第二話 カード勝負、イカサマ勝負

 「帝国銀貨五百枚分の借金……だと?」


 アルトーと呼ばれた鳥の獣人種と共に、手近にあった別の酒場に入った。

 卓に腰を下ろしたティアが事情を聞くなり、顔の水面を揺らしてかぶりを振った。


 「なんでまたそんな莫大な額の借金を負うことになったんだ?」

 「それが……カード勝負で負けが込んじまいまして……」


 「やーはは」と嘴を開けて、羽の先で器用に頭を掻くアルトーに、ティアが腕組みをして、うつむいた。


 アルトーは腹が空いていたのか、ティアが頼んだ魚の串焼きを何匹もまとめて嘴に放り込み、丸呑みにして食べている。


 店に入って最初に頼んでいた分がまたたく間になくなった。

 それを見て、アルトーは近くの給仕に手を上げた。


 「おねえさん!こちらに魚の串焼きをもう三本ほど!……お嬢はどうです?」


 給仕に注文した後、ロレッタを振り向きにこやかに尋ねる。


 ロレッタは、小魚と刻まれたニンニク、トウガラシの入ったスープと付け合わせのパンを食べていたのだが、アルトーの食いっぷりに胸焼けがしだしていた。


 「あたしはいいよ……」

 「じゃあ、串焼きをもう三本……いや、四本お願いね!」


 給仕を呼び止め、上機嫌で注文を通すアルトーの向かいに座っていたティアが頬杖を突く。彼女は水をグラスに入れて戯れのように時折、自分の顔に流し込んでいた。


 ティアは料理を頼んでいないが、そもそも水以外の物を口にできるか分からない。

 固形物や色のある液体を取り込むとなにやら不気味なことになりそうだ。


 それとは対照的にアルトーの方は大きな嘴を使って盛大に飲み食いをしている。

 莫大な額の借金があるというのに。


 航海士だというが、果たして本当にアテになる相手なのだろうか?

 ロレッタは甚だ疑問を感じていた。


 思わず隣のティアをうかがい見た。

 だが、かすかにうつむく彼女の顔の輪郭は、今、酒場の薄暗がりの中ではっきりと見て取れるほどには明瞭に浮かんでいなかった。


 ただ、全体的な仕草は何か思案しているように見えた。


 「……借りた相手は、さっきの魚人種のチンピラ連中なのか?」

 「はい。ここんとこ、この〈吹き溜まりの港〉で幅利かせてる連中でして。あちこちの盛り場を取り仕切ってる、タチの悪い奴らです」


 それを聞いてティアが考え込むように「そうか」とつぶやいてうつむいた。


 ロレッタは小声で話しかける。


 「ねえ、本当にこの人、アテになる相手なの……?」


 とてもそうは思えない、と言外ににじませてそう口にした。

 しかしティアはグラスに出された水を飲み干すと、すっと椅子から立ち上がった。


 「その連中はいつもあそこの酒場でたむろしているのか?」

 「はい、大抵は」

 「今は時間が惜しい。早速、向かうぞ」


 そう言うなり、カウンターに銀貨を数枚投げて寄越し、そのまま店の外へ出て行ってしまうティアに、ロレッタは目を白黒させる。


 「おっと、あれは船長相当、急いでいるな」


 するすると酒場の出口に向かってしまうティアの背中に、アルトーの方も運ばれてきた串焼きを一息に大きな嘴の中に突っ込んで平らげてしまった。


 「お嬢、行きましょう。あんまりぐずぐずしていると、船長が町ごと魚人種の連中を押し流しかねない」


 そう言って素早く席を立つアルトーに、ロレッタも後を追って酒場を出て行った。


 〇


 先ほど、アルトーが放り出された酒場までティアは足早に向かっていた。


 一歩たりとも足を止めずに、難破船を引き揚げ酒場に仕立てた扉を押し開いて中に入っていってしまった。


 ロレッタとアルトーが追いついた時には、ティアは既にその酒場の中でたむろしていた魚人種の集団に詰め寄っていた。


 ちょうど、酒場の扉を開けて入ってきたロレッタとアルトーをティアは振り向く。


 「私はあの男の連れだ。分かるか?私はあの男に用があってな、カードの負け分を肩代わりしてやってもいい」


 ティアは中央のテーブルで腰掛けていた魚人種の男たちの中央に片手を突き、威圧する態度で見下ろしていた。


 ティアは共用語で語りかけた後で、もう一度、魚人種の言葉で彼らに話しかけた。


 当然のことながら、相手は黙っていない様子で椅子から立ち上がった。

 青白い鱗の輝く、逞しい体付きの魚人種の青年だった。


 人間からかけ離れている容姿でも、凶悪そうな面相をしている相手というのは分かるもので、ティアを凄んで睨みつける顔付きは、アルトーの言う通り、いかにも厄介そうだった。


