第五話 交わる刃

 **


 ロレッタは子供同士の探険ごっこの記憶を、ローダンと共にたどっていた。

 港の地下に張り巡らされた、かつての海賊時代の地下通路。

 その暗黒に満ちた地下の空間を、手にカンテラを掲げて進んでいた。


 地下通路は複雑に入り組んで、曲がりくねった構造になっている。


 「港に攻め込んできた敵を迷わせ、足止めさせる構造になっていたのだろうね」


 イシュマーが古い石積みの通路の壁をカンテラの光に透かし見ながらつぶやく。


 「平和な時代になって使われなくなった間に、忘れられちゃったんだ」

 「本当なら、使う必要がないのが一番だったんだけどなあ」


 ローダンが嘆息交じりにつぶやく言葉に、ロレッタも「それは確かにそうだね」とうなずいた。

 ロレッタたちは地下牢らしき小部屋がある空間を横目に通り過ぎていった。


 「でも……ちゃんとこの通路の存在が大人たちに伝わってたら、あの海賊たちにももう少し抵抗できたかも……」


 ロレッタは思わず悔しげに呻いた。

 地上の砦もこうした地下の通路も、万一の備えだったはずなのだ。

 それが、いつしか誰も近づかなくなって、子供の遊び場になってしまっていた。


 「それは、今考えてみてもせんないことだよ」


 後ろからついてくるイシュマーが、淡々とした口調で告げた。


 「それに、忌まわしい記憶は必要でなければ遠ざけておきたい、忘れてしまいたいというのも人の当然の感情だよ。……ロレッタは、どうかな?」

 「あたしは……」


 言いかけて、ふとロレッタは口をつぐんで考え込んだ。


 (父さんも……昔の事、忘れてしまいたかったのかな)


 若い頃、〈翠緑の港ポートエメラダ〉を離れている間の出来事を誰にも話さない父のこと──


 母親のことも、あのオルゴールのことも、ロレッタから遠ざけて、出来ればなかった事にしたかったのかもしれない。


 「あたしには……分からないよ」


 ロレッタはカンテラの光の中で、小さくかぶりを振った。


 「今のあたしには分からない。……でもひょっとしたら、大人になって、色々な事を経験して、振り返る過去ができたのなら……分かるのかもしれない」


 ロレッタがつぶやくように言った返答を聞いて、イシュマーはカンテラの光の中で切れ長の目を細めた。


 「そうかい。……そうかもね」


 そこから先は、三人とも無言で地下通路を進んだ。

 すると、やがて潮の匂いのする水が流れ込む水場にたどり着いた。


 「ここは外の海に繋がっているようだ」


 後ろを歩いていたイシュマーがそう言って水辺に歩み寄る。

 ひたひたと打ち寄せる水面に美貌の〈水精霊ニンフ―〉は手をかざした。


 「少し、これで外の様子を確かめてみるよ」

 「うん、お願い」


 無防備で港に──海賊たちの前に出ていっては危険だ。

 〈水精霊〉のイシュマーなら、水中の魔素を通して、ある程度は外の様子を把握できるはずだ。


 そう思って、ロレッタはイシュマーの様子を見守っていた。

 しかし──


 「これは……」


 じっと水面の上に手をかざし、何かを探るように目を細めていたイシュマーの端整な顔が、険しくなった。


 **


 港に近づいていくと、既に港町の住民と〈大鮫号〉の船員たちが争っていた。


 「まずい、既に始まっている……!」


 港のあちこちの施設に火の手が上がっているのがカルドスの目にも見えた。

 争い、悲鳴を上げる〈翠緑の港〉の住民たちの姿に、カルドスは今にも加勢に走りたい衝動に駆られたが、ぐっと堪える。


 なにより今は、〈傷痕の男スカー〉を仕留めなければ。


 カルドスは次第に目の前を覆いつくすように近づく、黒い船体を見上げた。


 〈傷痕の男〉の口車に乗って、海賊に身を落としてしまった過去の自分。

 脱け出そうとして、それでも暴力と恐怖による支配に打ち勝てなかった。


 ロレッタの母──ロレーナと出会って、彼女が〈生命の泉水〉などというあるかないかもはっきりとしない物の為に責めさいなまれる姿に、自分が手に染めていたことの罪深さをようやく理解した。


 ──いや、目の逸らしようがなくなった。


 あの嵐の夜、自分の命に代えても彼女と、彼女の娘を助け出そうと心に決めた。


 だが──


 (あの時、俺はロレーナを救うことができなかった。……今またここで〈翠緑の港〉の人々を、俺の過ちの為に巻き込むことはできない)


