第二話 父との軋轢

 「あの、カルドスさん、すみません。ロレッタが誘ったんじゃなくて、俺やチビたちがロレッタに怪談話をせがんで、それで雰囲気のある場所を……」


 ローダンが口を挟みかけたのを、カルドスがすっと分厚い手でさえぎった。


 海から突き出た黒い岩のように揺るぎない父の態度だった。

 それにローダンごときが太刀打ちできるはずもなく、彼は唇を噛んで身を退いた。


 なんだよ、もう少し庇ってくれてもいいじゃんか。

 幼馴染への恨み言を口の中でつぶやきつつ、ロレッタも正面から父と向き合った。


 「あたしが皆を誘ったんだよ、悪い?」

 「子供たちだけで、昔、戦で使ったような場所に近づくなと言ったはずだ」


 「危険なんだぞ」と、父が太い、荒縄をよじったような腕を組む。

 大きな眼がロレッタをぎょろりと見下ろした。


 「本当に危ない場所には、あたしだって近づかないったら……」


 ロレッタが抗弁するのにも、カルドスは「お前に何が分かるんだ」とにべもない。


 「お前はまだ何も知らん。他人まで巻き込んで危険な目に遭った時、お前一人の力で何ができる?……何もできやしない」


 父の言葉は正しいのかもしれないが、容赦がなかった。

 ロレッタもかちんときて、父の日に焼けた顔を睨みつけ足元の砂を蹴った。


 「なによ!そんな風に最初から決め付けて!知りもしないくせに!」


 ロレッタが言い返すと、カルドスがはっと怯んだような表情を浮かべた。


 「今のは……違う。ロレッタ、俺はただ、お前のことが……」


 カルドスは何か言いかけたが、口ごもってうつむいてしまう。

 そんな父の姿に、ロレッタはなおさら頭に血が昇るのを感じた。


 ロレッタは近くにあった巻貝の貝殻を思いっきり波打ち際めがけて蹴りつけた。

 それがぽちゃんと波間に消えるのを見届けて、ロレッタは背中を向けた。


 「もういいよ!お説教なら後で聞く!」


 そのまま港の方へロレッタが駆けていくのに父が呆然と立ち尽くす。

 間に挟まれたローダンがおろおろと自分と父を見比べているのも分かった。

 それでも、ロレッタは足を止めず、砂浜を駆けていった。


 〇


 ロレッタは岩場から突き出た漁師が使う桟橋に腰かけていた。

 足の下でひたひたと波打つ海面を見下ろす。


 そこへ、気まずげに後頭部をかきながらローダンがゆっくり近づいてきた。


 「あのさ……」

 「なに?」

 「隣いい?」


 あくまで何気ない口調で尋ねるローダンに、ロレッタもはあっと息を吐いた。


 「いいよ。別にあんたに怒ってるわけじゃないし」


 ロレッタが場所を譲るように腰をずらすと、ローダンは「ありがと」とうなずいて、そのままぎしぎしと波に揺れる桟橋の上にたたずんだ。


 「……ドレゴじいさんのこと、覚えてる?」


 ローダンが脈絡もなくそんな事を言い出した。

 ロレッタは呆れ顔で目をしばたいて、彼の顔を見上げた。

 だが、ローダンはこちらの反応も織り込み済みだったようで、何も言わない。


 「……もちろん覚えてるよ。昔船乗りだったけど、港に戻ってからはずっと漁師やってた……。一昨年、亡くなるまでずっと一人だったけど、一番腕のいい漁師で、いい人だった」


