第二話 強襲

 **


 「おい」


 〈傷痕の男スカー〉と名乗ったかつての〈鮫の歯の男シャークトゥース〉が背後を振り返り、船員に鋭い目で合図を送った。


 そうすると、合図を受けた船員が何かが詰まった樽を奥から運んできた。

 カルドスが呆然と見詰める先で、そこから伸びた導火線に火を点ける。


 海賊だった頃、毎日のように嗅いだその独特な臭いに記憶が呼び起こされる。

 カルドスは大きく目を見開き、制止しようとした。


 「待て!それは……!」

 「一発、景気づけに見舞ってやれ」


 〈傷痕の男〉が命じる声に、たくましい体躯の獣人種の船員は、その樽を太い両腕で抱え、思いっきり〈翠緑の港ポートエメラダ〉の港をめがけて投げ入れた。


 カルドスの制止も間に合わなかった。


 中に詰められた火薬に火の点いた樽は、かっとまばゆい光を放った。

 その次の瞬間には、カルドスのいる場所まで届く爆風と熱を発していた。


 とっさに腕を上げて顔をかばったカルドスはゆっくりと顔を上げる。

 樽の近くにあった漁師小屋が吹き飛ばされ、ちろちろと炎が燃えていた。


 カルドスはその惨状を呆然と見詰めるしかなかった。


 「……分かったか?銛打ち野郎」


 その冷酷な声にカルドスは震えながら振り返る。

 〈傷痕の男〉が昔と何も変わらない、冷酷で残忍な眼で自分を見下ろしていた。


 「てめぇば取引できる立場じゃねぇんだ。てめぇが俺から奪った宝を、今すぐ、この場で、返しやがれ」

 「…………っ!」


 港に集まった男たちが、悲鳴を上げて飛び出し港に広がる火の手を食い止めようとしている。その姿を見て、カルドスは胸に手を当てた。


 ──これは、自分が招いた事態だ。


 自身の過去の過ちが招いた痛恨の事態に、カルドスは声もなく立ち尽くす。

 その姿を見て〈傷痕の男〉が、頬に残る醜い傷を歪めて哄笑を上げた。


 「カルドスよぉ、意地を張ってもお互い、つまらん結果を招くだけだぜ?」

 「……っ、くっ……!」

 「でなきゃてめぇを受け入れてくれたこの港のお優しい連中もろとも、この港が木っ端微塵になっちまうだけだからよぉ」


 そう言って、醜い傷痕の残る頬を歪め、〈傷痕の男〉が部下に合図を送る。

 彼らは船内から、火薬の詰まった樽を無数に運び出してきた。


 **


 イシュマーに助けられ、水に濡れた体を拭いてくれた。

 それで、ロレッタも人心地がついて自分の身に起きた事を冷静に考えられた。


 「……イシュマー、あたし、港に行かないといけない」

 「港に?しかし、今は……」

 「イシュマーも聞いたでしょ?港で何かが爆発した音」


 ロレッタは目を細めて、イシュマーのほの白い顔を見詰める。


 「さっき港に入ってきた、あの黒い帆船がやったんだ。……父さんや港の人たちが対処しようとしてるはず。あたしも……」

 「ロレッタ、駄目だ。それは許可できない、危険すぎる」


 「あれは、海賊船だ」とイシュマーがうつむいて告げる。


 「何が目的かは知らないが、火薬まで持ち出してくる連中だ。ロレッタ、まだ子供の君を今、港に近づけるのは私は許可できないよ」


 いつも穏やかなイシュマーもさすがに頑なな表情だった。

 大人として、港の一員として、ロレッタを危険な目に遭わせられないのだろう。


 だけど──


 「……もう一隻、船が来たよね?」

 「あれは……」


 おそらく、自分を救ってくれたであろう、あの古びた船の存在を告げる。

 イシュマーもその存在を判じかねるように口をつぐんだ。


 「帆も張ってないのに、まっすぐ入り江に入ってきて、港に向かってる。あの船の正体……イシュマーなら分かるんじゃない?」

 「それは……」


 ロレッタがその端整な顔をのぞき込むと、イシュマーは顔を伏せた


 「イシュマー、お願い。何か知っているなら、教えて欲しい」

 「…………」


 ロレッタが懇願すると、イシュマーは額に手を当てて、渋々と口を開いた。


 「私たち〈水精霊ニンフ―〉は水中の魔素を通して、その流れや海底の地形を感じ取ることができる。それは知っているね?」

 「うん。だから頼まれて船に乗ったり、港町に暮らしてるんだよね」

 「その通りだ。だが……力のある〈水精霊〉となると、それだけではない」


 イシュマーは灯台の窓から海を見下ろし、腕を組んだ。


 「力のある〈水精霊〉は魔素を通して、水の流れに干渉できる。……後から来たあの船に乗ってきたのは、おそらくその力のある〈水精霊〉だ」

 「力のある……〈水精霊〉……」


 ロレッタは沖に流されかけた自分を岸へと押し戻した、あの柔らかく包み込むような穏やかな水の流れを思い出した。


 そして、あの船の船首にいた一人の船乗りを。


 「じゃあ、あの船にはその力のある〈水精霊〉が乗っていて、何かの目的であたしたちの港に、あの黒い海賊船を追ってきたってことなのね?」

 「……分からない。今から此処で、何が起こるかは、私にも……」


 イシュマーが呆然とつぶやく声に、ロレッタはぎゅっと唇を引き結んだ。


 「だったらなおさら、港にいる人たちのこと……父さんのこと、放っておけない」

 「ロレッタ……」