 カルドスはぐっと拳を握り締め、舟の上に腰かけるあの船乗りを見た。


 「覚悟はできてる。頼む」

 「……いいんだな?」

 「ああ、〈傷痕の男〉はここで止めねばならん」


 カルドス自身の、命に代えても。


 **


 「……海賊の末裔と聞いていたがなぁ」


 〈大鮫号〉の甲板の上から、〈傷痕の男〉は腕を組み、火の手の上がる港の景色を見下ろした。


 「すっかり平和ボケしちまったようだなぁ。てんで歯ごたえがねぇや」


 港を固めていた町の男たちは既に戦意を失い、港から退き始めている。

 放っておけば町への略奪が始まるだろう。

 血気盛んな荒くれ揃いの船員たちだが、手綱は締めねばなるまい。


 「面倒くせぇが、適当な所で切り上げさせるか……。この後のこと考えても、派手にやりすぎんのはまずいな」


 そう思案して、〈傷痕の男〉が片手を挙げ、部下に合図を出しかけた時だった。


 「おっと……」


 背後から空を切って何かが飛んでくる音に〈傷痕の男〉は素早く身を翻した。

 軽く甲板の上でステップを踏むように踏んだ足元に、鋭い銛が突き立った。


 「……不意打ちか。おめぇにしちゃ、悪くなかったがよ」


 甲板に突き立った銛を見て〈傷痕の男〉は不敵に嗤う。

 顔を上げると、かつて自分の部下だった銛打ち──カルドスが甲板に現れていた。


 「腕が落ちたな、カルドスよぉ」


 カルドスは甲板に立ちながら、脇に抱えていた銛をもう一本、構える。


 「今すぐこの港から部下を連れて出ていけ。でなければ……」

 「でなければ、なんだよ?」


 〈傷痕の男〉はおどけるように両手を広げた後、腰の舶刀カットラスの柄に指をはわせた。そして、醜い傷痕を引きつらせて頬を歪めた。


 「……できもしないことを最初から口にすんじゃねぇよ、ヘタレが」

 「見くびるな。俺の過去の過ちの為に、周りを巻き込むわけにいかない」


 カルドスは、甲板を円を描くように移動する〈傷痕の男〉に狙いを定める。


 「俺は、今ここでその過ちを清算するつもりだ」

 「ふーん……?」


 〈傷痕の男〉はカルドスの真剣な眼差しを、逆に呑み込むように黒い瞳で見た。


 「……ああ、そうか」


 ややあって、〈傷痕の男〉は納得したようにうなずき、目を細めた。


 「お前が連れ出した、あの女……いや、娘の方か?」

 「……っ!」

 「まだ、生きて……ここにいるんだっけかな?」


 〈傷痕の男〉が、にっと白い歯を剥いて笑みを浮かべた瞬間だった。


 甲板に積まれた荷物の隙間から伸びて来た舶刀の刃を、〈傷痕の男〉は素早く抜き放ち、振るった舶刀で弾き返した。


 「……当然、お前もいるだろうと思ってたよ」


 〈傷痕の男〉は黒い瞳をしばたき、狭い荷物の隙間からずるりと進み出る古びた軍服姿の船乗りを見詰めた。


 「うすぎたねぇ『水溜まり』がよ」

 「〈鮫の歯の男シャークトゥース〉……いや、今は〈傷痕の男〉と名乗っているのだったか……」


 船乗りは「ようやく捕まえたぞ」と、舶刀を構え直し〈鮫の歯の男〉と対峙する。


 それを聞いて、〈傷痕の男〉は「ひひひ」としまりなく笑った。


 「そいつぁこっちの台詞だぜ、てめぇの為にどれだけ準備をしてきたか……」

 「黙れ。……お前の為に十年前、ロレーナは命を失い、それに飽き足らずお前はこの海をあちこち荒らし回り、嗅ぎ回っている」


 「〈生命の泉水〉のことを」と、その船乗りが告げると、なお一層〈傷痕の男〉は笑みを深めた。


 「当然だ。俺は目的の物が何処にあろうと必ず嗅ぎつける。そして、喰らいついたら絶対に放さねぇ」


 〈傷痕の男〉は再び対峙するカルドスと古びた軍服姿の船乗りを交互に見た。


 「しくも、こうして三人揃うのは、あの嵐の夜と同じだなぁ」


 ひくひくと、その時にできた頬の傷を引きつらせて、〈傷痕の男〉が告げる。


 「今度は決着つけるつもりでこいや、腑抜けども!」


 〈傷痕の男〉は、そう言って、素早く甲板を蹴って舶刀を手に斬りかかった。

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