第六話 明かされる正体
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「そんな……」
ロレッタは地下通路を抜けた先──港近くの海岸線に立ち尽くしていた。
ここからでも、見て取れる。
〈
「間に合わなかったの……?」
〈翠緑の港〉の住民たちは既に港から退いていた。
「こんな事、本当に、そんな……」
岩場の陰で、ローダンが手を突いて自分の目を疑うように目を見開いた後、それ以上は言葉が紡げずに、うずくまってしまった。
港はここの住民たちの生活の要だ。
それが奪われてしまったら住民の生活が成り立たない。
「これでは他所に助けを呼ぼうと思っても港から船を出せない。……地上の険しい道を行くのは危険だし、時間がかかり過ぎてしまう……」
イシュマーのつぶやく声に、ロレッタも頭の中で同調する。
港から逃げ出したら一時的に丘の上の砦や昔の防御施設に逃げ込むことになる。
しかし、そこから他所の港や町に助けを呼ぶのには時間がかかり過ぎてしまう。
それまで、この港が持ち堪えられるかどうか──。
そんなことを考えていると、ロレッタは海賊船の甲板で鋭い光が閃くのを見た。
船の上の夜闇の中で、いくつも青白い火花が散っている。
ロレッタが目を凝らすと刀を打ち合わせる人影が見えた。
「待って、まだ誰か、戦ってる!」
ロレッタの声にイシュマーとローダンも同時に甲板を見上げた。
波打ち際に駆け寄っていくと、海賊の頭領らしい痩身の男と──
あの古びた軍服姿の船乗りが、
そして、そのすぐそばにもう一人──
「父さん!?」
見間違えるはずがない。
険しい張り詰めた表情で銛を構え、二人の船乗りの戦況を見詰めている。
居ても立っても、いられなかった。
「ロレッタ!」
波打ち際を走り出すと、イシュマーとローダンが驚いて追いかけてくる。
それでも、ロレッタは構わず夜の闇に黒く染まる海に飛び込んだ。
騒乱に包まれる港へ、暗い海を泳いでロレッタは海賊船へと向かう。
せめて、父の助けにならねば──
**
〈
カルドスは汗に滲む視界と揺れ動く足場に、銛の狙いをつけられなかった。
焦りに唇を噛みながら、濡れて滑る足元を懸命に踏ん張る。
十年、日々の暮らしの中でも決して銛を手にすることがなかった。
忌まわしい記憶を封じ込めたくて、争いの為に使った技を思い出したくなくて。
だが、その記憶を遠ざけた為に力と技は如実に衰えていた。
(腕よ、手よ、指よ!どうか思い出してくれ!あの頃のように、海賊だった頃の……)
だが、素早く甲板を踏みかえ、体を入れ替え、舶刀の刃を打ち合わせる〈傷痕の男〉とあの船乗りの動きについていくのが、カルドスにはやっとだった。
とてもではないが、狙いが定められない。
過去から、己の業から目を背け続けた結果が、こんな皮肉な形で跳ね返ってきた。
そんなことは想像もできなかった。自分が甘かったのだろうか。
──「揃いも揃って甘ったれだよ、貴様らはよ」
そうしていると〈傷痕の男〉が、自分とあの船乗りを交互に見比べた。
凶悪な海賊の男は、
「カルドス、てめぇは自分のした事から背を向けて、すっかり腑抜けちまったよ」
「……っ!」
「『水溜まり』、てめぇはあの夜、俺にとどめを刺しとくべきだった」
舶刀を弾き
「そんなだからよぉ……俺に十年も時間を与えて、足元すくわれちまうんだよ!」
「ほざけ!」
吐き捨てるように叫んで、あの船乗りが〈傷痕の男〉と舶刀を打ち合わせた。
互いに刃を押し込み合い、激しい鍔迫り合いになり火花を散らす。
しかし、最後は船乗りの方が渾身の力を込めて押し込んだ。
「ぐっ!」
〈傷痕の男〉が、よろめいて後ずさり、船首を背にする。
「……口ほどにもないな」
追い詰められた〈傷痕の男〉に、船乗りはすっと舶刀の切っ先を向ける。
それを見て〈傷痕の男〉は「へへ……」と顎に手を当てて、船首に掲げられた松明を片手に持った。
「準備ってのはなにもよお、てめぇと直接やり合う為ばかりのものじゃねえのよ」
「なんだと……?」
「ひひひ」と〈傷痕の男〉は、松明を船首の向こうの海の上へ、高々と掲げる。
「なあ、この松明を今、ここから落としたらよぉ、何が起こると思う?」
「なに?」
「俺の部下たちはよ、今、港に出払ってる。俺自身をエサに、お前らをおびき寄せる理由もあったがよぉ、他にやってもらう事があったからなぁ」
舶刀を油断なく構えながら〈傷痕の男〉は松明を暗い海面へと向ける。
「今、あの港には、なにもかも全部吹っ飛ぶだけの火薬を仕込んである」
「なっ!?」
驚愕の声を上げるカルドスに、〈傷痕の男〉がにやにやと目を向ける。
「そうだ。でもって、俺の合図を待ってんのよ。この松明を落としたら、部下たちが火薬の導火線に火を点ける」
「そっ、そんなこと……できる、はずが……!」
カルドスは懸命に銛を持ち上げ構え直した。
