第40話 赤いアネモネの花束

 髪を染めてから数日の間、ライリーは影に会うと飛び上がって驚かれた。

 

 つい先程まで王城の天井や壁の裏から密かに護っていたミカエラが屋敷にいるというありえない状況にギョッと目を見開く。

 そして、そうだったと思い出して納得。

 はぁ……と深い息を吐くまでがセットだ。


 見た目を似せるだけで驚いてもらえる。

 中には猫のように飛び上がる影もいて、その場にいた全員で腹を抱えて笑う。

 

 そんな毎日が楽しかったが、それも数ヶ月経つと、誰からも驚かれなくなった。

 影たちは、ミカエラに似せたライリーの姿に慣れたのだ。

 

 ライリーは、それがなんだかつまらない。

 刺激が足りないのだ。


(ユリウスがイタズラをしたくなる気持ち。わかっちゃったなぁ)

 

 ミカエラが着るような貴族服を着て、完璧な模倣ができたなら、影たちはどんな反応をするのだろうか。

 イタズラ心がウズウズとして、今か今かと首を伸ばして待っている。

 その日は、移りゆく季節と共に、段々と近づいてきていた。

 

 花々が咲き乱れる季節になった。

 命が芽吹く気配があちこちから感じられ、柔らかい日差しが窓から差し込んでくる。

 窓の外のクスノキはぽつりぽつりと紅葉し、落ちた葉は木の根元に豪華な絨毯を敷いていた。

 

 影の屋敷は、前線を退いた歴戦の猛者たちが管理している。

 隅々まで行き届いた掃除に、質素ながら上品な装飾。

 その季節の花があちこちに活けられているが、春はまた格別だった。

 

 色彩の鮮やかな花々が花瓶から溢れ出す様子は、自然とライリーの頬を緩めていく。

 ライリーにとって、花は祝いの席で飾るもの。

 その常識を覆し、そして、日々活力を与えてくれる花の素晴らしさに胸を弾ませた。

 

 まるでベールのような、儚さを纏った陽光が降り注ぐ休日の朝。

 ライリーとユリウスが朝食をすませて食堂から出ると、影の屋敷は、つい数十分前までとは異なる世界になっていた。


「わぁ……綺麗」

「今年も凄いな」

「今年もって……?」

「今日は花祭りの日なんだ」

 

 柱のひとつひとつに鉢が掛けられていて、ピンクのハナツメクサや青いネモフィラ、白い鈴蘭や黄色い菜の花が空間を彩っている。

 木に咲くミモザやマグノリア、短刀を造っている東の果ての国からきた桜は、花瓶に枝ごと挿してあり、整然と廊下に並んでいた。

 一番豪華なのはサロンで、どこを見ても何かしらの花が目に入る。

 

 それをユリウスはひとつひとつ指差して花の名前を教えてくれた。

 農場で働いていたライリーだが、花は専門外だ。

 ユリウスの解説はありがたい。

 花の名前がわかると、名前を知らなかった時よりも花が鮮やかに見える。

 そのすべてが、美しいと思った。


「花の名前までわかるなんて凄いな」

「貴族の教養ってやつさ」

「ああ、なるほど」


 ライリー頷きつつ、花から目が離せない。

 今日はチェスより花の気分だ。


 春先に、花を溢れさせる。

 その習慣に、ライリーはふとハルデランでのことを思い出した。


「花祭りって、花の祝祭のこと?」


 花の祝祭とは、春の訪れとその年の豊穣を祈る神事だ。

 ハルデランでは、四大精霊を祀る神殿を花で飾り、神官たちが神楽を舞う。

 白い装束が花びらのようにひらりひらりと踊る様子は美しく、今でもライリーの記憶に残っていた。

 

 それが終わると、祝いの食事が振舞われる。

 ハルデランの住民が集まり、賑やかな食事が始まるのだが、実はこれも四大精霊が喜ぶ贈り物だとされている。

 食事も含めて、神事なのだ。


 花の祝祭と、ユリウスの言う花祭り。

 同じものなのか、それとも別物なのか。

 ライリーには判別がつかない。

 

「そうだ。貴族街と平民街にまだがる神殿で神事が行われていて、街では精霊たちを喜ばせるために祭りを開く。それが王都の花祭りってわけ」

「楽しそうだな」

「ああ。と言っても、新年とそう変わらない。花を飾って、店がいっぱい出る。あとは歌劇団が広間で公演したり、花吹雪を散らしたりするんだ」


 指折り数えてあとは何が催されるのか思い出しているユリウスを見て、ライリーは王都の祭りの規模に胸を躍らせた。

 一体、街はどんな様子になっているんだろうか。

 影の屋敷と引けを取らず花が溢れ、人々が行き交っているんだろう。


(行きたいな)


 しかし、それは叶わぬ願いだ。

 

 ミカエラの成人の儀まで、あとふた月。

 建国史や国政をはじめとする教養も、ミカエラの模倣も、すでにドハティ公爵から及第点をもらっている。

 マーリー服飾店が気合を入れて制作している夜会用の衣装も微調整に入った。

 すべての準備が整いつつある今、下手に街に出て怪我をしたり病気になったりするわけにはいかないのだ。

 

