第四章 仲間を求めて
第一話 ワケあり航海士
入り江の内海に無秩序に建てられた桟橋や足場の上に建てられた建築物。
辺りを夕闇が包むとそのあちこちにかがり火が焚かれ始めた。
そうすると眠っているように静かだったその水上の町が、今、目覚めたとばかりに賑やかな喧騒に包まれ始めた。
時折強く吹いた波風に足場から大きく不吉な軋みが上がる音も聞こえた。
だがしかし、そんなことは委細構わず、住民たちは賑わいに身を委ねているようだ。小舟に乗って行き交う者たちの姿が、水上のかがり火に照らされて黒々と波の上に浮かび上がる。
ロレッタは、そんな光景を〈戦乙女号〉の甲板から眺めていた。
そうしている間にティアは入り江近くの岩場に碇を下ろして船を泊めた。
入り江の内海にボートを下ろしながら、ティアがロレッタを振り返る。
「あの〈
「そうだと思うけど……」
「なら、奴は船に置いていこう。何かあれば、私に合図を送るだろう」
そう言ってボートに乗り込むティアに、相変わらず薄情な奴だな、とロレッタは鼻を鳴らした。しかし、この期に及んでロレッタまで船に残っても仕方ない。
イシュマーに心中で詫びて、ロレッタもティアに続いてボートに乗り込んだ。
ティアが、入り江の内海に建てられた無秩序な構造物にボートで近づく。
同時に、そこで暮らす人々の雑多な賑わいの音がロレッタの耳にも届いてきた。
座礁して壊れた船の中にもかがり火が焚かれ、浮かれ騒ぐ者たちの影が見えた。
日が落ちてなお一層、その水上の町は賑わいを増していくようだ。
あちこちで
水上に突き出た桟橋や足場を行き交う人々は、人間以外の種族が大半だった。
人間と、人間に近い容姿の種族しかいなかった〈
すると、不意にどんっ、と舟の底から何者かに叩かれた。
ロレッタは「ひゃっ!」と思わず舟の上で飛び上がった。
船縁から水面をのぞき込むと、海の中で鱗を光らせながら身をひるがえし、素早く離れていく人影が見えた。
驚いてその水中の影の行く先をロレッタが目で追うと、近くの桟橋に鱗の生えた獣人種の少年たちが、互いに戯れながら、海の中からはい上がってきていた。
「魚人種の子供の、他愛無いいたずらだ」
ティアが、何気ない様子で彼らに目を向けた後、再びボートを漕ぎ始める。
「目くじらを立てて相手するだけ無駄だ。放っておけ」
「う、うん……」
ティアは意に介する様子もなかったが、ロレッタにはあまりに未知の世界だった。
ほんの少し前まで想像もしなかった水上の町、その夜の賑わい。
そのただ中へティアの漕ぐ舟に乗ってロレッタは足を踏み入れていった。
〇
舟を桟橋に着けて、水上に組まれた木の足場の上に上がる。
先に舟を降りたティアが革手袋に包まれた手を差し出してきた。
ロレッタは遠慮なく、その手をつかんで足場によじ登る。
革手袋に包まれたティアの手は水の詰まった革袋のようにわずかに沈み込んだ。
しかし、確かな感触でロレッタの手をつかみ足場の上に引き上げてくれる。
すると、途端に複数の人影が自分たちの元へ近づいてきた。
手足が鱗に覆われ、水かきの生えた──獣人種の男たちだ。
三又槍や
「……しばらく見ない間に、随分と魚人種の連中がはばを利かせているな」
「平気、なの?」
「ひとまずは。大人しく従っておこう」
ティアが腕を組み、武装した魚人種の男たちに共用語でない言語で話しかけるのが聞こえた。果たして通じるのだろうかと思ったが、魚人種の男たちは顔を見合わせ、ひとまずは武器を収めたようだった。
そのまま二言、三言、ティアと魚人種がやり取りを交わす。
その間に、ロレッタも大陸南岸や付近の島々に暮らす獣人種に属する少数種族──魚人種についての知識を思い出していた。
魚人種はその名の示す通りに魚の特徴と人の特徴を併せ持った種族で、主に大陸南岸の島々に暮らしている。
人の住まわぬ孤島の浅瀬や、洞窟などに定住して生活している。
ただ、人間とは繋がりの薄い種族で、独自の文化や言語を持つ彼らは、人間よりむしろ〈
(だから、異種間戦争時代はまともに扱われなくて……今でも、人間や他の種族に対して敵意を持っている者が多い……って、前にイシュマーが話してたっけ)
ティアがやり取りを重ねているが、それでも険悪な雰囲気が漂う。
ここが彼らの縄張りなら、目を付けられるような真似はしない方がいいだろう。
そう思って、ティアの言葉に従って脇に控えていたが──ふと、一人の比較的人間に近い容姿をした魚人種がにやにやしながら、ロレッタの元へ近づいてきた。
「────!」
「へっ?」
何か話しかけられたが、共用語しか知らないロレッタには全く理解できない。
その場のリーダーらしい三又槍を持った魚人種の男と遣り取りしていたティアがきっとこちらを振り返り、何事かつぶやいて手を振ってその魚人種を追い払った。
ティアに睨まれた魚人種の男は、なおもにやついた顔でロレッタから離れていく。
そんな一幕がありつつも、その場はどうやら収まったらしい。
魚人種の武装した男たちは離れていく。
なおもにやにやしながらこちらを見ている魚人種の男たちを横目に、ロレッタはティアにささやきかけた。
「ねえ、さっきあたしに話しかけて来た奴、あれ、何を言ってたの?」
「あれは……」
ティアが露骨に気まずげに口ごもる。
水の塊みたいな体をしているが、案外にその感情表現は結構分かり易いことに、ロレッタも気付き始めていた。
