第49話 毒の正体
耳を劈く轟音と、体にのし掛かる風圧。
木の砕ける音とともに、部屋のドアが文字通り吹き飛び、壁に叩きつけられて砕け散った。
ドアの向こうからは、相変わらず剣の交わる音が聞こえる。
危険が排除されていない状況でドアが開かれることはない。
つまり、ドアを破ったのは近衛騎士以外の誰かということになる。
加勢に行ったユリウスは無事なのか、それとも……。
ライリーの目の前が真っ暗になった。
(まさか、そんな……)
新たな刺客が現れる。
絶望したライリーは、だがしかし、視界に飛び込んできた、焦がれ求めたその姿に胸を震わせた。
「ユ、リウス……!」
白い式典用の近衛騎士服は戦闘により乱れ、あちこちが擦り切れている。
霧のように広がった赤黒いまだら模様で汚れているが、ユリウスの動きにぎこちなさはない。
どうやら怪我はしていないようだ。
ばちりと火花が散るように、ユリウスと目が合う。
ライリーが殺されそうになっている状況を認めたユリウスは、煤で汚れた頬を赤く染め、憤怒に燃えた目でライリーにのし掛かる三人を睨みつけた。
「コリンズ!」
「ダウリン、ぐッ!」
部屋に響くユリウスの怒号。
ユリウスの手から放たれた突風がライリーを押さえつけていた三人を襲い、ライリーの視界から消える。
下卑た視線。
押さえ付けられた腕と、首の皮膚が破れた痛み。
そして、目前に迫っていた死の恐怖から解放され、ライリーは愁眉を開いた。
暗闇にいたライリーに一筋の光が差し込む。
しかし、油断はできない。
鈍い音を立てて壁に打ち付けられた騎士を装った二人は失神したが、コリンズは風で吹き飛ばされながらも空中で体を回転させて体勢を立て直す。
壁際に追いやられたが、床に足をつけると同時に抜剣し、ユリウスに向かって駆け出した。
戦闘において腕が立つのはユリウスだ。
だが、動けないライリーを庇いながらのユリウスと、この場さえ凌ぐことができたらいいコリンズでは、背負うものが違う。
先刻まで別の刺客の相手をしていたユリウスは、体力も魔力も消耗している。
格下相手の一対一とはいえ、状況は芳しくなかった。
コリンズはミカエラと目撃者を殺すことができればいい。
逃げる算段がついているからか、魔術でカーテンやシーツに火を放つと、猛然とユリウスに斬りかかる。
その振りは甘く、ユリウスは正面で受けて容易く弾き返した。
ユリウスは刃を交わしながら、広がる火の手に魔術で生み出した水をかけていく。
しかし、コリンズが手当たり次第に火を放つため、消火が追いつかない。
じわじわと広がる火の手。
部屋の気温が上昇し、揺らめく熱気と立ち昇る煙がライリーとユリウスを苛む。
火と水、そして剣と剣の応酬は、ライリーの焦燥を煽る。
魔術も剣の腕も確かなユリウスがコリンズに負けるわけがない。
ライリーはユリウスの勝利を信じているが、それでも、怪我をしないか心配だった。
隣に立って共に戦えないことが悔しく、居ても立っても居られない。
好き勝手やってくれたコリンズに一矢報いたい。
しかし、震えが治らない体はライリーの言うことを聞かず、起き上がることを拒む。
恐怖は、未だライリーを拘束し続けているのだ。
炎の輪に囲まれ闘い、踊り狂うユリウスとコリンズ。
ユリウスはコリンズが振り上げた剣を仰け反って躱すと、その顔面に水をかけて目眩しをし、横一線に剣を薙ぐ。
それをかろうじて受け止めたコリンズは頭を振り、至近距離から火球を飛ばしてユリウスに背を向けた。
助走をつけて壁を蹴ると、火球を風で払ったユリウス目掛けて剣を振り下ろす。
大振りの剣筋。
技巧のない勢いだけの刃は、ユリウスなら簡単に避けられるはず。
しかし、ユリウスは何故かそれを正面から受け止めた。
「ッぐ……」
受け止めた剣を振り払う動作も、そこから反撃に動く剣の振りも、僅かに大振りで隙が多い。
コリンズはその変化に気付いていないようだが、毎日ユリウスと鍛錬をしていたライリーにはわかる。
何に気を取られ、焦っているのか。
その原因は嫌でもわかる。
ライリーに向けられる、ユリウスからの視線。
ユリウスの邪魔をしているのは、足を引っ張っているのは、他でもないライリーだ。
(俺も、何か……!)