船首に追い詰められた〈傷痕の男〉に狙いを定める。
「貴様が恐怖で縛り付けてる連中だ。そんな命令……聞くわけが、ない……」
「本当にそう思うか?」
〈傷痕の男〉に狙いを定めたはずの銛の先が、動揺に震えた。
「なら、試してみろよ。てめぇらが一歩でも動いたら、俺ぁこのまま、この松明を海に投げ入れるだけだぜ」
もし、万が一にも〈傷痕の男〉の言葉が真実で、その命令が実行されたら──
港が破壊されれば、〈翠緑の港〉の住民が生活を立て直すのは極めて困難だ。
全ての生活の根本である港を奪われ、その再建だけでも長い月日がかかって──
〈翠緑の港〉の暮らしは、根本から破壊されてしまう。
「…………」
あの船乗りが、無言のまま舶刀の柄をぐっと握り締めた。
「私は、お前を確実に仕留める為に、此処へ来たんだ」
きっぱりと告げると船首に追い詰めた〈傷痕の男〉へと詰め寄ろうとする。
カルドスはとっさにその背中をつかんだ。
「待て……待ってくれ!」
「っ!放せ!この邪悪な男の思惑通りになって、どのみち港の人間が無事で済むと思うか!?」
「そっ、それでも……港を爆破させるわけには……!」
激しくもみ合うカルドスと船乗りを、〈傷痕の男〉が腕を組み悠然と眺めている。
こんな事をしている場合ではないのに──
カルドスはとっさに、その船乗りの体を振り払った。
「っく!」
勢い余って、カルドスはその船乗りの体を甲板の上へと弾き飛ばしてしまった。
体勢を崩して、甲板に背中から叩きつけられる船乗りの──
その体がびしゃっ!と音を立てて飛沫を上げた。
カルドスは唖然とする。甲板の上に帽子が転がり、船乗りの素顔がさらされた。
「何を、するんだ……」
水面が波立ち、さざめくような声。
──いや、実際にそれは水面が波打ち、人の声を形作っているのだった。
倒れた船乗りは片手を甲板に突いて、起き上がろうとしている。
その手袋の隙間や、立ち上がろうとするブーツからも水の流れるような音がして水滴がしたたった。
船乗りが立ち上がると、その頭部の水塊が人の顔を形作った。
その眼差しがカルドスへと向けられ、水面に呆然とする自分の顔が映り込んだ。
「あんた……は……」
霊薬を被って元の肉体を失い、海から離れられなくなった、呪われし船乗り。
全身が水の塊になってしまった、呪われた〈
かすかに波打つその船乗りの顔面が憎々しげに自分に向けられて──
呆然としているカルドスの耳に、くぐもった〈傷痕の男〉の悲鳴が聞こえたのは、その次の瞬間のことだった。
**
「どこから入ってきやがった、このガキぃ!?」
ロレッタは船首から素早く海賊船に乗り込み、その船首にいた男の背後から、松明を奪い取った。
話は身を隠している間に聞いていた。
この松明を、あの海賊に返すわけにいかない。
「ロレッタ!?」
父がこちらを向いて叫ぶ声が聞こえた。
ロレッタはそちらに駆け寄ろうとしたが、目の前に痩せた男が立ち塞がった。
「その松明を返せ、このくそガキがぁ!」
「……っ!」
海賊が鋭く光る舶刀を振り下ろすのを、ロレッタはとっさに船の舳先へと逃れた。
他に逃げ場がなく船首から突き出た揺れる柱の上にロレッタは逃れた。
その柱には、あの鮫の大きな顎の骨が吊り下げられていた。
ロレッタが柱の上に追い詰められ、じりじりと後ずさると、柱が大きくしなった。
「うわ」と思わず悲鳴を上げるロレッタの足の下で、鮫の大顎の骨が揺れている。
「てめぇ……この、クソガキ」
頬に傷のある海賊は、毒づきながら足元の柱を見下ろした。
「ちっ、しゃあねぇ」
そうつぶやいて、海賊はがんっ、と足元の柱を蹴りつけた。
途端に、ロレッタの足元で柱が大きく揺れて、反射的にかがみ込んだ。
「ここからてめぇと一緒に松明落とすのも変わらねぇ。さっさと落ちろ!」
そう言って、海賊は再び強く柱を蹴りつけた。
大きくたわんで揺れる柱をロレッタはとっさにつかんだ。
何度も、何度も、がんがんと頬に傷のある海賊は柱を蹴りつける。
ロレッタは耐え切れずに悲鳴を上げた。
「助けて……!助けて、父さん!」
そう悲鳴を上げると、船の舳先から何かがロレッタめがけて飛び込んできた。
顔を上げると、水の塊が服をまとったような奇妙な姿の──怪物の姿が見えた。
それが、するりとロレッタの体を包み込んだかと思うと、松明をロレッタの代わりに革手袋に包まれた片手でつかんだ。
そのまま、海の上に落下する──
破滅的な未来が脳裏をよぎってロレッタはまぶたをぎゅっと閉じた。
しかし、さざめくような水音がロレッタの周りを包んだ。
「安心しなさい」
水面に水滴が一粒落ちるような、静かな声が聞こえた。
目を見開くと、ロレッタを抱きかかえたあの異形の船乗りが、波打つ港の海の上を、両足で踏み締めて──
──波の上に、しかとその両足で立っていた。
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