「まあ、歓迎されてる感じじゃないのはさすがに分かるけどね」
ロレッタは息を吐いてうなずく。
ティアもさすがに目に余るとばかりに制止していたし、ひどく侮辱的な発言を受けたのは、なんとなく察した。
ロレッタは横目に何か内輪同士で、ぎやっぎゃっ、と笑い声を上げて去っていく魚人種の男たちを見やる。
「……あいつら、共用語は分かんないんだよね?」
「ん?……ああ、少なくともあの連中は共用語を知らないようだけど」
ティアが腰に手を当てて見下ろすのを感じつつ、ロレッタは離れていく魚人種たちを振り向いた。
できるだけにこやかな笑顔を形作って、決してこちらの真意を悟られないように身振りを交えて──
「刺身にされて喰われちまえ!バカヤロー!」
ロレッタが叫ぶと、魚人種の男たちが困惑した表情で互いに顔を見合わせる。
背後でぴしゃっ!と水音がして振り返ると、ティアが顔の水を波立たせていた。
思いっきり悪態をついたのがバレないように、ロレッタは魚人種たちに愛想よく片手を振って、その場から離れる。
ロレッタは何食わぬ顔でティアと合流して、その隣に並んで歩き始める。
ティアが額に手をついて、ぶくぶくと口元に泡を立てて息を吐いた。
「お前を育てたあの男が手を焼いていたらしいが、その理由がよく分かった」
ティアは帽子に手を当てて、またぶくりと一つ口元に泡を立てた。
「……どうして、あの大人しいロレーナからこの娘が生まれたんだ……」
なにやらぶつぶつとつぶやいているティアだったが改めて水上に築かれた不夜城──〈吹き溜まりの港〉へと向き合った。
「まあいい。……今度こそ、騒ぎになるような真似はするなよ」
そう言って、ティアは自分のそばに置き監視するように、ロレッタの手を掴んだ。
〇
ティアは〈吹き溜まりの港〉で、誰かを探している様子だった。
彼女は煌々と明かりの灯された酒場を何軒か渡り歩いた。
ロレッタは入り口近くに置いて、騒ぎを起こさないように注意深く横目に見ながら、それぞれの酒場の店主に何か聞き込んでいる。
「ねぇ、こんな胡散臭い場所の酒場に寄り着くような奴が本当にアテになるの?」
「…………」
ロレッタが疑わしに声を発すると、ティアは無言でちらりと
そのまま足元の木組みの足場を軋ませて、別の酒場へ向かうのに、ロレッタも息を吐いてその背中に従った。
しかし、次の酒場でも目当ての人物は見つからなかった。
ぶくっ、と息を吐いてティアが、足場の上に焚かれたかがり火を見て腕を組む。
半目になっているロレッタに向けて、さすがに説明する義務があると感じたようで、口元をさざめかせる。
「……癖のある奴には違いない。しかし、そいつを見つけないことには始まらないんだ。……もう少しばかり付き合ってくれ」
「それはいいけどさ」
ロレッタが不満げに唇を尖らせると、ティアは再び無言で足場を歩き始めた。
この〈吹き溜まりの港〉は現在、魚人種の根城になっているようだった。
彼らの姿を多く見かける代わりに、他の種族はどこか肩身が狭そうにしている。
以前の〈吹き溜まりの港〉をロレッタは知らないが、魚人種が幅を利かせるようになって、ひょっとしたら治安も悪化しているのかもしれなかった。
「……此処にいなかったら、本格的に探すことになりそうだが……」
難破船を引き揚げ、豪気なことにそのまま酒場にしてしまったらしい。
そんな半ば水に沈んだ建物の前に立って、ティアがぶくっと息を吐いた。
その扉にティアが手を掛けた瞬間だった。
フジツボの殻の付いた扉が、内側からばぁん!と勢いよく開かれた。
「カネ!ヨウイシテコイ!ドウカイチマイ、ゴマカスナ!」
明かりの灯された酒場の中から顔をのぞかせた魚人種の男が片言の共用語で叫ぶ。
かと思うと、誰かを思いっきり、勢いよく店の外へと投げ飛ばした。
その騒動に巻き込まれないようにティアがとっさにロレッタを背に庇う。
二人の目の前で、店から追い出された客がぐるぐると海上に突き出た足場の上を転がって、勢いよく近くの桟橋の柱にぶつかった。
酒場の扉が音高く閉まる。
ロレッタが呆気に取られていると、ティアが息を吐きながら、その追い出された客の元へと歩み寄っていった。
背中を打って完全にのびているその客の襟元を、ティアがぐいっとつかむ。
「おい、目を覚ませ」
ティアが軽く揺すると、その客は「う~~~ん……」と低く頭を押さえてうめいていた。人間ではない。獣人種──手先のように器用に動く羽と、尖った嘴が見えた。
鳥の、獣人種だ。
「あえ……?あんた……いや、あなたは、船長……?」
「お前、また何かのトラブルに首突っ込んでるの?」
どうやら、その鳥の獣人種の男がティアの探している『助け』らしかった。
「いやぁ、はは……」と気まずげに視線をそらし、羽の先で頭をかくその男を呆れたように見下ろすティアが、ぶくっ、と一つ息を吐いた。
「……困りごとなら手を貸す」
「本当ですか!?船長!?」
ぱあっ、と目を輝かせ、ティアにすがりつく鳥の獣人種の男。
その顔を見下ろして、ティアはうなずいた。
「ただし、お前の抱えているトラブルが解決したら、今度は私の方に手を貸してもらう、交換条件。それでいい?」
そして、ティアはその男の名を呼んだ。
「我が航海士……アルトー」
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