第七話 猶予

 「アジな真似してくれるじゃねぇか、この『水溜まり』がよ……」


 波間にたたずむ水の塊のような姿をした船乗りにロレッタは抱えられていた。

 すると、頭上からあの頬に傷のある海賊の声が聞こえた。


 ロレッタが振りあおぐと、海賊船の舳先から頬に傷のある海賊が見下ろしていた。


 松明の火は船乗りが手に持ち、明々と燃えている。

 これでは港にいる海賊たちも判断がつかないはずだ。


 しかし、こちらの考えを見透かしたように、海賊は腕を組んだ・


 「残念だったな。松明の件はただのハッタリだよ。部下にはもう、港の方に手を出すなと合図を出している。その松明の火をどうしようがここの港が爆破させられはしねぇよ」


 「なっ!?」


 思わぬ海賊の言葉にロレッタは息を呑み、言葉を失った。

 その体を抱える異形の船乗りが、顔の水面をさざめかせる。


 「何が、目的だ?」


 異形の船乗りの問う声に、頬に傷のある海賊はその傷を引きつらせて笑った。


 「だが……こっちはハッタリでも誤魔化しでもねぇぞ」


 頬に傷のある海賊が背後を振り返ると、そこからすっと人影が現れた。

 ロレッタは思わず大きく目を見開いた。


 「父さん!」


 そこに現れたのは、背後から首筋に刃物を当てられ、苦しげに目を細める父、カルドスの姿だった。


 〇


 「……父さん、か」


 ロレッタの悲鳴を聞いた頬に傷のある海賊がにやりと笑った。


 「カルドス、あのガキはてめぇの娘なのか?」


 父はフードをかぶった船員に刃を当てられ、苦しげにうめきながら口ごもった。


 「そ、れは……」

 「父さん……?」


 口ごもる父の姿をロレッタが見上げる。

 カルドスはうつむいたまま酷く苦しそうに顔を歪めた。


 「ふん、あんまりいじめてやるのも酷か。……まあ、大体、事情は察したよ」


 そう吐き捨てて、頬に傷のある海賊は舳先から身を乗り出した。

 海賊はロレッタたちを鮫のような獰猛な黒い瞳で見下ろした。


 「おい、小娘。てめぇの親父を無事に帰して欲しかったらよ、俺に『ある物』を持ってくるんだ」

 「あっ、ある物って……?」


 ロレッタが呼吸を乱しながら思わず尋ねる。

 片頬に傷のある海賊は舳先に片足を置いて、身を乗り出しうなずいた。


 「〈生命の泉水〉という、不老不死の霊薬だ」

 「〈生命の泉水〉……不老、不死の、霊薬……?」


 まるきり意味が分からずにロレッタが困惑の声を上げる。

 困惑するロレッタには取り合わず、海賊の男はロレッタを抱える船乗りを見た。


 「詳しいことはその『水溜まり』に聞け」


 言われて、ロレッタは、海の上にたたずみ両腕で自分を抱えている、あの水の塊のような体をした船乗りを見詰めた。


 「どういうこと?」

 「…………」


 ロレッタが問いかけるのに、船乗りは答えない。

 その水面のような顔には、険しい表情を浮かべた顔立ちが浮かび上がっていた。


 ロレッタたちの遣り取りに構わず、頬に傷のある海賊は言葉を続けた。


 「俺たちぁ、当分の間、この港に居座らせてもらう。てめぇの親父、カルドスも無論そうだが、この港、ここにいる住民ども全員の命とその薬が引き換えだ」

 「ま、待って……!そんなの……!」

 「猶予は十日間だ」


 頬に傷のある海賊は冷酷に告げて、ロレッタたちを見下ろし黒い目を細めた。


 「〈傷痕の男スカー〉、そんな、脅しが私に通用すると……」


 水の塊のような船乗りが全身をざわりと波立たせた。

 その体の周囲の海面が逆巻くように、白波が立った。


 ロレッタははっとなって、その船乗りの胸にすがりついた。


 「待って!お願い!父さんを見殺しにしないで!」

 「……っ」


 ロレッタが懸命にすがりつき、叫んだ。

 すると、水の塊のような船乗りの全身がさざめいていたのが収まる。


