投げ出した。


 テーブルにばらまくように置かれた大量のチップに、向かいに座っていた魚人種の男の顔色が変わった。


 こちらが何か仕掛けてくると警戒したのだろう。

 周囲のテーブルに陣取っていた仲間達にも声を掛けて、こちらを取り囲んだ。


 「ちょ、ちょっと……!」


 突然のことにロレッタは唖然としていたが、こうなるとそれどころではない。

 自分の傍らに立つティアを振りあおいだが、彼女は自分を取り囲む魚人種たちにちらりと顔を向けただけで、落ち着き払っていた。


 「今はこんなくだらない事をいつまでも続けてられない。いいから、この額で勝負しなさい」

 「だけど……」


 確かに自分たちは今、悠長に構えていられない。

 それでも、さすがにこれは急すぎる。


 相手を警戒させてしまっているし、この調子でチップを賭けて負けが込めば、本当にどうしようもなくなってしまうのでは──


 「ねぇ、ほんとに……」


 あまりの心細さにロレッタは思わずティアの顔をうかがい見た。

 しかし、ティアはそのまま何も言わずにロレッタから離れて、何も仕込みなどしていないのを示す為か軽く両手を挙げて周りの魚人種たちに見せた。


 そのまま、アルトーと共に離れた場所で腕を組んでこちらを見守る。


 「お嬢ーっ!頼みましたよーっ!」


 無責任に嘴に羽を当てて応援するアルトーの声に、ロレッタはがっくり椅子の上でうなだれた。


 〇


 ロレッタ自身は何もしていないのに、露骨に警戒されている。


 〈翠緑の港ポートエメラダ〉で船乗りが帰ってきた宴の席で、ロレッタもカード遊びはやったし、このゲームのルールも知ってはいる。


 しかし、それは所詮しょせん、大人と交じってやる刺激的な遊びでしかなかった。

 こんな大金を賭けた勝負をする羽目になるなど想像もしていなかったのだ。


 しかも、これは、ひいてはティアたちの助けを得る為──囚われた父や〈翠緑の港〉の人々を救う力を得る為の勝負なのだ。


 「勝負スル!?賭ケ金!ソノママ!?」


 ロレッタが自分の肩にのしかかる重圧に言葉を失っていると、向かいの席から焦れたような声がかかって、びくっと背筋を強張らせる。


 振り向くと、魚人種の男が中央に出されたカードを指差し、ロレッタを睨んだ。


 中央の札が三枚開けられ勝負を続行するか降りるか確認されているらしい。

 ロレッタは慌てて自分の手札と中央の開けられた札を見比べる。


 強くはないが、役は出来ている。


 ただ、ここで打って出るか引くべきかの判断がつかない。

 ティアが出していった大量のチップが目に映り、頭の中が空転する。


 引くのも行くのも、リスクが大きすぎる。

 だが、だからといって──


 「大丈夫、このまま勝負を続けて、賭け金をつりあげて」

 「っ!?」


 すると、ロレッタの耳元で不意にティアの声がした。

 ぎょっとして声のした方を振り返った。


 ──だが、ティアはロレッタから離れた場所に立って、相変わらず腕を組んでこちらを見守っている。その横でアルトーが勇気づけるように「落ち着いてください、お嬢ーっ」と声をかけているだけだ。


