第42話 最大級のイタズラ

 勢いよく開け放った隠し扉。

 光の先は、ドハティ公爵やミカエラの部屋よりも広く、上品な調度品に囲まれた空間が広がっていた。

 ライリーが飛び出した隠し扉の正面にある大きなソファでは、シェイマス王と王妃アイリーン、側妃エーファが談笑し、寛いでいる。


「父上!」


 ライリーはそこに向かって駆け出し、ソファの前にあるガラスのテーブルを器用に避け、二人の母に挟まれた父に抱き付いた。


 ドハティ公爵に似ているようで、だが少しだけ違う顔。

 薄く笑い皺が刻まれている目尻。

 シェイマス王の方が、僅かばかり柔和な顔をしている。


 飛び込んだ胸は逞しい。

 ライリーをしっかりと受け止めた彼からは、森の中にいるような、深くて爽やかな香りがする。

 シェイマス王の胸元に埋めた顔を上げると、驚きと喜びで目尻の皺を深くした顔が目に入った。

 

 ぱちりと目が合うが、それがなんだというのだ。

 ライリーは今、彼の息子。

 遠慮することはない。


「母上、アイリーン義母上ははうえも聞いて! 今日ね、すっごく面白いことがあったんだ」


 ライリーは父の膝の上から降りると、麗しい二人の母にも笑顔を振り撒く。


 ミカエラの実母エーファは、凛と咲く百合のような女性だ。

 大きな目はミカエラと同じ。

 一目見て親子だとわかる顔立ちだ。


 そして、王妃アイリーンは、堂々と咲き誇る大輪の薔薇のようだ。

 凛々しく意思の強そうな目は、王妃然といている。

 ミカエラの訪問には慣れているのか、歓迎の微笑を浮かべている。


 しかし、それも一瞬のこと。

 三人はぴたりと時が止まったかのように固まった。

 息の揃った反応は、彼らが仲睦まじいことを物語っている。


 国を率いる彼らの絆が固いのは喜ばしいことだ。

 しかし、この反応はまずい。


「あれ、父上も母上たちもどうしたの?」


 すぐにライリーだと気付かれるわけにはいかない。

 背中に冷や汗を流しながら、ライリーは必死にミカエラを演じ続ける。


 首を傾げたライリーを見て、三人の親たちはますます困惑していた。


「ミカ、エラ?」


 実父であるシェイマス王は、眉間に皺を寄せ、ライリーを上から下へとじっくり観察している。

 よく似ているとはいえ、我が子と影武者を間違えるわけにはいかない。

 そんな心の声が聞こえてきそうだ。

 

「え? 違うわよ、ね? ライリーでしょ……?」


 実母たるエーファは流石と言うべきか、答えを言い当てた。

 しかし、口元に手を当て、眉尻を下げて困惑している。

 その様子をみるに、目の前にいるのがライリーだと思いながらも、確信まではしていないようだ。

 

「嘘でしょ。どっちかわからないわ!」


 王妃アイリーンは、ライリーたちが狙った通りの反応をしてくれた。

 頬に手を当て、口を開け閉めしている様子は、勝ち気な印象を持つ顔を可愛らしくしている。

 きっと、隠し通路にいる三人は、声を押し殺して笑っているに違いない。


「えへへ。どっちでしょうか?」


 くるりと一回転し、小首を傾げる。

 ミカエラも例に漏れずサプライズが大好きだ。

 戸惑う三人を混乱の渦に落とすくらい、嬉々としてするだろう。


 しかし、突き刺さってくる疑いの視線に、段々と頬が引き攣ってくる。


(も……もう無理だ)


 隠し通路に潜む三人に、背中に回した手を小さく振って限界をアピールする。

 すると、小さな救援信号に気付いてくれたのだろう。

 早くと心の中で叫んだ時、隠し扉が開く気配がした。


「答え合わせの時間だよ!」

「どうでしたか? 兄さん、義姉ねえさま方」


 ライリーがそうしたように、ミカエラは困惑する親たちの前に躍り出て、ライリーと肩を並べ、愛嬌よく笑った。

 ドハティ公爵はライリーとミカエラの背後に立ち、弾んだ声で三人に問いかける。

 ユリウスはというと、その気配は隠したまま、部屋の隅で直立不動の姿勢を取った。


 種明かしの時がやってきた。

 ライリーは姿勢を正し、ミカエラと同じ微笑みを浮かべ、その時を待つ。


 イタズラを仕掛けられた父は、気が付けば晴れやかな表情を浮かべている。

 濃い霧の中から答えを見つけ出した。

 確信を得たその顔は、王者の風格を取り戻す。

 そして、反撃の狼煙が上がった。

 