 少しでも外に出たい。

 そんな気持ちはあったが、事情が事情なだけに諦めるしかなかった。


「行ってくれば?」


 肩を落とすライリーの背中を押したのは、バスケットを持ったケイトだ。

 それをユリウスに押し付けると、ケイトは可愛らしくウインクをした。


「コリック通りの隠れ家があるでしょ」

「そうか。あそこは窓に認識阻害の陣がある!」

「え、どういうこと?」

「外部の人と接触しない、外から見えない、とっておきの場所があるってことよ。さあ、いってらっしゃい」

「いってきます。ライリー、花祭り行くぞ!」


 出発の声と共にユリウスから手を繋がれる。

 ライリーはわけもわからぬまま、スキップするユリウスの背中を追った。


「えっちょっと、ユリウス!」

「さっきケイトが言っただろ。そこに行くまでに外部の人と接触しない。窓には認識阻害の魔術陣があって外から見えない。それでいて、広場に近くて賑わっている外が見れる隠れ家があるんだよ」

 

 バスケットを振り回しそうな勢いではしゃぐユリウスを見て、その説明を聞いて。

 ライリーは文字通り飛び上がった。


「花祭りに行ける!」

「だからさっきから言ってるだろ」

 

 弾む声を連れて、隠し通路へ続くドアをくぐる。

 薄暗い通路はいつも通りだが、ライリーには一筋の光が照らす希望の道に見えた。

 

 街へ遊びに行く時と同じ道をひたすら進み、途中で知らない道へと進路を変える。

 何度か角を曲がり、やがて道の途中に現れた階段を静かに登った。

 

 突き当たりにあるドアを開くと、そこは何の変哲もない、一般家庭の部屋が広がっていた。

 そこはリビングのようで、窓際に沿うように向き合ったソファと、その間に挟まれるように置かれたローテーブルがライリーとユリウスを迎えている。

 

 二人が出てきたのは、部屋の隅に置いてある本棚だ。

 ライリーは本が落ちないように隠し扉をそっと閉め、バスケットをテーブルに置いたユリウスに続いて窓際に近づいた。


「う、わぁ……!」

 

 窓の外は、常春の宴だった。

 通りに面した建物の外壁を埋め尽くす満開の花。

 歩く人々は小さなブーケを持ち、胸元や髪に一輪の花を挿している。

 溺れてしまいそうな花の海。

 ライリーは瞬きすら忘れ、認識阻害の魔術陣が施されている窓に限界まで近づいた。


「綺麗」

「実際に歩いたらもっと凄いぞ。花の香りが襲ってくる」

「襲ってくるって……」

「本当にそんな感じなんだよ。来年、一緒に行こう」

「来年?」


 窓を隔てて聞こえる、楽しげな騒めきと笑い声。

 それに気を取られ、聞き間違えてしまったのだろうか。

 

 ユリウスをはじめとする影たちとは、契約で繋がった期間限定の関係だ。

 影武者の任務が無事に終われば、ライリーはハルデランに帰り、日常に戻る。

 

 そのつもりだったというのに、ユリウスから未来の話をされて心臓が締め付けられた。

 あとふた月すれば、ユリウスと離れなければならない。

 その事実が、胸の中に隙間風を吹かせる。

 

 それと同時に、ライリーの心に、今日の陽射しのような温もりが、雪のように柔らかく降り積もっていく。

 影武者の任務が終わったとしても、またユリウスと会える。

 その約束を、当たり前のようにしてくれた。


(どうしよう。顔がニヤける)

 

 頬が熱くなるのを感じつつ隣に立つユリウスを見遣れば、彼はしたり顔でライリーに応えた。

 

「影武者の役目が終わったからって、別に会っちゃいけないことはないだろう」

「そうだな」

「今年はこれで我慢してくれ」


 ユリウスは腰に巻いていたマジックバッグから赤いアネモネの小さな花束を取り出し、ライリーの目の前に差し出した。

 力強く咲くアネモネからは、僅かに木のような、そして柑橘系のような爽やかな香りが立ち昇っている。


(降参だ)


 赤いアネモネの花束を受け取ったライリーは、芳しい香りを深く吸い込む。

 そして、心の隅を擽るのが得意なユリウスに、ライリーは完敗の白旗を上げた。

 

 髪留めを贈られた時にも感じた胸の温もり。

 それがまた、ライリーの心臓をそっと締め付けていく。

 そして、思うのだ。

 この胸の痛みは、嫌ではない。

 

「ありがとう。綺麗だな。でもこれ、いつの間に?」

「昨日、ちょっとな」


 ユリウスは人差し指を唇に押し当て、秘密だと主張する。

 その様子に、ライリーは思い切り首を傾げた。


 おかしい。

 ユリウスとは、一日中一緒にいたはずだ。

 一体いつ、どこで、どのようにして花を手配したのか。

 ユリウスに聞いても、この様子では教えてくれないだろう。


 花束を贈られて嬉しい気持ちと、ユリウスの行動の秘密が知りたくてウズウズする心。

 そして、ライリーにはサプライズの準備がないことの悔しさが渦となって押し寄せてきた。

 

「これじゃあ俺の立場がない」

「じゃあ、来年くれよ」

「わかった。楽しみにしてて」


 ライリーは何度も赤いアネモネを眺め、華やかな香りを吸い込む。

 ユリウスと肩を並べ、何故か見るのが恥ずかしくなった彼の顔を盗み見て、窓の外へと視線を移した。

 

(ユリウスには、どんな花が似合うかな)


 窓の外で、恵風が花の海を撫で、花びらを巻き上げる。

 その美しさに見惚れながら、ライリーは未来に胸を馳せ、ユリウスを想った。

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