 席の向かいでは魚人種の男がいぶかしそうにしている。


 とっさにロレッタは、「つっ、続ける……!」と口を開いてチップを追加した。

 すると、かすかにだが魚人種の男が表情を曇らせた。


 改めて周りの部下に命じてテーブルの周りや、ロレッタの背後にいるティアやアルトーの様子を確かめさせるが、何も仕掛けらしいものは見つからないらしかった。


 ただ──今さっき、ロレッタは確かにティアのささやく声が聞いた。


 「相手はまだ役が出来ていない。このまま役無しで終わる。勝負にいっていい場面だ」


 ロレッタが色々と考えていると、再び耳元でロレッタにささやきかけるティアの声がした。それと同時に耳の縁をするりと水のはい回る感触がした。


 次の瞬間、中央の五枚の札が全て開かれた。


 ティアのささやきが示した通りに、相手は役無しのまま終わって、テーブルに出された高額のチップは、ロレッタの方へと戻ってきた。


 後ろで「いい調子ですよ、お嬢!」と鼓舞してくれるアルトーの声と共に、ティアが軽く拍手をする音が聞こえる。


 ちらりと振り返ると、ティア自身は相変わらず一言も何か言葉を発している様子はなかった。


 だが──ロレッタもなんとなく状況がつかめた。


 「分かった?私は今、テーブルの上とあなたの耳元に、自分の体の一部を散らばせている。だから相手の手札も、中央の札もその分身を通してのぞき込める」


 ロレッタは再び自分に配られた手札に目を落とすフリをして、さりげなくテーブルのあちこちをちらりと盗み見た。


 テーブルに置かれたグラスの水滴や、そこからテーブルの上にこぼれた雫。

 それらの中にティアの分身が潜んでいるのだとしたら、確かにかなり事細かに相手の手札や中央に出された札も把握できそうだった。


 (あの……最初に交渉していて、突き飛ばされた時だ)


 その時に、自分の一部を潜ませたのだと、ロレッタにも分かった。


 確かに──最初からまともに勝負するつもりなど、なかったのだ。


 「相手の方が何かイカサマを仕掛けてきても、その時は私が指摘する。……こっちの仕掛けが見破られることはない」


 そこにあるのははた目にはただの水にしか見えない物だから。


 ロレッタの耳元に溜まった水──ティアの体の一部が、周りに聞き咎められぬように、そっとさざめいた。


 「分かったなら、一気に勝負を付けよう。あくまでアルトーの負け分を消すだけだがな」


 ロレッタはその密やかな声に、返事をせず、うなずき返しもしなかったが事情は完全に分かった。


 だとしたら、ティアの言う通り、だらだらと勝負を続ける理由はない。


 〇


 目標の額のチップを勝ち取るまで、大してゲームを続ける必要はなかった。


 相手は何度も何度もロレッタたちにイカサマの仕掛けがないか、念入りに部下に確かめさせていた。


 当然だろう。ロレッタが相手の手札も中央の札も分かっているとしか思えないタイミングで賭け金をつり上げ、逆に負ける時は最低限にだけしか負けない……そんな事を繰り返していたのだから。


 負けた額のチップを取り返した以上は、プレーヤーとしてのロレッタの役目も終わったのだ。──本当に形ばかりの役目だったけれど。


 それでも安堵の息を吐いていると、ティアが歩み寄って、そっと自分の肩に手を置くのを感じた。


 「……よく動じないでやってくれた。立派だった」


 ティアは同時にテーブルにも手を突いて、ロレッタの耳元やテーブルの上にばらまいていた自分の分身をさりげなく回収したようだった。


 それでも、優しくロレッタの労をねぎらう声にロレッタは苦笑を浮かべた。


 「座ってるだけだったよ。こんなの……」

 「それでも取り乱したり不審な態度を最後まで取ることなく、堂々としていた」


 「大した胆力だ」と、ティアの本体から直接賞賛の声を向けられる。

 思わずこそばゆくなりそうだった。


 ロレッタが軽く肩をすくめながら椅子から降りようとした時だった。


 ティアが素早くロレッタを椅子の上から抱え上げた。


 驚いて椅子を見ると、ロレッタの座っていた位置に向かいの席から飛んできた、鋭利なナイフが突き立っていた。


 驚いて振り返ると、対面の席に座っていた魚人種の男が凶暴な獣じみた目付きでこちらを睨み立ち上がっていた。


 自分たちの周囲を取り囲んでいたその手下たちも、殺気立った様子で詰め寄ってくる。向かいの席の魚人種の男が、こちらを指差して何かぶくぶくぎゃーぎゃー湿っぽい音を立ててわめくと、更にその包囲の輪がせばまってくる。


