第47話 体の異変と襲撃

 体の異変を自覚し、それでもなお毅然とした態度で招待客と談笑する。

 その間にも、体の熱は上昇していく。

 

 高すぎる熱が顔に表れていないか。

 体は震えていないか。

 きちんとミカエラになれているだろうか。

 

 破裂しそうな不安を胸に押し込め、心の中で早く終われと何度も何度も繰り返し叫ぶ。

 

 一秒が一時間にも感じられる、煌びやかな時間。

 それを終わらせたのは、シェイマスの閉会を宣言する言葉だった。

 長い夜会が幕を閉じる。

 ライリーは再び沸き起こった拍手に笑顔で応え、美しく優雅に一礼して退場した。


 舞踏の間から出た途端、無数の視線から解放され、気が抜けそうになる。

 緊張の糸が緩まないよう必死に堪え、奇襲の隙を与えることなく平然とした態度で自室に向かって歩みを進めた。

 

 ライリーの演技は完璧だ。

 護衛をしているユリウスさえ、ライリーの体の異変に気付いていない。


(あと、少し)

 

 ミカエラの私室に入れば、ライリーに課された任務は終了だ。


 異常を知らせるように、一歩足を進めるごとに怖気が全身に走る。

 ここまでくれば、素人のライリーでもわかる。

 体の異変は、間違いなく毒によるもの。

 それでも、最後の最後に失態を犯さないよう、早くミカエラの部屋に戻らなければ。


 しかし、それを拒む、もうひとりのライリーがいた。

 ハルデランにいる家族。

 家族のように、友人のように、同じ時間を過ごした影や王族たち。

 そして、どんな時でも隣にいてくれたユリウス。


(離れたくない)


 部屋に戻れば、毒が一気に回る。

 そんな予感がした。

 毒が回れば、ライリーの末路は容易く想像できる。

 刻一刻と迫る別れに、目頭が熱くなった。


 矛盾した気持ちを抱えながら、ライリーはミカエラの部屋に辿り着いた。

 部屋に入るのは、ライリーとユリウスだけ。

 追従していた他の近衛騎士は、部屋の前で警戒する手筈になっていた。


 分厚いドアが閉まり、喧騒と無数の視線から解放される。

 心を許したユリウスと二人きりになり、ライリーの緊張の糸が音を立てて弾け飛んだ。

 

「は、ぅ……ぁ……ッ!」

「ライリー!」


 異常なほど発熱した体をかき抱き、膝から崩れ落ちた体。

 傾く視界はスローモーションのように見えた。

 

 柔らかい絨毯に倒れる寸前、ライリーの体を受け止めたのはユリウスだ。

 ユリウスは咄嗟に動いたのだろうが、それにしては受け止められた時の衝撃は驚くほど小さかった。

 

 しかし、ライリーの体を受け止め、顔色を確認するために頬に触れたユリウスの手は震えている。

 その手は、氷のように冷たい。

 滲む視界に写るユリウスは、青白い顔をしている。

 口元も小刻みに震えており、その動揺がいかに大きいのか、ライリーにも伝わってきた。

 

「ご、めん……なんか、からだッ……おかし、ぃ……」


 触れ合った熱に、ライリーの目尻からぽろぽろと熱い雫の粒がこぼれ落ちる。


 ミカエラたちのことだ。

 彼らの任務は一切の瑕疵もなく進んでいるだろう。

 だというのに、留守を任された自分はこの有り様だ。


 ミカエラの影武者となる任務は乗り切ったが、最後の最後で毒に倒れてしまった。

 それがどうしようもなく悔しくて、情けない。


 死が目の前に迫っている。

 まだ、生きたい。

 生きて、自分の手で変えたこの国の未来を見たい。

 大好きな家族や仲間と、ユリウスと、まだ一緒にいたい。

 ライリーの胸に、生への執着が溢れる。

 

