第四話 港に集う

 **


 「この港の連中は、自分たちからは撃って出るつもりはねぇようだな」


 かがり火が焚かれた〈翠緑の港ポートエメラダ〉の港。

 その様子を船縁に足をかけた〈傷痕の男スカー〉が悠然と見下ろしていた。


 この港の住民はこちらが投げ入れた爆弾で起きた火事を鎮火した後は、港の周囲を固めて、こちらの出方を窺っているだけだった。


 「ま、これだけ兵隊集めりゃ、ちょっとやそっとじゃ手出しはできねぇか」


 〈傷痕の男〉は満足げに背後の甲板に控える武装した船員たちを振り返る。


 大陸南岸の各地の荒くれ者を集めた自分の手下たち。

 こんな小さな港町の戦力で太刀打ちできるものではない。

 装備も万全の準備を整えて、カルドスの足取りを追い、この〈翠緑の港〉の襲撃を実行した。


 「首尾よくあの『水溜まり』もおびき出せた。後は、連中を締め上げて〈生命の泉水〉の手掛かりを吐かせるだけだが……」


 〈傷痕の男〉は白いものの交じった顎髭をじょりじょりと指先でなでる。


 死者を蘇らせ、不老不死の肉体を与えるという霊薬。

 それを手に入れた、その後は──


 〈傷痕の男〉が思案にふけっていると、ふと、軍船を追っていた部下の船員たちが松明をかかげて戻ってきた。


 「船長!」

 「……なんだ?」


 その怯えをはらんだ表情で、芳しくない知らせを届けに来たのだと分かった。

 案の定、〈傷痕の男〉がゆらりとすごみを帯びて振り返ると、目に見えて怯えた態度で船員たちが半歩、退いた。


 はぁ、と息を吐いて〈傷痕の男〉は腕を組む。


 「手ぶらで帰ってきたってことは……あの船に誰もいなかったんだな?」

 「そっ、そうです。あの船を追っていったんですが、入り江を出た辺りで止まったんで乗り込んでみたら、中はもぬけの殻で……」


 松明を掲げた船員が青ざめた顔で報告するのを聞き終えた。

 〈傷痕の男〉は、ちっ、と短く舌打ちをして顎髭をなでた。


 「こっちに水飛沫をかけてきやがったのは、直接自分が乗り込んでくる目くらましだったか。『水溜まり』がアジな真似しやがる……」


 「船長……?」


 つぶやく〈傷痕の男〉を船員たちがいぶかしげにうかがい見る。


 「カルドスも港にはいねぇようだ。……となりゃ、今頃、奴と組んで俺の首を直接狙いにくる……か」


 〈傷痕の男〉はしばらく深く考えをめぐらせていた。

 だが──不意ににっと、醜い傷の残る頬を歪め、白い歯を剥いて哄笑した。


 「なら……徹底的にどんぱちやって、いぶり出してやるしかねぇなぁ?」


 〈大鮫号〉の甲板に集った武装した船員をその背に率いた〈傷痕の男〉。

 彼は、獰猛な鮫のような表情で、眼下の港を見下ろした。


 **


 「……そういうわけで、今港に近づくのは危ないんだ」


 ローダンが説明した経緯に、ロレッタは深刻な表情で黙り込む。

 その背中に、イシュマーが気遣わしげにそっと手を置いた。


 「ロレッタ……」

 「カルドスさんは、お前を連れて〈翠緑の港〉から離れるように言ってる」


 ロレッタはうつむいて唇を噛んだ。


 「カルドスさんは……港にいる海賊たちのこと知っているみたいだった。連中がすごく危険な相手だって」

 「父さんが……」


 ロレッタはまぶたを閉じて拳を握り締めた。


 きっと、父の言う事は正しいのだ。

 ロレッタの安全を一番に考えて、それが最良の方法だと父は知っている。


 自らを顧みず、ロレッタの身の安全を考えるなら──


 ──ロレッタは目を見開いた。


 「ごめん、ローダン。やっぱりあたし、父さんに一目だけでも会いたい」

 「駄目だ、そんなの危険だって……」

 「分かってる!でもさ」


 ロレッタは家の前の地面を見詰めたまま、声を張り上げた。


 「あたしと父さんが最後に言葉を交わしたの、今朝、まともに顔を合わせないで、嘘をついて。……それが、最後になっちゃうなんて……」


 言っている間に、今朝、閉じた扉越しに交わした会話が思い出された。


 父が、不器用だけれど自分を気遣ってくれた言葉。


 嬉しかったはずなのに、自分は扉を閉ざしたままつまらない嘘をついた。

 そればかりかそんなつまらない嘘を糊塗する為に、余計につまらない小細工に走ったこと。


 今更ながらに、自分の子供じみた振る舞いが身に染みて理解できた。


 ロレッタはうつむいたまま、両の手で拳をぎゅっと握り締めた。


 「お願い。あたし、父さんに会いたい。父さんに会って、ちゃんと謝りたい」

 「ロレッタ……」