 「……最後はこうなると思ったよ」


 ぶくっ、とため息を吐いてティアがロレッタの体をアルトーへと投げて寄越した。


 「アルトー!巻き込まれないように酒場を出ろ!」

 「アイアイ!」


 アルトーが万事心得た様子でロレッタを抱きかかえると、素早く酒場の入り口へと向かう。当然、その行く手を魚人種の男たちがさえぎった。


 だが、それをティアがつかんで投げ飛ばしたテーブルがまとめてなぎ倒した。


 アルトーはロレッタの体を脇に抱えて、一目散に酒場の外へ駆けていく。


 そのまま、酒場の外へアルトーが飛び出すと同時に酒場の中から凄まじい乱闘の音が外まで響いてきた。


 しかし、それもつかの間の事で──


 次の瞬間、その引き揚げられた難破船酒場に改装した建物の周りに白波が立った。

 みるみる間にそれが幾つも水柱を立てて逆巻いたかと思うと──


 その酒場を轟音を立てて水柱が呑み込み、木片と水飛沫を盛大に巻き上げて内側から豪快に破壊したのだった。


 〇


 〈吹き溜まりの港〉の木組みの桟橋の上──


 東の空に一条の光が差して、次第に明るくなる中、アルトーが銀貨の入った袋を魚人種の姉妹に手渡していた。


 まだ状況もよく呑み込めていないような、ロレッタよりもずっと幼い妹と手を繋いだ姉の魚人種は、朝陽に碧い鱗を輝かせ、青白い頬の上に涙の粒を光らせていた。


 アルトーが彼女の肩にそっと手を置いて、何事か慰めるように語りかけた。


 そして、優しく送り出すようにぽんっと羽で肩を叩いた。


 それで別れを告げたようだった。


 魚人種の姉は妹の手を引いて、別の魚人種の船頭が操る小舟の上に桟橋から妹を抱え上げて乗り移る。


 何度も何度もアルトーに向かって、頭を下げる小舟の乗った姉妹の姿。

 それが東の明るく染まる海に向かい、どんどん小さくなっていく。


 羽を振って見送っていたアルトーの背後に、腕を組んだティアが立った。


 「あの姉妹の足抜けに必要な金を肩代わりしたっていうなら、最初からそう言え」


 ティアが呆れ声でつぶやくのに、アルトーは「いやぁ、はは……」と羽の先で頭を掻いた。


 「つい、らしくもねぇ事をしちまったもんで……」


 照れ臭そうにそうつぶやくアルトーを、ティアはじっと横目に見ている。

 アルトーは「はぁ」と息を吐いて、わずかばかり居住まいを正した。


 「……魚人種はこれまで立場上劣った種族として扱われてきて……でもいくら地べたからはい上がろうとしても、他の弱い同族を喰いもんにしている姿は見ていて気持ちのいいもんじゃありませんや……」


 水平線の上の朝陽に目を細めるアルトーの横顔をロレッタは見上げる。


 鳥の獣人種も、人間とは馴染みの薄い種族で、彼がどういう事情でこんなはぐれ者の集まる〈吹き溜まりの港〉にいるのか分からないが──


 彼なりに、魚人種の状況やあの姉妹の姿に思う所があったのかもしれない。


 彼の背中を見て、ティアがぶくっ、と一つ息を吐いた。


 「……私みたいな奴の手助けをしている時点でお人好しは丸分かりだ」

 「はは……そうかもしれませんやね」


 羽の先で頭を掻くアルトーは、苦笑を収めた。

 その顔を見て、ティアが改めて尋ねる。


 「……私たちのことも、助けてくれるな?」


 それを聞いて、アルトーはティアを振り返った。

 そして、その手を引いているロレッタの方へもちらりと視線を向けた後で、大きくうなずいた。


 「ええ、喜んで、お助けしましょう」

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