第一章 海賊の末裔たち

第一話 〈翠緑の港〉の娘


 ──むかーし、むかし、まだこの大陸がいくつもの種族、いくつもの国に分かれて争っていたころのおはなしです。。


 ──そのころはまだこの大陸南岸も人間と、いくつもの精霊種の国とに分かれて相争い、今はおだやかなこの南の海も各国の軍船が毎日のように戦を繰り広げ、美しい碧の海は血の色に染まった、とも言われています。


 ──しかし、人間と精霊種が手を取り合い助け合う国も、中にはあったのです。そして、そんな国の一つに、人間の王女に仕える美しい〈水精霊ニンフ―〉の魔法騎士がいました。


 ──おれ、知ってる!そういうのうらぎりもの、って言うんだって、父ちゃんが言ってたよ!


 ──ん、んんっ……!


 ──あっ、ごめん……。今度はじゃましないから、お話、つづけて?


 ──……ん、おっほん!そういうわけで、人間の王女とその〈水精霊〉の魔法騎士は固い絆で結ばれていたのですが、その国は戦の強い国ではなく、次第に旗色は悪くなっていくのでした。


 ──そこで、その国の王様はある日、王女に命じました。


 ──大陸の南にある孤島で、昔ある一人の魔導士が作った、不老不死の霊薬を見つけてくるように、と……。


 ──人間より遥かに長い時を生きる精霊種の国々と渡り合うのに、王はその薬が必要だと考えたのですね。


 ──王女は本当にそんな薬があるものか半信半疑、〈水精霊〉の魔法騎士を連れて南の海へと船を出しましたが、そんな物はどこにあるのか見当もつきませんでした。


 ──しかし……。


 ──忠実な〈水精霊〉の働きもあり、ようやく、人っ子一人住んでいない孤島で古の魔法使いの残した霊薬を見つけたのです。


 ──ですが、それは不老不死の霊薬などではありませんでした。


 ──ともあれ、王女たちは船を率いてその霊薬を国へと持ち帰ることにしました。だけれど不幸なことに王女たちの乗ったその船は敵国の船団に見つかり、そこへ折悪しく、大変な嵐が起こってしまったのでした。


 ──天地がひっくりかえるような嵐の中、王女たちの船は敵国の船団もろともに海の底へと沈んでしまいました。


 ──しかし、その嵐の最中、王女に仕えていた〈水精霊〉の魔法騎士は、船に積んでいた霊薬を全身にかぶってしまったのです。


 ──その霊薬は不老不死の薬などではありませんでした。


 ──薬をかぶった〈水精霊〉の魔法騎士はそこからぐずぐずに体が溶け出してしまいました。そして、海の水に溶けてしまった〈水精霊〉の魔法騎士は、永遠に海から離れられぬ、呪われた肉体になってしまいました。


 ──その呪われた〈水精霊〉の魔法騎士は、死ぬことも許されないまま、何年もかけて自分の船を修理し、今もこの大陸の南の海をさまよっているといいます。


 ──海の水に溶けた、スライムのようなどろどろの体となって!


