第46話 影武者、本番
ユリウスがミカエラの代わりに返事をすると、ユリウス以外の近衛騎士が口上を述べて入室した。
夜会前の食事の時間を知らせにきたらしい。
ライリーが是と答えると、さっそく使用人によって夜会前の軽食が運ばれてきた。
ドハティ公爵とのお茶会では、パーティ用の軽食に似せたものをケイトに作ってもらい、それを訓練として食べていた。
しかし、あくまでもそれは似せたもの。
運び込まれてきた軽食は、ライリーの知っているものではなかった。
ガラスの小鉢で煌めくジュレサラダ。
絶妙なバランスで積み上げられた食材を串で刺した数種類のピンチョス。
大輪の花びらのように巻かれたインヴォルティーニ。
一口サイズに作られたフルーツタルト。
まるで芸術品のような食事を、ライリーは完璧な所作で食べていく。
その間、入れ替わり立ち替わり出入りする伝令から夜会準備の進捗状況や生じた変更点、段取りを聞いていたのだが、その誰もがライリーをミカエラだと信じて疑わない。
見た目や所作、言動がミカエラのそのものであることの証左だ。
(このままいけば大丈夫だな)
ようやく自信がついたライリーは、胸を撫で下ろし、僅かに緊張の糸を緩めた。
この後、付かず離れずライリーの護衛に就くのはユリウスと、影であるもう一人の近衛騎士だけ。
友人や婚約者候補であろうと、会話やダンスの時間は限られており、挨拶を交わす貴族たちはほぼ初対面。
しかし、油断は禁物だ。
これから今日の主役であるミカエラには、穴が開きそうなほどの視線が突き刺さる。
僅かな綻びが計画を台無しにしてしまう可能性があるため、ライリーは一瞬にして緊張の糸を張り直した。
「準備が整いました」
「わかった。ありがとう」
会場の準備が整った。
つまり、招待客全員が会場入りしたということだ。
軽食を優雅に食べ終えたライリーは、口元を拭き、ユリウスに髪や服を整えてもらう。
ゆっくりと深呼吸し、案内役の騎士を先頭に、夜会の会場である舞踏の間に向かった。
王城は影の屋敷と違い、どこもかしこも華やかで騒がしい雰囲気が漂っている。
今夜の夜会は、新年に催される王家主催の夜会よりも規模が大きいと聞く。
招待客も給仕する使用人も、誰も彼もが非日常に浮き足立っているのだ。
その雰囲気に当てられ、落ち着いたはずの胸が疼き始める。
泳ぎそうになる視線を先導の騎士に固定し、ユリウスと付き合わせた拳や、ミカエラと抱擁した時の熱を思い出し、心を落ち着かせた。
やがて辿り着いた、舞踏の間に続く王族専用の扉の前。
先に到着していたのは王太子オーウェンとドハティ公爵だ。
そして、ライリーが到着して間を置かず、シェイマス王とその王妃アイリーン、側妃エーファが三人揃って現れた。
ドハティ公爵が仕掛けたあのイタズラの日以来、夜の家族団欒に加えてもらっていたライリーは、初めて見る公の場での彼らと対面して汗を握った。
集まった家族は、王族としての威厳に満ち溢れており、気軽に会話をする雰囲気は一切ない。
加えて、影ではない近衛騎士や使用人がいるため、表立って話すこともできなかった。
「ミカエラ。心の準備はできているか」
「はい。父上」
「では、行こう」
しかし、彼らから向けられる視線は温かく力強い。
大丈夫だと、抱き締められたような気がする。
それをしっかりと受け止め、ライリーはシェイマスの横に並んだ。
シェイマスが手を挙げると、荘厳な扉が開かれる。
途端、割れんばかりの拍手がライリーを襲った。
扉の向こうは別世界が広がっている。
白く輝く大理石の床に、落ち着いた焦茶色の壁。
天井には大きなシャンデリアが吊り下げられ、その空間には整然と並んだ貴族たちがライリーを凝視している。
ライリーは破裂音の洪水に怯えることなく、マーリーの自信作である衣装を披露しながら、堂々と舞踏の間へと足を踏み入れる。
突き刺さる数多の視線に含まれる思惑に辟易しながらも、それが誰からの視線であるかを把握していった。
壇上の上、その中央に辿り着くと、シェイマスが足を止めた。