 今にも泣きだしそうなロレッタを前に、ローダンも小さくうめいた。

 子供二人のやり取りを見かねたように、イシュマーが割って入った。


 「私がロレッタについているよ。カルドスとほんの短い間会うだけなら、私がこの身に代えても守るよ」

 「イシュマー……」

 「ロレッタ、君に涙は似合わない。君は前を向いて、父さんに会うことだけを考えていなさい」


 イシュマーが慰める言葉に、ロレッタは地面を向いたままうなずいた。


 「ローダン、少しでも安全に港へ近づける、何かいい知恵はないだろうか?」

 「そんなことを言われても……」


 イシュマーに問われて、ローダンは煩悶はんもんするように唸ったが──

 しかし、すぐにはっと何かに気付いたように、ロレッタを見下ろした。


 「いつか……みんなと一緒に探検した、昔の地下通路……」


 ローダンが呆然としたようにつぶやく声にロレッタは顔を上げる。

 こちらをじっと見詰めるローダンの顔を見て、ロレッタも思い出した。


 去年の夏頃だったか、近くの岩場にある洞窟から、古い地下通路を偶然に見つけて子供たちで探検した──


 その時は港の近くの水路に繋がっているのを確かめて切り上げたのだが。

 どうやら、それは昔の〈翠緑の港〉の住民が、外敵に攻められた時の備えとして掘られた避難経路らしかった。


 それを使えば──


 「地上の人々に気付かれずに、港へ近づけるかもしれない」


 ローダンが精悍せいかんな表情で言うのに、ロレッタも力強くうなずいた。


 **


 「ここからなら、周りに気付かれずに港に近づける」


 カルドスは町から離れた水路にあの謎めいた船乗りを案内していた。


 もう今は使われていない古い水路だ。

 下草に覆われた船着き場に、古い小舟が一艘、係留されていた。


 古い舟だったが、壊れてはいないようで、カルドスはほっとする。

 櫂を手に取りカルドスが小舟に乗り込むと、あの船乗りも後に続き腰を下ろした。


 黒く淀んだ水路の水面を櫂でかき分けるようにカルドスは舟を進める。

 ややあって、カルドスは静寂に包まれた闇の中、口を開いた。


 「……あんたを見ていて、色々な話を思い出した」

 「…………」

 「正直、俺にとっては大半はただの与太話としか思えない、船乗りの間に伝わる怪談話や伝説の数々だ」


 「ロレッタの奴が好きだったんだ」と、ぽつりとカルドスが告げる。

 そうすると、あの船乗りが顔を上げて目深に被った帽子からカルドスの背を見た。


 カルドスは波を立てないように静かに櫂を操りながら港への水路を進む。


 「〈傷痕の男〉……かつての〈鮫の歯の男シャークトゥース〉もそういう話を集めていた。奴は、まだ若い頃に聞き集めたその話の中で、どうしても自分の手でその存在を解き明かしたいものがあると言っていた」


 謎めいた船乗りはじっと舟に腰を下ろし、カルドスの話に耳を傾けていた。

 カルドスは、所々崩れかかった水路の瓦礫をよけながら、港へと近づいていく。


 「〈生命の泉水〉だ」

 「…………」

 「それは、かつて南の孤島で精霊種の魔道士が創り上げた不老不死の霊薬だと言われている。俺は……そんな物があるとは信じられなかったが、あの男でもそんな代物に興味があるのだと意外に思って、覚えていた」


 次第に水路の幅が広くなり、波の音が近づいてくる。

 水路の出口が──港へ続く海が、近い。


 「そして、もう一つはつい最近、娘が……ロレッタが宴の席で仕入れた怪談話」


 「不老不死の霊薬をかぶった〈水精霊ニンフ―〉の話だ」と、カルドスが告げると、腕を組んでいたその船乗りがうつむいた。


 「結局……その薬は不老不死の霊薬などではなく、その〈水精霊〉の体を溶かして、海から長くは離れられない呪われた肉体にした、そんな話だった」

 「……何が言いたい?」


 古びた軍服姿の船乗りが、帽子の奥からちらりとカルドスへ目を向けた。

 カルドスは次第に近づく水路の出口を見据えたまま、静かに応じた。


 「あんたが何者でも構わん。……この際、〈傷痕の男〉やロレーナ、ロレッタたちとどんな因縁があるのかも……」


 水路の出口に差し掛かり、カルドスはぐっと櫂を両手に握り締めた。


 「今は……〈傷痕の男〉を倒すのに力を貸してくれ」


 そうして、カルドスは港に待ち構える海賊船──

 かつて、自分が乗り込んでいた〈大鮫号〉の船影を見上げるのだった。

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