 しかし、正反対の感情も同時に存在していた。

 ユリウスの腕の中で逝けるのなら、それでいい。

 自分勝手な願望は、生への執着と同じくらい大きかった。

 

「症状は?」

「熱、と、倦怠感……あと、息苦しさ」


 ユリウスの震える声に、心臓が痛む。

 胸の痛みに耐えながら体の状態を報告するが、正直なところ、話すことさえ辛かった。

 

 ユリウスは唇が白くなるほど唇を噛み、ライリーを抱きかかえて立ち上がる。

 僅かな振動もなくユリウスが向かったのは、ミカエラのベッドだ。


 そこは、体が埋まるのではないかと思うほど柔らかく、爽やかな柑橘系の香りがライリーを包み込む。

 ミカエラに夜会を託された、あの瞬間を思い出し、ライリーの目頭が再び熱くなった。

 

「どの毒だ、心当たりは?」


 夜会の直前、ミカエラの私室で食べた軽食は、信頼のおける毒見役が是と判断したもの。

 それであれば、夜会の最中か。

 

「わ、か……ない。飲んだ水、毒の味、しなかった」

「そんな……。じゃあ、いつ?」


 砕けて飛んでいきそうになる思考を必死にかき集め、ライリーは夜会でのことを回想する。

 夜会では、水分補給以外で口にしたものはない。

 しかし、その水でさえ、覚えた毒の味はしなかった。


 心当たりがないのは、ベッドの端に腰を下ろし、ライリーの顔を覗き込むユリウスも同じのようだ。

 唇を噛んでいた歯は、その力のあまり皮膚を裂き、白くなった唇を赤く染めた。


「ライリー……」


 力なく呼ばれた名前。

 ライリーはそれに応えるように、傷ついた口元に手を伸ばす。

 指先が、ユリウスの命の証で濡れる。


「ユリウス」


 宥めるようにユリウスの名前を口にしたと同時、ノックもせず、平時ではあり得ないほど派手な音を立ててドアが開かれた。


「失礼します、襲撃です! ダウリング殿、ここは交代するから行ってくれ!」


 ドアから躍り出たのは、部屋の前で護衛をしているはずの近衛騎士だ。

 名は、アルタン・コリンズ。

 一年前にミカエラの近衛騎士になったばかりで、剣と魔術の腕は他の近衛騎士に比べると劣る。

 それを自覚しているからこそ、腕の立つユリウスを応援で呼んだ。

 そういうことだろう。


 開いたドアの向こう側では、確かに剣戟の音が響いている。

 地鳴りのような、建物が破壊されるような低い音も複数方向から聞こえてきた。

 襲撃を受けているのは、ミカエラだけではない。

 とうとう、各派閥の過激派が派手に動き始めたのだ。


 迷っている時間はない。

 ユリウスが行かなければ、近衛騎士にも怪我人や、最悪死者が出る。

 

 ライリーはユリウスを見上げた。

 決断を下すべき彼の瞳には、躊躇いと葛藤が渦巻いている。

 

 ライリーの傍を離れたくない。

 そんな都合のいい心の声が聞こえる。

 

「しかし……」

「押されているんだ。腕が立つ貴殿が行かないとここまで侵入される!」

「ッ……わかりました」


 コリンズから急かされ、ユリウスは瞬間的に固く目を瞑った。

 再び現れた碧眼に、もう迷いはない。


 ユリウスの顔が落ちてくる。

 彼の唇から溢れる吐息が、ライリーの耳を掠めた。

 

「影がイーファを呼んでくれているはずだ。それまで耐えろ。俺もすぐに戻る」


 コリンズに聞こえないほどの、小さな呟き。

 力なく放り出されたライリーの手に触れたユリウスは、瞬きをした次の瞬間には、ライリーに背を向けて駆け出していた。


(無事に戻ってきて)

 

 ドアの向こうに消えたユリウスの背中。

 彼の残像を、未練がましく見つめる。

 そして、戦うことはおろか、体を動かすことすらできない情けなさに歯噛みした。

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