 「この先、何が起こるにしても、あたし、父さんに会いたい。……父さんに会って色々なこと話さないといけないから」


 「だからお願い」と固く決意を込めてロレッタがイシュマーに告げる。

 〈水精霊〉の灯台守は額に手を当てて、煩悶するように口を閉ざした。


 **


 ──「船長!現れました!」


 不意に入り江の海を見張っていた船員が、〈傷痕の男〉に報告する。

 すると、港が炎上する様をにやにやと眺めていた〈傷痕の男〉はそれを聞いて、ばねじかけの人形のように素早く振り返った。


 醜い傷跡の残る頬をひきつらせ、これ以上なく険しい表情を浮かべる。


 「本当か?」

 「はい!真っすぐこっちに突っ込んできます!」


 それを聞いて〈傷痕の男〉は椅子を蹴立てて立ち上がった。


 「……来やがったな、薄汚ねぇ『水溜まり』がよ」

 「水溜まり……だと……?」


 状況のつかめないカルドスがうめいた。

 しかし、〈傷痕の男〉は最早、こちらには見向きもしなかった。


 船縁に駆けて行って、そこから身を乗り出し、〈翠緑の港ポートエメラダ〉の入り江を横切り近づくもう一隻の帆船を見た。


 「あれは……」


 こちらへ近づいてくるその船影に、カルドスも目をしばたく。

 確かに、その船には見覚えがある。


 なにより、風向きや潮の流れに構わず、すさまじい速度で突っ込んでくるその船の動きを──忘れるはずがない。


 「船首の砲門を開けっ!」


 船縁から身を乗り出した〈傷痕の男〉が声を張り上げて命じた。


 「あの『水溜まり』の船のどてっ原にぶちかませ!奴はまっすぐこちらに突っ込んでくる!」


 そう言って、〈傷痕の男〉は醜くぎざぎざに刻まれた頬の傷を歪めて、部下の船員たちを見下ろした。


 「この距離で外したりしたら……俺がてめぇらを吹っ飛ばしてやるからよ?」


 その非情な声に、〈大鮫号〉の船員たちの間に、見えない恐怖の糸が張り巡らされ、絡め取られ急かされるように船員たちが動き出すのを、カルドスは感じた。


 「〈鮫の歯の男シャークトゥース〉……いや〈傷痕の男〉、あいつ……」


 今なお、船員達を恐怖で支配するかつてのやり口は少しも変わらない。

 そのことを悟って、カルドスは唸った。


 (大鮫号)が、入り江の海を近づいてくる船に船首を向ける。

 砲門が口を開き、砲台がせり出す振動をカルドスは足元に感じた。


 〈傷痕の男〉が身を乗り出し、帽子に片手を置いて、こちらに近づくあの古びた軍船を睨んでいる。


 「いくぞ……俺の合図でぶっ放せ」


 〈傷痕の男〉が船縁から身を乗り出し鋭い輝きを増した黒い瞳を細める。

 その視線の先には日の光の下、入り江を近づいてくる古びた軍船だ。


 カルドスはそれを成す術なく見ているしかできなかった。


 「いくぞ……3……2……1……」


 〈傷痕の男〉の口が「今だ!」のい、を形作ろうとした時──


 入り江を横切ってきたその軍船が突然、大きく傾いた。


「い、んなぁ……っ!?」


 〈大鮫号〉に船底を見せる勢いで軍船は大きく激しく傾いた。

 海面で鋭い弧を描く軍船の航跡に〈傷痕の男〉が驚愕の声を上げてのけぞった。


 軍船のあまりに急な挙動に、水柱のような飛沫が海面に噴き上がる。

 その飛沫が、遠慮なく〈大鮫号〉に、その甲板の上にいる船員たちに滝のように降りかかってきた。


 「……なめやがってぇ……!」


 〈傷痕の男〉が、ずぶ濡れになった帽子から雫をしたたらせて歯噛みする。

 激しく船体を傾け、弧を描いて入り江の横切っていったあの軍船は、そのまま入り江の外へ真っすぐ引き返していく。


 「何をやってる!?みすみすこのまま見逃すつもりか!?」

 「だっ、駄目です!砲台も火薬樽も全部、水をかぶっちまって……」

 「なら、ボートに乗ってでも何してでも追っかけろ、つってんだよ!」


 「くそが‼」と激しく甲板を蹴りつけて、〈傷痕の男〉が、入り江を横切っていく船を見据える。


 そうして、カルドスを振り返り火の点くような怒りの眼差しを向けた。


 「すぐに新しい火薬を樽に詰める。それまで、ほんのわずかに寿命が延びたってだけだ!とっとと、港の連中にそう伝えて来い!この間抜け面がよ‼」


 喚き散らして〈傷痕の男〉はどすどすと甲板を踏み締め、船内へと姿を消した。

 その周囲で武装した彼の部下が慌ただしく動き始める。


 カルドスは、思わず詰めていた息を吐いてその場にへたり込んだ。


 〈翠緑の港〉の命運は、尽きてはいなかった。


 ほんのわずかに、延びただけではあるが──


 ──呆然としていたカルドスの手に、その時、ひやりとした感触が触れた。


 「……っ!?」


 カルドスは出かかった悲鳴を呑み込み、とっさに口を押えた。

 自分の手に触れるひやりとした──体温のない手の感触を振り返る。


 すると甲板に積まれた荷物の狭い隙間から革手袋に包まれた手が伸びていた。

 カルドスがその荷物の隙間をのぞき込むと、古びたコートをまとい帽子を目深に被った船乗りが、荷物の隙間に忍び込んでいるのが見えた。

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