毒で死にかけていても、守られるだけなんて情けない。
拮抗する戦闘を、無様にも寝転がったまま眺めるだけはもう嫌だ。
指を動かすことすら困難な震え。
そして、熱と倦怠感の中、散り散りになってしまいそうな思考を繋ぎ合わせていく。
額に浮いた汗が、こめかみへと流れる。
不意に、ジャクソンの声が頭に響いた。
「いいか、ライリー。もし頑丈な縄が必要になったらこれを探せ」
ディレの森で、ジャクソンに野営について教えてもらっていた時の記憶が蘇る。
声を呼び水に、次々と浮かび上がる記憶の欠片。
その中のひとつを握り締めたライリーは、魔術を行使するに十分な魔力を練り上げていく。
ユリウスが僅かに劣勢であることに焦ってはいけない。
途切れそうになる意識を集中させ、あくまで冷静に魔術を組み上げていく。
そうして出来上がった魔術を、ライリーはコリンズに向かって思い切り放った。
「うわ、ぁ……! なんだ⁉︎」
床から伸びたサルナシの蔦。
それは、驚愕に目を見開くコリンズの手足に巻きついて拘束していく。
コリンズに向かって左下から右上方向に腕をしならせながら剣を振ろうとしていたユリウスは、咄嗟にその剣筋を垂直方向に変えると、コリンズの背後に回り、振り上がったその柄頭で彼の首筋を殴打した。
何が起こっているかも理解していなかったコリンズは声も上げず気絶し、サルナシの蔦に吊られるようにしてどさりと倒れ込んだ。
苦戦を強いられながらも、危険を排除した。
部屋の外も静かになっており、襲撃犯を制圧したことが窺い知れた。
その事実が、部屋に張り詰めていた空気を溶かしていく。
ユリウスはコリンズの意識がないことを確認すると、高価な調度品を舐めるように焼いていく火に水をかけて消火する。
その間、ライリーは未だ気絶しているコリンズの配下二人にもサルナシの蔦を絡めて拘束した。
視線であらゆるものを射殺すほどの剣幕だったユリウスは、戦闘の後始末を終えると、ライリーが横たわるベッドにやってきた。
ライリーの首の傷を見つけたユリウスは、眉間に皺を寄せ唇を戦慄かせる。
酷く傷付いた顔で、懐から小さな銀色の箱を取り出した。
それは簡易的な救急箱で、ユリウスは小刻みに震える手でライリーの首の傷を手当てしていく。
「ライリー、ごめん……こんな、危険に晒して……」
荒い息を繰り返すユリウスに、出血や打撲などの怪我はない。
ライリーは手当を受けながら、ようやく胸を撫で下ろした。
しかし、ユリウスの悲痛な顔と震える体を見るだけで、体を苛む熱以上に胸が軋んだ。
「ちょっと怪我しただけだから、大丈夫」
「でも俺が離れなければ」
ユリウスが自責の念に駆られているのは、顔を見てすぐにわかった。
しかし、実際に言葉にされると、胸が押し潰されそうになるほど苦しくなる。
「すぐ、戻ってきて……くれただろ」
ライリーは言葉も途切れ途切れに宥めたが、それが余計に彼の心を掻き乱したのかもしれない。
ユリウスはぐっと息を呑み、また口を開こうとした。
その時だ。
隠し扉からイーファと影が慌てた様子で現れた。
ライリーに駆け寄ったイーファは、険しい顔をしながらも、冷静にライリーの脈をとったり全体症状を確認していく。
彼女の姿を見ただけで、ライリーは救われたような気がした。
「症状は?」
「熱と息苦しさ、倦怠感です」
イーファに心配をかけてしまった。
それが申し訳なくて仕方がない。
ライリーは言葉を詰まらせながら体の状況を説明し、目を伏せた。
顔から下へと細かく体の状態を確認していくイーファは、ライリーの下半身に差し掛かり、動きを止める。
その理由は、体に意識を向けるとすぐにわかった。
全身が熱に苛まれている中、最も発熱しているのは……。
(嘘、だろ……)
それを自覚した瞬間、ライリーの体は、今までとは違う熱に襲われた。
イーファと影、そして、ユリウスにまで知られてしまった。
羞恥で気が狂いそうだ。
いや、いっそのこと狂ってしまった方が楽になるかもしれない。