それと同時に、ライリーは貴族たちに相対する。
背後にドハティ公爵たちが並ぶ気配がすると、割れんばかりの拍手がぴたりと止んだ。
会場にいる誰もが、ライリーに視線を向ける。
ライリーは余裕ぶって会場を見渡し、そして微笑んだ。
「皆さま、本日はご多用の中、私の成人の儀及びその祝いの席にお越しいただき、ありがとうございます……」
ライリーは何度も繰り返し紙に書き、口が勝手に動くようになるまで覚えた挨拶を述べていく。
貴族とは面倒なもの。
その一例が、この長ったらしい挨拶だ。
ライリーの挨拶が終わると、シェイマスが夜会の始まりを宣言した。
再び沸き起こる拍手。
そして、ライリーに人の波が押し寄せてきた。
他国からの使者を先頭に、高位の貴族から順に祝辞を述べる列が形成される。
貴族名鑑と睨めっこしていたライリーは、どれだけの人数と挨拶を交わさなければならないか、しっかりと頭に入れていた。
しかし、実際にその者たちを見ると、あまりの多さに目眩を覚える。
(まだ始まったばかりだ。泣き言を言っている場合じゃない)
ライリーは笑顔を絶やすことなく、そして、誰にも影武者だと気付かれることなく貴族たちと交流していく。
ようやく挨拶の列が半分となった頃だ。
ハルデランの孤児院に端金を落としていったフィッツジェラルド伯爵とヒーリー男爵が、気持ちの悪い笑顔で現れた。
ライリーは過去に受けた仕打ちを思い出し、沸き上がる怒りに任せて蹴り飛ばしてやろうと思ったが、背後に控えていたユリウスから背中を突かれ、必死にミカエラの皮を被る。
冷静さを取り戻してくれたユリウスに感謝しながら、ライリーは顔に笑みを貼り付けた。
順調に進行していく挨拶。
しかし、とある老紳士を前にして、ライリーは固まった。
子爵であることはわかるのだが、名前が思い出せない。
その異変にいち早く気付いたのは、ドハティ公爵だ。
『彼はレノン子爵だよ』
耳元にそよぐ風。
ドハティ公爵の声で囁く風が、老紳士の名前を教えてくれた。
おかげで事なきを得たライリーは、ゆっくりと呼吸を繰り返すことで全速力で駆ける心臓を宥めたのだ。
ドハティ公爵は常に微笑を浮かべて貴族たちと談笑していた。
その裏で、ライリーにしてくれたように、絶えず影たちに指示を飛ばしている。
ドハティ公爵の様子はあまりにも平静で、ライリーにはミカエラたちの作戦行動が上手くいっているのか否か、窺い知ることができなかった。
頬が引き攣りそうなほど長かった挨拶の次は、ダンスの時間だ。
ミカエラはその前に中座し、成人の儀の衣装からダンス用の衣装へと着替える段取りとなっている。
ライリーは壇上から降り、披露の意味合いも込めて会場を一周した。
そして、一礼して会場をあとにしようとした時だ。
「きゃっ!」
ライリー近くで、高いヒールでバランスを崩した令嬢。
その手にはグラスがあり、その中に入っていた赤ワインが放物線を描いてライリーの顔から胸をしとどに濡らした。
甲高い音を響かせて割れるグラス。
その破片は、寸前まで持っていた、大理石の床に転んだ令嬢にも向かっていった。
そんな女性を放っておけるわけがない。
ライリーはユリウスに目配せをし、了承を得た上で彼女に手を差し伸べた。
「怪我はない?」
「申し訳ありません! お召し物が……」
しかし、彼女は不敬を犯したからか、小刻みに震えながら床に頭をつけた。
その手には、ガラスの破片で切った小さな傷があり、じわりと血が滲んでいる。
騒ぎを聞きつけた他の近衛騎士が令嬢を捕えようと近づいてきたが、ライリーはミカエラならこう動くだろうと考え、手を振って制止した。
「大丈夫。どうせこれから着替えるし、人が多くて暑かったところだったんだ。ちょうどよかった」
「しかし……」
ライリーは言い淀む彼女の手をそっと包み、ゆっくりと立ち上がらせたが、転んだ時に足を捻ったのか、令嬢は支えなしに立つことはできないようだった。
「足が痛いんだよね」
「はい……」
申し訳なさそうに頷く彼女の後ろから、血相を変えた男性が駆け寄ってくる。