 彼はティアと言葉を交わしているが、ロレッタにはその内容は理解できない。


 思わずアルトーの方を振り向いて尋ねてみた。


 「ねぇ、今一体、何を話しているの?」

 「ええと……自分で言うのもなんですが、船長は交渉していて……当然ですが、相手は納得していません。おれの借金を肩代わりして、それでひとまず十日間待ってもらえるように言っているんですがね……」


 「十日間……」とロレッタはつぶやく。

 ティアのその交渉の内容が〈翠緑の港ポートエメラダ〉の件を踏まえてのものだと分かるが。


 だが、当然相手がそれで納得するはずもない。

 しばらく険悪な雰囲気でティアと魚人種の男はやり取りを重ねていた。


 そして、次の瞬間、ティアが何事かつぶやいた途端に、その魚人種の男がティアを突き飛ばした。


 ティアが大きくよろけてテーブルの上に両手を突く。

 「ちょっと!」ロレッタは反射的にティアに駆け寄り、その体を支えた。


 ティアはロレッタを振り向き、一瞬、その顔をじっと見詰めたが「平気だ」と、そっと手をほどいて改めて魚人種の男に向き直った。


 そして、何か二言、三言告げた後で、ロレッタとアルトーに向き直る。


 「話が纏まった」

 「……本当に?」


 疑わしげにロレッタが尋ねるとティアは「一応な」と腕を組んだ。


 そうして、改めて自分の元に近づいてきたアルトーとロレッタを交互に見る。


 「あの、船長、話が纏まったというのは……」

 「お前の借金を肩代わりして、カード勝負をすることになった」


 ロレッタは絶句した。


 「それって……船長、本当に大丈夫なんですか?」


 アルトーですら疑わしげにティアを見ている。

 だが、ティアはゆっくりとかぶりを振った。


 「勝負するのは私じゃない」


 唖然としているロレッタの顔を水面に映して、ティアがこちらをじっと見た。

 嫌な予感がして、ロレッタはとっさに半歩退いたが──


 ティアの手がするりと伸びてロレッタの肩をつかんだ。


 「ロレッタ、お前がやれ」


 〇


 「カードは分かるな?ルールは人間の船乗りの間で通っているものと変わらない。図柄も同じだ」


 テーブルの上に並べられた使い込まれたカードを手に、ロレッタは目を落とす。


 確かに〈翠緑の港ポートエメラダ〉の酒場でも船乗りが帰ってきた宴の席でよくカード遊びをした経験があった。


 自分で言うのもなんだが、ロレッタはそこそこ強かった。

 今手に持ったカードの図柄も多少汚れてはいるものの見慣れたものだし、テーブルに出されたカードの配置を見る限り、ルールも共通のようだ。


 「うん……一応、分かるけど」


 ロレッタがそう言うと、ティアの方も納得した様子でうなずいた。


 「ルールは二枚自分の手札を取って、中央に並べられる五枚のカードの中から三枚選び……それと合わせて役を作る。勝負を下りるなり掛け金を吊り上げることもできる。一応、チップはあるが、まあ今回は結局、アルトーの負け分を取り戻すのが目的だから、直接的な金のやり取りにはならんだろう」


 ティアが身を寄せて、顔の水面をかすかに波立たせてささやきかける。

 ロレッタは不安を押し隠せず、「ねぇ」とティアを振り向いた。


 「あの、本当にこのカード勝負、やるの?」

 「今の私たちに銀貨五百枚の金を用立ててくる猶予があると思う?」

 「それは……そうだけど」


 ロレッタはどうしても得心がいかず、手元のカードと向かいの席に着く魚人種の男を見比べた。


 「だとしても、今からでも……ティアかアルトーが変わってくれた方が……」

 「アルトーはついさっき負けが込んで放り出されたばかりだ。単にツキが悪かっただけならまだいいが、クセか何か見抜かれていたら到底勝てない」

 「あっ、あんたは……」

 「私は賭け事に向いていない」


 断言するティアにロレッタが首を傾げると、ティアは腕を組んでぶくり、と一つ泡を立てた。


 「性格がそもそも賭け事に向かないんだ。すぐ顔や仕草に出るし、なにより……」


 そう言って、ティアは顔の水面にロレッタを映して覗き込んだ。


 「手札が自分の顔に映る」

 「あっ」


 そう言われると、納得するしかなかった。


 一応、自分が選ばれたわけは分かったが、それでもこのカード勝負で銀貨五百枚分の勝ちなんて──


 ロレッタが逡巡しゅんじゅんしていると、勇気づけるようにティアが革手袋に包まれた手で肩をつかんだ。


 「安心しろ」


 その声には、認めたくないがロレッタの不安を打ち消す十分な頼もしさがあった。


 「……こっちだって、まともな勝負をしてやる義理はない」


 不敵なその声に振りあおぐと、ティアは前方をじっと見詰めていた。


 その視線の先には、尊大な態度で椅子に寄りかかり、余裕の表情を浮かべている魚人種の男がいる。


 そう──


 どちらもまともなカード勝負をやるつもりなんて、ハナからないのだ。

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