 異形の船乗りの足元で逆巻いていた波が、静かに凪いだ。


 「聞き分けのいいガキは好きだぜ」


 ロレッタを見下ろしていた頬に傷のある海賊が、嘲るようにうなずいた。

 そうして、海賊は立ち上がると、背後で身動きのできないカルドスを振り返り、笑いながらその肩を叩いた。


 「孝行な娘に育ってくれてよかったなぁ、カルドス。泣かせるじゃねぇか」


 カルドスは答えない。うつむき、ふるふると体を震わせてまぶたを閉じている。


 「なら、嬢ちゃんよ、よく聞きな」


 改めてロレッタを見下ろし、頬に傷のある海賊は「ひひひ」と帽子に手を触れた。


 「さっきも言ったがその霊薬の在り処は、そこの『水溜まり』が知っている」


 頬に傷のある海賊は水の塊のような船乗りを指差す。


 「親父を返して欲しけりゃ、そいつに泣きつくなり、口説くなり、なんでもやって〈生命の泉水〉を、此処へ、俺の元へと持ってくるんだ」

 「そんなの……どうやって」


 ロレッタがすがるように声を上げても「それは俺の知ったことじゃねぇ」とにべもなく、海賊の男は腕を組んだ。


 「期限は十日後の日没だ。その約束が果たされなければ、俺はてめぇの親父を『処刑』する。……この港の連中も同様だ。港に置いた爆薬も爆発させる」


 「分かるよな?」と冷酷に問う海賊の声に、ロレッタは体の芯から震えあがった。


 怖い。

 父親や、多くの人の命が自分に懸かっているのだと思うと、恐ろしくて堪らない。


 でも──


 ──「……分かった」


 ロレッタは船の上から見下ろす海賊の顔を真っすぐに見詰め返し、うなずいた。

 その表情を見て取った海賊の男は、すうっとその黒い瞳を細めた。

 その目を睨み返して、ロレッタは口を開いた。


 「これは約束。あんたが私に守らせるつもりなら、あんただって父さんや、この港の人たちを無事に返さなきゃいけない。それを忘れないで」


 頬に傷のある海賊は、ロレッタを見詰めていたが、やがて立ち上がった。

 すっと手に持っていた舶刀カットラスの刃を、父の胸元に滑らせる。


 「ぐっ!」


 父がくぐもった悲鳴を上げ、その胸元から血が噴き出すのを見て、ロレッタは「なにすんのよ!」と厳しく叫んだ。


 「勘違いすんなよ。……〈生命の泉水〉と引き換えに親父と港の連中は返してやるが、逆らったりした時にただ無傷で返してやるとは一言も言ってねぇ」


 卑劣な言い分に、ロレッタは拳を握り締めた。


 「なんですって……!?」

 「いいからとっとと行けよ!でなきゃ、てめぇの親父の指を切り落としていくのを見る羽目になるぜ!」


 その声に、ロレッタは思わずその海賊めがけて掴みかかろうとした。

 しかし、海の上にたたずむ船乗りが強引にロレッタの体を抱え込んだ。


 「十日後の日没だ!無事に親父を返して欲しけりゃ、早く持ってきやがれ!」


 波間を滑るように船乗りはその場を離れていく。

 その腕の中で、ロレッタはそれを振りほどこうと身をよじった。


 「待って!放して、放してよ!」


 父が囚われた海賊船が次第に離れていく。

 その甲板の上から、高らかなあの海賊の哄笑が聞こえた。


 「いいか!必ず持って来いよ!〈生命の泉水〉をな!」


 〇


 泣くつもりはなかった。


 しかし、人質に取られた父を乗せた海賊船が遠ざかっていくと、ロレッタは耐え切れずに声を上げて泣いた。


 頬からこぼれ落ちた涙がぽつぽつと、自分を抱きかかえる船乗りの肩に染み込む。


 真っ暗な海の上を滑るように歩き続ける船乗りの腕の中で、ロレッタは何度もしゃくりを上げた。


 やがて、ロレッタの鳴き声が収まったのを見計らって、水の塊のような船乗りの顔がさざめいた。


 「あの男の出した条件を、そのまま呑みにはできない」


 かすかにうつむき、顔面の水面をふるふると震わせるその船乗りは告げる。


 「あいつは……ロレーナを、お前の母親を殺した張本人だ」

