第三話 ロレッタの隠し事
その古びた木箱の蓋を開けてみると、金属の部品が詰まっていた。
ロレッタはその内側の部品だったり箱の装飾を、自室のベッドの上でためつすがめつしていた。
どうやら、オルゴールらしいと分かった。
木目が黒ずんで、表面の装飾がかすれた木箱は長い年月の重みを感じさせた。
しかし、よく手入れがされてあったのだろう。中の部品が壊れていたり、ひどく錆びたりしているような箇所もなさそうだった。
なにより──
(見覚えはないけど……なんとなく、分かる)
これは多分、ロレッタの母親の遺品だ。
物心ついて以来、見た記憶のないオルゴールの木箱。
だが、そっと胸に抱いてみると、ほのかな温もりが胸の奥に灯った。
(実際に鳴らしてみたら、多分、もっと色々なこと思い出せるかもしれない)
一度、オルゴールの置かれていた卓にそっと足音を忍ばせ戻って見ると、
実際に鳴らせるのだ。
ロレッタはどくんと自分の胸が高鳴る音を聞いた。
このオルゴールを鳴らしたら、色々と思い出すきっかけが掴めるのかもしれない。
──母親のことを。
(だけど……)
ロレッタは今は寝静まった壁の向こうの父の部屋をベッドからそっと見た。
父のいる場所で鳴らすのは駄目だ。
露骨にロレッタから隠してきたこの品をロレッタが持つことを許してくれるはずがないし、それに──
──父の目に浮かんだ、かすかな光の粒。
(……泣いてたよね。父さん……)
思わずそんな事を考えた途端、ロレッタはふるふると寝床の内でかぶりを振った。
「やめやめ、今父さんのこと考えるのはナシ!」
寝床の中でつぶやいてロレッタはぎゅっとシーツの下でオルゴールを胸に抱いた。
「今は……思い出したい、母さんのこと。どうして死んじゃったのか、とか、ほんの少しでも手がかりになれば、いいから……」
父は母親や過去の出来事をロレッタから隠し、遠ざけようとしている。
なら、ロレッタもここは意地を張らせてもらうしかない。
そう覚悟を決めてオルゴールを胸に抱いたまままぶたを閉じる。
そうしていると、懐かしく慕わしい気持ちが胸に溢れた。
言葉にしようとしても言い難いその気持ちを感じながら、ロレッタは穏やかな眠りに落ちていった。
〇
気が付けば白々とした朝の光が窓から差し込んでいた。
一瞬、窓の外から差し込む朝の爽やかな光をを呆然とロレッタは見詰めた。
そして、胸に抱いたままになっていたオルゴールの箱にはっとなる。
ついうっかり、このまま胸に抱いて寝てしまったが──
その時、とんとんと寝室の扉を軽く叩く音がした。
ロレッタは文字通り、ベッドの上で飛び上がった。
「……っひ!」
声が出かかったのを、すんでの所で口を両手で押さえて閉じ込める。
「ロレッタ、起きてるか?朝飯の準備ができてるぞ」
扉の向こうから聞こえる、普段通りの父の声にロレッタはばくばくと音を立てる自分の胸を押さえた。
「あー、その、父さん……」
「……昨日は悪かった」
必死に言いわけを考えていると、扉の向こうで父の思い詰めた声が聞こえた。
「何か話がある様子だったな」
「あ、いや、それは……」
「つい遠ざけてしまって悪かった。……俺も、心の準備というものが要って、な」
元々口数の多くない、饒舌とは言えない父親だ。
不器用な父親が、どうにか心を砕いて自分に打ち明けている様子だった。
真摯なその口調に、ロレッタは少なからず心を動かされる。
「何か話があるなら、ちゃんと聞く。とにかく……一緒に朝飯を食わないか?」
「父さん……」
ロレッタはベッドから立ち上がり、部屋の扉を開けるつもりで体を起こした。
だが──その時、ベッドの上に転がったオルゴールの箱を見て、はっとする。
今、これを父に見られたら──
──どんな風に思われるだろう。
とっさにロレッタはシーツの中にオルゴールの箱を押し込んでいた。
そして、自分もシーツにもぐりこんで布を口元に当てる。
「えっと、その……父さん……あたし、今日ちょっと、ごめん……少し横になっていたくて、さ……」
「なに?」
扉の外で、父が意表を突かれたように息を呑む声が聞こえた。
「体調が悪いのか?平気か?薬を持ってきた方がいいか、それとも、医者を……」
「平気!平気だから!少し横になってたら多分、大丈夫だから!」
反射的に大きな声を出してしまって、ロレッタははっと我に返る。