 〇


 怪談話の締めくくりに大きな声を出したロレッタの頭上で、不意にばさばさっと大きな羽音を立てて天井から何かが窓の外へ飛び出していった。


 あまりのタイミングのよさに荷箱の上に陣取っていたロレッタも驚いた。


 しかし、それ以上に、帆布の下にもぐり込んでいた子供たちが腰を抜かしていた。

 今は使われていない砦の、埃っぽい空気の漂う一室。

 帆布の下に悲鳴を上げて姿を隠した子供たちの姿に、ロレッタは思わず腹を抱えて笑ってしまった。


 「あははは!ごめんごめん!今のは、あたしの声にびっくりした鳩が逃げてっただけだよ」


 荷箱に腰かけていたロレッタは、ぽんっと埃を立てて床の上に飛び降りる。

 帆布の下でもぞもぞと動いている子供たちの姿を、帆布をめくって確かめた。


 一塊になって身を寄せ合う幼い子供たちにロレッタは腰に手を当ててにっこりと笑いかけた。


 「脅かしちゃってごめんね。……でも、今回の話もおもしろかったでしょ?」


 〇


 「はー、しかしびっくりしたなぁ。……ロレッタ、あんな話、一体いつのまに仕入れたんだよ?」


 今は使われていない、丘の上の無人の砦を後にしながらロレッタは崖の下の港町──〈翠緑の港ポート・エメラダ〉へと駆け下りていく人間と獣人種の子供たちを見送った。


 彼らの笑いさざめく声を耳にしながら、ゆっくりとロレッタも岩場を縫うように続く坂道を下りていく。


 そうして、隣を歩いている幼馴染の人間の少年──ローダンを振り返った。


 「さっきの話は、ほら、ドッツの親父さん、この前、商船から戻ってきたでしょう?その時、父さんと挨拶に行って、お酒の席でこっそり教えてくれたのよ」

 「ドッツのとこの親父さん、って、ついこないだ〈翠緑の港〉に帰ってきたとこじゃん。お前相変わらず耳が早いなぁ」

 「へへー」


 思わず感心した表情でこちらを見るローダンに、ロレッタは得意げに胸を張る。


 「しっかし、そういう話聞くの好きだなぁ。船乗りの噂っていうか」

 「せっかく皆あちこち出稼ぎに行って、そういう話仕入れてくるんじゃん。向こうも話したがってるし、私が聞いてあげてジュヨーとキョーキューが成り立つんだよ」


 ロレッタが賢しげに言うと、ローダンも「難しい言葉知ってんなぁ」と腕を組む。


 得意満面のロレッタは、今は使われていない無人の砦から港町へ続く道を歩く。


 ロレッタたちが暮らす〈翠緑の港〉は、三方をその名の示す鮮やかで暖かな色の海に囲まれた、大陸南岸の入り組んだ岬にある港町だ。


 かつて、異種間戦争時代、人間と精霊種の国がしのぎを削った大陸南岸の海。

 その国々の軍船を相手に引っかき回した屈強な海賊たちがこの町の人々の先祖だ。


 岬は港町のある入り江まで険しい岩場が広がっていて、その岩場には先ほどロレッタたちが集まった砦のような異種間戦争時代の海賊たちの遺構がある。

 今は使われていない砦や地下通路が、子供たちの絶好の遊び場になっているのだ。


 そして、大人たち──男たちの多くが船乗りとして出稼ぎに出て行き、女たちは結束して町と自分の家庭を守る。

 そんな、深く海に根差した生活を送る気風きっぷのいい住民たち。


 ロレッタはそんな〈翠緑の港〉と人々を愛していた。

 そして、彼女自身も町の人々から愛され、大陸南岸の爽やかな潮風を受けてのびのびと育ったしなやかな海の娘だった。


 ──「しかし、ロレッタってどれだけ話聞いて回ってんだ?おれのとーちゃんが戻ってきた時も毎回、そういう話を聞きに行くだろ?」


 潮風を受けた黒髪をかくローダンの問いに、ロレッタは少し思案する。


 「ほとんど帰ってきた人たちには聞いて回ってる。船乗りの仕事して帰ってきた人たちって、皆そろっておしゃべりだしねえ」

 「まあ、皆、出稼ぎから戻ってきたら宴を開いて、口が軽くなるよな」


 ローダンがうなずくのに、ロレッタは港町の向こうに見える、碧色の海を眺めた。


 「こうして広い海を見てるとさ、本当にある事なのかもって思えるのがイイんだ」


 船乗りが小さな島と間違えて甲羅に上陸してしまった大亀とか──

 異国の船団を海に沈めた海竜とか──

 海で死んだ人の魂を海底の使者の国へと導く、淡く海の中で輝く光とか──

 今もこの海をどこかでさまよう幽霊船の船長とか──


 ──そういうのがこの広い海の何処かに本当にあるのかもしれないと思うと、ロレッタは心の底から楽しくなる。


 「実際にそのテのモノに遭ったら、とても無事でいられるとは思えねぇけど」


 ローダンが頭の後ろで腕を組んで嘆息たんそくする。

 日に焼けた彼の顔を、ロレッタはとがめるように軽く睨んだ。


 「何言ってんの?あんた、前話した時はあたしとそういうの見つけに行くのに、一緒に船造って出ていくんだって言ってたでしょうが」


 ロレッタは唇を尖らせてローダンの肩を軽く小突いた。


 だが──普段は「いってぇな」とか言いながら、軽く小突き返してくる位はするローダンが、この時ばかりは気まずそうに視線を逸らした。

 ロレッタは普段の威勢の良さをなくした幼馴染の少年の横顔をまじまじと見やる。


 「なによ、元気ないわね。ひょっとして何か悪いものでも食べた?」

 「そういうんじゃねぇよ。ただ、さ……」


 何か、会話の雲行きが怪しくなって、ロレッタが首をかしげた時だ。


 ──「ロレッタ!」


 自分を大声で呼ばわる声を聞いて、ロレッタは「げっ」とうめいて、町の門を振り向いた。


 砂地の上に建てられた、潮風と日の光にすっかり色あせた木組みの門。

 昔、近くの入り江を荒らしていたのを港の船乗りが総出で退治したとかいう大海蛇の骨が誇らしげに掲げられたその下で、たくましい日に焼けた肌の巨漢が、坂道を下りてくるロレッタをじっと睨んでいた。


 ロレッタはとっさに回れ右をして逃げ出しかけた。

 しかし、ローダンがそれを察した様子で振り返り、困り顔でたしなめる。


 「ここで逃げたら後が余計こわいぜ?」

 「…………」


 ローダンのもっともな言葉に、ロレッタは深々と息を吐いた。

 うなずき返して、砂浜に建てられた門の前へと渋々と降りていく。


 そんなロレッタを、ただでさえ厳めしい顔に有無を言わせぬすごみを帯びた表情を浮かべたロレッタの父──カルドス・カドゥムが見下ろした。


 「……また、子供たちを集めて丘の上の砦に出入りしていたな?」


 言い訳や弁明を許さない、有無を言わせぬ硬い口調でそう告げる父。

 父の厳しい顔から、ロレッタは白く光る砂浜の上に視線を落とした。

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