 「でも……」


 ロレッタはその船乗りの胸に顔をうずめて、まぶたをこすりつけた。


 「だとしても、あたし……父さんまで喪いたくない……」

 「…………」


 船乗りはただ無言のまま波を踏み越えて、港から離れていく。

 ロレッタはその胸に抱えられてぼうっとしていたが、ふと波打ち際から争う声が聞こえて、はっとそちらを振り向いた。


 「待って!あそこに……人が、友達がいる!」


 ロレッタが叫ぶと同時に、波打ち際に追い込まれた誰かが倒れ込む。


 「お願い、助けてあげて!」


 ロレッタが叫ぶと、ぴちゃっ、と船乗りの顔の辺りの水面が波打った。

 舌打ちするような仕草だったが、本当にそうだったのかもしれない。


 ともあれ、その船乗りは鞘から舶刀を抜き放つと、水面に白い波を立て、滑るように波打ち際へと近づいていった。


 波打ち際に倒れたその人物に、海賊たちは再び襲いかかろうとしていた。

 異形の船乗りは打ち寄せる波と共にその間に割って入ると、ロレッタを放した。


 すかさず海賊相手に船乗りが立ち回る。

 自分の背中が守られているのを確かめ、ロレッタは波打ち際に倒れるその人物を助け起こした。


「イシュマー!」


 それは、端整な顔立ちの〈水精霊〉だった。


 「ロレッタ……」


 イシュマーは苦しげにうっすらと目を見開いた。

 その背中から血が流れ出ているのに気が付いて、ロレッタは息を呑む。


 しかし、幸いに傷は深くないようで、イシュマーは自力で立ち上がった。

 ロレッタは彼の腕を取って支えながら、その場から離れていく。


 すると、少し離れた浜の上で更に複数の人影が動いているのに気が付く。


 「ローダン!」


 幼馴染の少年が海賊らしい数人の男から逃げ回っていた。


 「ロレッタ!」


 ローダンは無傷のようで、なおも走りながら岩場の洞窟へと向かっていた。


 「俺は平気だ!洞窟の中まで走って逃げる!洞窟の中なら逃げ切れるから!」


 「ロレッタはイシュマーを連れて逃げろ!」と、叫ぶローダンは、岩場の方角へ駆け抜けて、彼の姿は闇の向こうへ消えていく。


 ロレッタは思わず呆然と立ち尽くしていたが、他の海賊たちも駆けてきた。

 こちらの姿を確かめると、武器を手に向かってくる。


 「やばっ!」


 手に手に舶刀を持って向かってくる海賊たちから、ロレッタは懸命に逃れる。

 イシュマーを連れて逃げようとした時、ロレッタの肩をひやりとした感触が触れた。あの船乗りが、波打ち際から手を伸ばしてロレッタに触れていた。


 「悪いが私にもこれ以上余力はない。離れるぞ」


 異形の船乗りがかすかにうつむきながら、そう告げた。

 ロレッタとイシュマーをれぞれ肩に担ぎ上げると、水の塊のような姿をした船乗りが波の上を滑っていく。


 「これ以上この場に留まることはできない。……今すぐ、私の船に向かう」


 ロレッタに向かって低く告げた船乗りの言葉に、他にどうしようもなくうなずく。


 海賊たちがなおも追ってくる気配がしたが、海の深みの上へと逃げていくロレッタたちを、それ以上追いかける術はないようだった


 船乗りはなおも足を止めず、沖へと向かっていく。


 やがて、その行く手にあの古い船の影が見えてきた。


 ロレッタは担ぎ上げられた肩の上から、遠ざかっていく〈翠緑の港ポートエメラダ〉の港の景色を食い入るように見詰めていた。


 父と、多くの人が囚われ、存亡の危機に瀕した小さな港町。

 自分をここまで健やかに育ててくれた、美しく、暖かな人々の暮らす土地。


 いつか、そこから離れて旅に出る事を望んだ故郷。


 しかし、夢見たのは決してこんなロレッタの意に沿わぬ形ではなかった。


 ロレッタは暗い波の向こうへと、自分がこぼした涙が消えていくのを見た。

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