第41話 ドハティ公爵の企み

 満月の光が差し込むサロンには、夕飯後の紅茶を優雅に嗜むドハティ公爵の姿があった。

 その目には、ミカエラの模倣をするライリーを突き刺してきた鋭さはない。

 蜂蜜色の瞳は紅茶に溶け、月明かりに煌めいていた。


「ライリー。完璧だ。よく頑張ったね」

「ありがとうございます!」


 ドハティ公爵に褒められて、ライリーは満面の笑みを浮かべた。


 ドハティ公爵の前での模倣演習。

 時期的に最終試験ともいえた今日、ライリーはドハティ公爵から完璧という言葉をもらった。

 つまり、ライリーがユリウスと模索し、時には苦しみながら取り組んできたすべてが実を結んだのだ。

 

 ライリーの隣に座っていたユリウスも、笑顔を隠そうともしていない。

 それどころか、ドハティ公爵の前だというのに、行儀良く膝に置いていた手を握られた。

 

 包み込まれる拳。

 強く込められた力。

 焼けるように熱い手からは、ユリウスがどれだけ興奮しているのかが伝わってくる。

 

 きっと、本当は歓喜の叫びを上げ、飛び跳ね回りたいんだろう。

 それはライリーも同じだった。


「やったな、ライリー」

「うん。ユリウスのおかげだよ。ありがとう」

「どういたしまして。でも、一番頑張ったのはライリーだからな」


 ライリーはユリウスの手の中で手首を返し、重なった手を握り返す。

 ぴたりと合わさった肌。

 そこから行き来する熱。

 ライリーの喜びも、ユリウスに伝わっているだろうか。


「喜ぶのはまだ早いよ」

 

 雲のように飛んでいきそうになっていたライリーの心を繋ぎ止めたのは、ドハティ公爵の一言だ。

 諭されたライリーとユリウスはすぐさま我に返り、繋がっていた手と手を解いた。

 

 ユリウスはきゅと唇を噛み締めている。

 ライリーも、きっとユリウスと同じくらい険しい顔をしているはずだ。


(そうだよね。本番はミカエラ殿下の成人の儀の日。喜ぶのはそれが終わってからだ)


 ライリーは浮かれた心をきつく叱りつけたが、ドハティ公爵の言う「まだ早い」とは、そのことではなかった。


「さあ、イタズラしに行こう」


 珍しく弾んだドハティ公爵の声。

 ライリーはユリウスと顔を見合わせた。


「イタズラとは……」

「まさか……?」


 思い付くイタズラはひとつしかない。

 ライリーがミカエラになりきり、皆を騙すのだ。

 

 答えに辿り着いたライリーとユリウスは、満足そうに頷き、鼻歌でも歌い出しそうなドハティ公爵に連れられ、隠し通路を使い、王城に足を踏み入れた。

 目的地は、ミカエラの部屋だ。


「叔父上、こんばんは。あ、ライリーとユリウスも!」


 突然の訪問にもかかわらず、ミカエラは笑顔で迎えてくれた。

 動けば揺れる柔らかそうな寝着を身に纏った彼には、子犬のような溌剌さと人懐こさがある。

 これに嫌悪を抱くのは、政敵くらいだろう。


 ミカエラはライリーたちをソファに促したが、ドハティ公爵がそれを制した。


「実はね。これから兄さんたちにライリーをお披露目をするんだ。服を貸してくれるかい」


 ミカエラに向けた頼み事に、ライリーの心臓がビクッと跳ねる。

 てっきり、イタズラを仕掛けるのは影たちだと思っていた。

 そのつもりでドハティ公爵の後に続いたのだが、まさか本当は彼の兄――国王――を相手にするだなんて……!


 ライリーは背後に控えていたユリウスを振り返る。

 その平然とした顔に、勘違いしていたのはライリーだけなのだと悟った。


 ライリーの引き攣った顔を見て、すべてを察したのだろう。

 ユリウスは顔を強張らせ、そして静かに目を閉じて頷いた。

 その顔はまるで、神殿の祭壇に祀られている精霊の像のように、慈愛に満ちている。


(腹を括って頑張れってことだな?)


 ライリーはユリウスの応援にもならない応援にがっくりと肩を落とした。

 

「そうなの? 僕も見に行く!」

「影からそっとだよ」

「もちろん!」


 対して、ミカエラは上機嫌だ。

 跳び上がった彼は、部屋の隅にある背の高いキャビネットから今着ている寝着と同じものを取り出し、ライリーの胸元に押し付けた。


「はい、どうぞ!」

「ありがとう」


 友人となり親しくしているミカエラに微笑み、寝着を受け取る。

 寝着は、ライリーが普段着ている服と同じ手触りだ。

 来たる日のために、王都に到着した日から高級なものに慣らされている。

 最近はすっかり忘れていたことを実感したライリーは、密かに身震いをした。


 この場にいるのは同じ男だけ。

 ライリーは三人に背を向けて配慮しつつ、王にイタズラを仕掛ける覚悟を決めて着替え始める。


(初対面の人にイタズラって失礼だよな。しかも、王様相手になんてさ)


 常識に当てはめれば、ライリーがこれからすることは非常識だ。

 しかし、発案者はドハティ公爵であり、すべての責任は彼にある。

 不測の事態が起こったとしても、ライリーの責任ではない。

 そう思うと、ライリーの心は僅かばかり軽くなった。

 

 髪色は数日前に染めたばかり。

 目には蜂蜜色のガラスが入っている。

 ミカエラが使っている寝着に着替え、髪型などを微調整していく。

 ドハティ公爵とミカエラに親子の挨拶を再現してもらい、ライリーも予行練習すれば、あとは本番を迎えるのみ。


 ライリーたちは隠し通路を使い、王の居室の隠し扉の前まで来た。

 ミカエラの影武者だと悟られないため、ここからはライリーが一人で行くことになる。


 ドハティ公爵とミカエラは、ライリーをリラックスさせるように微笑む。

 国民に笑顔を見せることも仕事のうちである二人の笑顔は、暗がりでも絵画のように綺麗だ。

 

 王族二人の美しさに惚けたライリーに、勝ち気な笑みを浮かべるユリウスは拳を突き出してきた。

 はっと我に返ったライリーは、その拳に自身のそれをコツリと合わせる。

 触れた拳から勇気を受け取り、ライリーはゆっくりと深呼吸した。


 模倣で重要なのは、観察と理解、そしてイメージだ。

 いつもは頭の中にミカエラの顔を思い浮かべるが、今日はミカエラ本人が目の前にいる。

 ライリーはミカエラを見つめた。


(俺は、ミカエラ殿下だ)


 心の中で何度もそう唱え、ミカエラの輪郭を写し取り、頭の天辺から爪の先へと貼り付けていく。

 頬を緩ませたライリーは、この瞬間からミカエラだった。

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