「シアーシャ!」
「フェイリム」
「ああ、シェリダン伯爵。シアーシャ嬢は確か君の」
ライリーは彼にシアーシャ嬢の手を引渡し、あるべき夫婦の形に戻す。
すると、二人は王族に対する最敬礼をして頭を下げた。
「ミカエラ殿下。彼女は私の妻です。彼女を罰するなら、代わりに私に罰を」
本来なら懲罰の対象となる行為だ。
彼らが罰に怯えるのも無理はない。
しかし、ライリーが頭に叩き込んだ慣例通りなら、祝いの席での粗相は見逃されるはず。
ライリーは夏の花畑を連想させるような快活な笑みを浮かべ、この騒動の行先を見ている観衆に向け、明るい声を張り上げた。
「祝いの席でそんなことするつもりはないよ。それより、シアーシャ嬢は手と足を怪我している。控室に連れていってあげなさい」
「はい。御前、失礼します」
これ以上の不敬を犯さないためか、二人は速やかに会場をあとにした。
一連のやり取りを見ていた観衆たちは口々にミカエラが寛大だと褒め称えたが、果たしてそれがどこまで本心で言っているのやら。
ライリーは心の中でため息をついた。
アクシデントはあったものの、予定に変更はない。
ライリーは控室に着くと、蒸しタオルで濡れた上半身を清め、用意されていたダンス用の衣装に着替えていく。
「気分は悪くありませんか。口にされていないとはいえ、ワインの匂いは少々きついですから」
「大丈夫。ワインは初めてだけど、なんだか美味しそうな匂いがしたからね」
「エーファ様に似て、酒豪になりそうですね」
「そうだといいな」
さりげない会話で体調の変化を確認される。
それもこれも、部屋に影の存在を知らない人間出入りしているからだ。
まどろっこしい会話はもどかしい。
そう思うのも束の間、ライリーは着替えが終わるとすぐさま舞踏の間に舞い戻った。
すでに楽団の用意は出来ていてる。
ライリーは早速、婚約者候補の令嬢と一曲ずつ踊り、ギャラリーを魅了する。
ライリーの完璧なエスコートに、婚約者候補の令嬢たちは皆一様に頬を赤く染め、上品に挨拶をすると、両親が待つギャラリーに戻っていった。
彼女たちは婚約者候補だけあって優秀で、尚且つ人格者で、そして全員、明らかにミカエラに心を寄せている。
この先、誰がミカエラの妻になるのか。
ライリーの好奇心は、その行末が気になると小さく呟いていた。
婚約者候補とのダンスが終わると、今度は友人たちと束の間の談笑を交わす。
ミカエラとして接した友人たちだが、ライリーは個性豊かで愉快な彼らが好きになっていた。
今日で彼と会うのも最後だと思うと、胸の中に木枯らしが吹き抜けるような、そんな寂しさに襲われた。
凍える心とは裏腹に、体はどんどん熱くなっていく。
今になって緊張が体に出てきたのだろうか。
それとも、慣れない服を着て踊ったからだろうか。
(なんだ? 何か、熱い。ちょっと息が苦しい)
最初は気のせいかと思っていた、体温の上昇。
しかし、違和感はじわじわとライリーを苦しめていく。
徐々に体を蝕む熱は、やがて無視できないほどになっていた。
王城に入ってから口にしたのは毒味されたものだけ。
毒の可能性は限りなく低い。
それならば、これは単純にライリーの体調不良なのか。
専門的な知識を持たないライリーにそれを判断する術はなく、降り積もる焦燥が胸をじりじりと焼いていく。
しかし、主役であるライリーが夜会の途中で姿を消すわけにはいかない。
この場には他国の要人もいる。
招待した手前、主役が途中から不在になるという失礼で不名誉な事態にしたくはない。
それに、だ。
隙を見せれば、敵の格好の餌食になってしまう。
ここには悪事に加担していない貴族や、何も知らない使用人たちがいる。
彼らを巻き込むわけにはいかないのだ。
選択肢はひとつしかない。
ライリーは必死に平静を装い、隙を見て深呼吸して熱を吐き出し、閉会の時が来るのをひたすら待ち続けた。
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