言葉を失ったライリーに対し、状況を理解したイーファは深く息を吐き、冷静に口を開いた。
「わかった。毒だけど、いわゆる媚薬さね。毒味されたもの以外で食べたのは?」
「ない」
「ではなにか液体をかけられたりは」
「ぶつかった令嬢に酒をかけられた」
ライリーの代わりにユリウスが答えた。
それを聞いたイーファは、頭の中にある医学書を開き、程なくして首を縦に振って納得した。
「それだ。経皮摂取であれば、触手の粘液を使った『娼婦』という媚薬だ。あれに解毒薬はない。よく水を飲んで、欲を発散すればじき治る」
「シェリダン伯爵夫妻を確保しろ」
「了解」
イーファの傍で眉尻を下げ、ライリーの容体を聞いていた影は、ユリウスの指示を受け、瞳に激憤を宿して隠し通路へと飛び込んでいった。
体を苦しめているものが死に至る毒ではないとわかり、ライリーは胸を撫で下ろした。
どんな現象でも、体の不調でも、原因がわからないということが一番怖い。
体に現れた症状に納得したが、その『娼婦』という媚薬の効果がどれほどなのか、ライリーは知らない。
欲を発散させればいいらしいが、指一本動かすのも辛い状態でどうすればいいのだろうか。
自然と媚薬が抜けるのはどれくらい時間がかかるのだろうか。
束の間の安心から一転、再び不安が膨らんでいく。
「他に怪我人は?」
「ここでは出ていないが、オーウェン王太子殿下の方はいるかもしれない。音だけなら、ここより襲撃の規模が大きい」
「わかった、私はそちらに。ユリウスはライリーを」
「はい、屋敷に戻ります」
イーファは手早く救護箱を片付け、ユリウスとこれからの段取りを確認して頷き合い、風のように次の現場へと駆けていく。
普段の静かで穏やかなイーファからは想像できない姿だが、彼女もまた影のひとりなのだと、ライリーはようやく実感した。
頼もしい背中を、視線だけで見送る。
ライリーはどの襲撃場所でも、怪我人が出ていないことを祈った。
イーファがいなくなれば、次はライリーとユリウスの番だ。
ユリウスはライリーに触れるのを一瞬躊躇ったが、傍にあった毛布をライリーに巻き付け、横抱きにかかえて立ち上がった。
「ライリー、動くぞ」
「うん……」
影の屋敷に向けて歩き出したユリウスは、ライリーの体が極力揺れないようにしてくれている。
その気遣いに、鼓動が震えた。
好きな人に大事にされている。
喜びに胸が温かくなり、しかしすぐに冷えていく。
こんな情けない姿を、想い人に見られたくなかった。
そして、ユリウスが気持ち悪く思っていないか、不安に苛まれた。
いや、普通に考えたら気持ち悪いに決まっている。
それに思い至ると、ほろほろと感情が目尻から溢れ、頬を伝っていく。
それを見たユリウスは、涙のわけを、体を苛む熱だと解釈した。
「辛いよな。あと少しだから……だから頑張れ」
ユリウスの言葉に、自分の醜さが露呈したように感じて余計に涙が溢れ、言葉もなく嗚咽する。
隠し通路を進むユリウスは、そんなライリーを励まし続けてくれた。
永遠に感じられた影の屋敷への道が終わり、地下から続くドアを開けて食堂に出る。
すると、影たちの帰りを待っていたケイトが勢いよく椅子から立ち上がった。
食堂でイーファとともに待機していたケイトは、ライリーの危機を把握していたんだろう。
いつもは血色の良い顔を真っ青にしていた。
「ライリー!」
「媚薬を盛られた。俺が看る。誰も俺の部屋に近づかないように言ってくれ」
「わかったわ」
ケイトはユリウスの報告と指示を聞くと、小さく頷いて肩の力を抜いた。
ライリーはケイトを心配させまいと笑ったつもりだったが、彼女はきゅっと唇を噛んで顔を強張らせる。
そんな顔をさせるつもりはなかった。
逸る心臓を抱えた胸が、またひとつ軋んだ。
ライリーはユリウスに抱えられながら、ままならない体と、国を大きく変える計画において足手纏いになった事実がどうしようもなく嫌で、今すぐ消えてしまいたくなった。
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