「今ので確信したよ。最初に来てくれたのはライリーだね」

「正解」


 ドハティ公爵の言葉に、シェイマスは深い安堵のため息を漏らした。


「やっぱり? よかった。流石に自分が産んだ子を間違えるわけにはいかないもの」

「そうだけどね。本当、わからなかったわ」


 母たちは胸を撫で下ろし、瓜二つのライリーとミカエラを見てきゃっきゃと楽しげに笑っている。

 

 三者三様の反応に、ライリーは自然と笑みが溢れた。

 愉快で温かな家族を見て、胸がじんわりと温かくなる。


 ライリーはハルデランの家族を思い出していた。

 貧しくも、皆で創意工夫して遊び回った日々。

 それは、幸せの記憶だ。


「ライリー、こちらへ」

「はっはい!」

 

 不意にシェイマスがライリーを呼んだ。

 エーファとの間に作られた隙間。

 そこに座るように促され、ライリーは恐る恐る腰を下ろした。


 ゆったりと歩いていた心臓が走りだす。

 きっと、顔は笑顔で引き攣っているに違いない。


「改めて自己紹介を。私はミカエラの父、シェイマスだ。君には大変な役割を押し付けて申し訳なく思っている。でも、それと同時に感謝もしているんだ」

「私はミカエラの母、エーファよ。私からもお礼を。ミカエラの模倣は完璧よ。頑張ってくれてありがとう」


 ミカエラの両親に頭を下げられ、ライリーは狼狽えた。

 二人は国の頂点に立つ王族だ。

 対して、ライリーは平民。

 そんな二人に頭を下げられる身分ではない。


「とんでもございません。どうか頭をお上げください。影武者の任務をやり遂げたいと、私自身、強く思っています。それに、ユリウスのおかげで毎日が楽しいです。たくさんのものを与えてもらい、世界が広がりました。お礼を言うのは私の方です。ありがとうございます」


 これは方便ではない。

 ライリーの偽りなき本心だ。

 それが伝わればと願いながら、しかし、緊張して早口になってしまった。


 握り込んだ拳に滲む汗。

 心臓は歩き方を忘れたように全速力で駆けている。


 それ宥めてくれたのは、他でもないミカエラだ。


「ね? ライリーはこんなに素敵なんだよ」


 ミカエラからつんと突かれた拳。 

 屈託のない笑みに力が抜けていく。

 ミカエラには、人を安心させる不思議な力がある。

 そんな気がした。


「良い子すぎるわ。私はオーウェンの母アイリーンよ。ねえ、もっとお話ししましょう」

「名案だわ。今日は夜更かしよ」

「いいね」

「賛成」

「では私も」


 アイリーンの前のめりな提案に、エーファもシェイマスも頷き、ミカエラとドハティ公爵は嬉々としてテーブルを挟んだ対面のソファに腰掛ける。

 

 突然決まった夜のお茶会に、ライリーは心の中で再び慌てることになった。

 影たち限定だと思っていた強引さは、もしかしなくても、この王族たちの影響のような気がしてならない。


(え、ええ……! ユリウス!)


 ライリーは迷子になった子どものように、見慣れたユリウスの姿を探した。

 しかし、目だけ動かしている視界に、彼の姿はない。

 置いて行かれてしまったのか。

 

 心細くなったその時、ユリウスはどこからか温かいミルクとクッキーを乗せたトレーを運んできた。

 それらをテーブルに並べていくユリウスは、ライリーと目が合うと満面の笑みを浮かべる。


 国王たちは、とても良い人たちだろう?


 そんな問いかけにも似た自慢が聞こえてきそうな顔だ。

 先手を打って茶会の用意をしていたユリウスは、失礼と頭を下げると、自然な動きでドハティ公爵の横に座った。

 錚々たるメンバーに臆することなく、堂々と背筋を伸ばしている様子には慣れを感じる。

 今までも、彼らの茶会に同席していた証拠だ。


「さて、誰が最初の質問をする?」


 弾んだシェイマスの声を合図に、楽しい夜の茶会が始まった。

 雲の上の人々に囲まれて緊張していたライリーだが、次第に肩の力が抜けていく。


 ライリーの緊張を解したのは、他でもない彼らだった。

 国民の声を聞くことが仕事である彼らは、当然のことながら聞き上手。

 話していると、気持ちのいいタイミングで相槌を打ってくれる。

 無限に広がっていく話は面白く、楽しさに満ちていた。


 もっと話していたい。


 夜も更け、全員が渋々といった様子で終わった茶会。

 帰り際、ライリーの胸に生まれたのは、欲張りな願いだった。

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