これじゃあ、演技しているのが丸わかりではないかと思ったが──
──「……そうか」
少し気落ちしたような父の声が扉の外から響いてきた。
それを聞いた途端、自分でも意外に思えるほどの鋭い痛みが胸に走った。
細くて、でも確実に奥に届く鋭い針のような痛みだった。
「あっ……」
父は当然、ロレッタが仮病を使って自分を遠ざけたと思うだろう。
「父さん、あの……ちが……」
「無理を言ってすまなかった。調子が悪いならお前はゆっくり休んでいなさい。俺は朝飯を喰ったら、すぐに造船所に行くから……朝飯は残しておく。食べられるようなら、ちゃんと食べておくようにな」
そう言い残して、父はすっと足早に扉の前から離れていった。
ロレッタは扉の前に駆け寄って、もう父の気配がないのにぐっと唇を噛んだ。
どうして──いつから、こうして何もかもすれ違うようになってしまったのか。
何故だか出し抜けに、肩車されて一緒に町を見て回ったり、桟橋で肩を並べて夕方まで釣りをしたり──父と仲睦まじかった頃の記憶があれやこれやと思い出されて、ロレッタは鼻をすすった。
(これ以上……父さんとこじれたくない)
ロレッタはベッドの上のオルゴールの箱を振り返った。
これは父に気付かれない内に、元々あった物置に戻しておかないといけない。
かといって、このまま何もせずに戻してしまうこともできない。
ロレッタは目尻をこすって浮いた涙の粒をぬぐい、少し思案をした。
「絶対に……父さんに見つからない場所で、これを鳴らそう。だとしたら……」
考えてみて、港や町の中でそういう場所は少ないことに気付かされる。
──しかし、全くないわけではない。
〇
父の残していった朝食は野菜をじっくり煮込んだスープと、干しブドウの入ったパン、殻が点いたまま赤くなるまで塩茹でされたエビに近所の果樹園で採れた
父の気遣いが分かると、またちくりと胸に罪悪感の針が刺さった。
しかし、やると決めたからにはやり通すしかない。
そうロレッタは心に決めて、父の用意してくれた朝食を、せめて無駄にならないようにしっかりと噛み締めて平らげた。
そして、家を出ると町へは向かう坂道から背中を向けた。
檸檬や葡萄を栽培している果樹園の間の道を、岬の灯台へと歩いていく。
灯台守に会いに行く為だ。
かつての異種間戦争時代、〈
しかし、大陸全土に帝国の統治が敷かれ、平和な時代が訪れた今、大陸南岸の各地の港町には〈水精霊〉が派遣されて暮らすようになったのだ。
彼らは人間には知覚できない潮の流れや海底の様子を、海を流れる魔素を通して感知できる。その能力が港の人間や、船乗りたちの間で必要とされているのだ。
そういう理由で海の交通の要衝となる港町や灯台、商船などの大きな船は、必ず〈水精霊〉を一人は雇っているのだ。
当然〈
ロレッタとも顔見知りなのだが──ちょっと変わり者の癖のある人物だ。
(悪い奴ではない……と思うけど)
ロレッタは白く塗り固められた灯台の壁を見上げて、その前に立つ。
岬の突端にある灯台は、〈翠緑の港〉の碧い海を断崖の上から見下ろしている。
その開かれた窓に向けて、ロレッタは両手を当てて呼びかけた。
「イシュマー!いるー?いるわよねー?今からそっち行くから待っててよー!」
声を張り上げて呼びかけると、窓からかすかにハープの鳴る音が聞こえた。
相変わらずだなぁ、と思いつつもロレッタは灯台の開いた入り口の扉から中に入り、灯台の内部のらせん階段を登っていった。
そして、灯台管理人の部屋になっている上部の小部屋に足を踏み入れた。
「イシュマー、さっき声掛けたし、いるんだよね?」
声を掛けながら、人の生活しているスペースをロレッタは横目に進んでいく。
窓際に青みがかった銀髪の人物が腰かけ、優雅にハープをつま弾いていた。
〈翠緑の港〉の他の誰とも違う、浮世離れした雰囲気をたたえたその人物に少しばかり緊張しながら、ロレッタは近づいた。
「イシュマー」
「……やあ、ロレッタ」
ハープをつま弾いていた手を止めて、灯台守の〈水精霊〉──イシュマー・カサルがロレッタを振り返った。
ロレッタが赤ん坊の頃からその容姿は少しも変わらない。
ほの白い
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