 ロレッタが答えると、ローダンが「うん」とうなずいた。


 「ドレゴじいさんが死んじゃう前、言ってたことを思い出したんだ」


 ローダンはおもむろに下を向いて、桟橋の下の海中できらきらと輝く魚の背を見透かすように目を細めた。


 「魚はさ、まず群れについていけない泳ぎのヘタな奴が真っ先に鳥や他の大きな魚に食べられて……次に狙われるのは泳ぎの上手な群れから離れた奴なんだってさ」


 ローダンのその話がどこに着地点があるか分からず、ロレッタは首をかしげた。

 それに構わず、ローダンは桟橋の上に立ち尽くしたまま、ロレッタを見下ろす。


 「ロレッタは船乗りになって、外へ冒険に出るつもりなんだろ?」

 「当然じゃん」


 ロレッタが即答すると、ローダンが深々とうなずいた。


 「実は俺、来年の春から親父について出稼ぎに行くことになった」

 「えっ……?」

 「まあ、まだ先の話だけどさ、準備はしとかなきゃ。今の内に親父から話聞いていんの。そういうの色々聞いていると、やっぱ船乗りも大変なんだって」


 そう言って腕を組み、海を見詰めるローダンの表情は大人びていた。

 歳も二つしか違わなくて、この間までつるんで遊んでいたはずなのに。


 「特に女の人がなるのは、俺なんか想像もできないほど大変だと思う。周りは男ばっかりが当たり前で……男以上に度胸とか肝っ玉とか……とにかく色々な事が必要なんだと思うよ」

 「なによ、ローダンは、あたしじゃ船乗りになれないって言いたいわけ?」


 ロレッタが唇を尖らせると、何故だかローダンは笑って片手を振った。


 「いーや……ってか、むしろ、ロレッタならなれるんだろうな、って思う」

 「へっ?」


 ロレッタが見上げると、ローダンは日に焼けた片頬を歪めて笑った。

 ついこの前まで、そんな笑い方をする子供ではなかったのに。


 「お前なら船乗りになれる。……なれちゃうんだよ」


 「だからカルドスさんは心配なんだ」とローダンは改めてロレッタを見下ろした。


 「ちょっと前まではさ、カルドスさんだってあんな風じゃなかったろ?」

 「そう……だけど……」


 そうだ。

 ほんのつい最近まで、父はあんな風に口うるさく咎めることはなくて──

 海のようにおおらかでたくましい父のことが、ロレッタも好きで──


 「俺たち、ほんの少し前までただのガキだったけど……」

 「…………」

 「ロレッタが本当に船乗りになって外に飛び出していくのかもしれないって考えたら、きっとさ、カルドスさん、心配になったんだよ」


 ロレッタは、桟橋から垂らした自分の足の下に見える、海の中に目を向ける。

 小魚の群れがきらきらと輝くのを眺めた。


 泳ぎの上手い魚も、群れから離れれば狙われてしまう。

 海は決して美しく神秘的なだけの世界でないのは、ロレッタにも分かる。


 「だから……なんだっていうの?」


 心配しているのだとしても、ロレッタの意思を尊重するのが筋だろうに。

 ロレッタがなおも頑なな態度でうつむいていると、ローダンは少し困ったように口ごもったが、ややあって口を開いた。


 「……カルドスさんって、昔のこと、全然話さないよな」

 「若い頃って、みんなと同じでしょ?船乗りになって〈翠緑の港ポートエメラダ〉を出て、それで何年か経った後で、あたしを連れて帰ってきて……」


 ローダンはそれを聞いて、真剣な表情で「そう、それ」とうなずいた。


 「船乗りになって、港を離れてた間のことやロレッタの母さんのこと、カルドスさんは絶対、誰にも話さない。……ロレッタにも、詳しいこと話さないんだろ?」

 「それは……」


 ローダンの真剣な表情に、ロレッタ自身も口ごもった。


 「そこに何か原因があるのかもしれない」と、ローダンが腕を組んでうなるのに、ロレッタも目をしばたいた。


 「父さんの若い頃のこと。あたしが赤ちゃんの頃に死んじゃった母さんのことか」


 ロレッタが改めてうなると、ローダンがこちらを見下ろしうなずいた。


 「他人に話してくれるはずはないけどさ」と、ローダンはじっと見詰める。


 「ロレッタになら、ひょっとしたら、何か話してくれるかもな」


 〇


 〈翠緑の港ポートエメラダ〉の夜はいつだって賑やかだ。


 西の空に橙色の太陽が沈み始めると、漁や舟の仕事を終えた男たちが港から帰ってきて、酒場へと繰り出し、今日の仕事のことや各々の状況を伝え合う。


 女は女で家で食事を取ることもある。

 しかし、大抵は子供たちを集めて町の集会所の炊事場で食材を持ち寄り、大勢で食事を作り一緒に食べるのが慣例だ。


 これはこの土地の人々が軍船相手の海賊を生業としていた頃からの古い習慣だ。

 〈翠緑の港〉の女たちの結束は、一つの大きな家族のように固い。


 そして、したたかでもある。


 男たちが海に出ている間に、自分たちの未来である家族を全員で守り続ける。

 そうしている限り、海で好き勝手にしている男たちも、いずれ陸の上に帰ってこなければならないことを知っているからだ。


 ともあれそんな理由で、母親のいないロレッタも、子供の頃からそういう環境にあったお陰で、母親がいなくて困った事というのはほとんどない。


 常に誰かなにかしら世話を焼いてくれて、自分の周りは賑やかだった。


 「ロレッタ、ちょっと子供たちの世話を頼んでもいいかい?」

 「はぁい」


 集会所の炊事場で慌ただしく立ち働く女たちに頼まれて、ロレッタは小さな子供たちの面倒を見る。一時たりともじっとしていない小さな子供たちは片時も目の離せない存在で、ロレッタは一番小さな立ち歩きを始めたばかりの獣人種の子供を膝に抱えて、他の子が一人離れていったりしないように目を配る。


 そうして量も種類も多い食事が出来上がり、大きな食卓へ運ばれてくる。


 ロレッタが好きなのは、肉と野菜をじっくり煮込んだソースを生地ではさみ揚げにした料理で、からっと揚がった生地を音を立てて頬張ると、中からじゅわっと汁気たっぷりの具が漏れ出てくる。


 ──そんな風にして〈翠緑の港〉の賑やかな夜は更けていく。


 「じゃあ、また明日」


 集会所で茶を淹れて一息つく女たちにロレッタは別れを告げる。

 遠く、浜から聞こえてくる波の音を聞きながら彼女は港町の坂を登っていく。


 食後のおやつとお茶も魅力的なのだが、今日は、父と話をしないといけない。


 (母さんのこと……か……)


 ロレッタは、遠く波の音を聞きながら腕を組んで家路をたどる。


 (確かにほとんど話してくれたこと、なかったな……)


 気にならなかったといえば嘘になるけれど、強いて聞こうとしなかった。

 ただ父に一度、「母さんがいなくて淋しくはないのか?」と聞かれた。


 その時は随分と唐突に思えてびっくりした。

 だから、思わず「父さんがいない時も、友達や周りの大人がついてくれる」とか、そんなことをとっさに答えた気がする。


 (そんな風にして、今更……って気がしないではないけど……)


 しかし、やはり自分を産んでくれた母親のことだ。

 ロレッタは覚悟を固めて、町から少し登った所にある、周りを果樹園に囲まれた石造りの自宅の扉を開いた。


 「ただいま」


 そう声を掛けてみると、父は既に帰っていて部屋の中にいた。


 「ロレッタ!?」


 父の驚き狼狽ろうばいした声に、ロレッタは目をしばたいた。

 灯りも点けない部屋の中、酔って赤い顔をした父が大きく目を見開いている。


 何を思い立ったのか、普段、閉じたままにしてある物置の扉を開けていた。

 その前に、呆然と立ち尽くすように父は背中をこちらに向けている。


 「……そんな所で何してんの?」


 ロレッタが尋ねると、父ははっとしてかぶりを振った。

 その目元が濡れて、窓の外から咲き込む月の光に光っているように見えた。


 「……なんでもない。俺はもう寝る。お前も、夜更かしをするんじゃないぞ」


 そう、低くぶっきらぼうに告げて父は物置の扉を閉めて鍵を掛けた。


 「あの……」

 「悪いが今日は疲れた、また明日にしてくれ」


 ロレッタがおそるおそる声をかけようとした。

 しかし、父は早口にそう言って部屋を横切り寝室へと向かってしまった。


 取り付く島もないまま、寝室の扉の向こうへ消えてしまう父の姿。

 ロレッタは思わず深々と嘆息たんそくした。


 「……あんな風にする相手と、どうやって話し合えってのよ……」


 「ローダンのばか」と思わずぽつりとつぶやく。

 ロレッタは少し途方に暮れた気分で、近くにあった卓に手を置いた。


 と──


 「ん?」


 ランプの光の届かない暗がりの中に、何か硬い物が手に触れた。

 ロレッタは反射的にそれを拾い上げてみた。


 父が、置いたまま慌てて忘れていったものだろうか。


 ランプの明かりの中手に取ってみると、それは随分と古ぼけた木の箱だった。

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