第43話 生まれた罪悪感
ライリーはミカエラの影武者として完璧である。
ミカエラの家族から認められたライリーの生活は、これまでと大きく変わった。
影武者の任務に当たる際、多くの人と接することになる。
ミカエラ本人ですら面識のない貴族たちと挨拶を交わす時間が大半を占めるが、中には日頃から密接に関わっている者たちとも言葉を交わす時間があるのだ。
影ではない近衛騎士や側仕え。
幼い頃から共に過ごしてきた側近候補の友人。
そして、婚約者候補の令嬢たち。
ミカエラが普段、彼らとどんなふうに会話しているのか。
距離感や話し方、どれだけ気を許しているのか。
それを、護衛の任務も兼ねて、ユリウスとともに王宮の隠し通路にある覗き穴から観察する。
未成年のミカエラに果たすべき公務はない。
その代わり、午前中に勉学や剣術の稽古に励み、午後からは同年代の貴族令息令嬢と社交する。
ミカエラは平然と日常生活を送っているが、それは大人顔負の分刻みの過密スケジュールだ。
それに加え、影としての仕事もある。
目が回るような忙しさに、ライリーは頭を押さえた。
一体、この多忙の中、ミカエラがどうやって、馬で数日かかるハルデランに遊びに行けるというのか。
(言い出した奴は、本当に周りが見えていないんだな)
ライリーが影武者になるきっかけとなった噂。
今はどうなっているのか知らないが、よくそんなことを吹聴したものだ。
ミカエラは、こんなにも真摯に王族として努力しているというのに。
沸々と込み上げてくる憤り。
そして、絶対に影武者の任務をやりきってみせるという強い意志。
それを固く握った拳に詰め込んだ。
そして、成人の儀まで一ヶ月となったタイミングで、ライリーは予行練習としてミカエラと入れ替わるようになった。
毎日、午前か午後の半日だ。
半日とはいえ、その間は気を張りっぱなしになる。
その疲労は経験したことがないほどだ。
しかし、半年以上の訓練の成果は上々だった。
家庭教師や剣術の師範も、側近候補として幼いころから交流を深めていた友人も、将来の伴侶となる婚約者候補たちさえ、入れ替わりに気付かなかった。
国の未来を賭けて影武者をしているのだから、彼らが間違えるの当然だ。
最初は、それがとても嬉しかった。
これまでの訓練が実を結んでいる。
それ実感すると同時に、達成感に身を震わせた。
しかし、次第に異なる感情が生まれ、ライリーの胸の奥底に根を張り、それが日ごと心臓を深々と突き刺していく。
長年親しくしていた彼らが、ミカエラと入れ替わったライリーと楽しく談笑している間、ライリーの背筋に嫌な汗が伝い落ちる。
騙しているという罪悪感が、ライリーの心臓を押し潰していくのだ。
喉元に鉛が詰まっているかのように息が苦しい。
胃がキリキリと痛み、食事も喉を通らない。
夜は、影武者であることが露見し、ミカエラの恩師や友人、婚約者たちに囲まれて罵倒される悪夢に魘され飛び起きる。
迅る心臓を押さえながら時計を見れば、寝始めて二時間しか経っていない。
それから寝ようと思っても寝られず、嫌な胸の違和感を抱えながら朝を迎える。
だが、ライリーの隣にユリウスはいない。
ライリーがミカエラと入れ替わるようになってから、ユリウスは近衛騎士として復帰を果たしたからだ。
領地から王都に戻る途中、魔獣に襲われて療養していた。
公にはそういうことになっているユリウスは、生活の拠点を本来の場所――ダウリング子爵家の王都邸――に戻した。
しかし、食事や入浴が終わり、夜になると彼の私室の隠し扉からライリーのいる影たちの屋敷に転進する。
そして、これまで通りライリーの世話を焼き、ライリーの隣の部屋で就寝し、朝早くに自宅へ戻るのだ。
ライリーが縋れるものはひとつだけ。
ユリウスから贈られた髪飾りだ。
ミカエラからライリーに戻っている間、手の中には必ずアバロンシェルの煌めきがあった。
髪飾りに触れると、少しだけ心が安らぐ。
しかし、胸の騒めきが収まることはなかった。
ライリーがユリウスと過ごす時間は限られている。
それでも、ユリウスはライリーの不調にすぐ気付いた。
それは、ライリーが罪悪感を抱き、体の不調が現れて三日経った夜のこと。
風呂上がりのボディケアが終わり、サロンへ向かおうと立ち上がった時だ。
ユリウスにくっと腕を引かれ、脱衣所を後にし、サロンを通り過ぎて階段を上がっていく。
「ユリウス?」
いつもと様子が違うユリウスの背中に声を投げかけるが、返事はない。
サロンにいた影たちから心配そうな視線が送られてくるが、ユリウスが小さく手を振ると、皆一様に肩をすくめて解散した。
ユリウスが何を考えているのか。
それがわからないライリーは、どうしたらいいのかもわからず、腕を引かれるままにユリウスについていく。
辿り着いたのは、ユリウスの部屋だ。
控えめなムスクの甘い香りに包まれかと思ったら、皺ひとつないベッドに座らされた。
座ったライリーに対し、ユリウスは立ったままライリーの顔を覗き込んでくる。
近づく顔。
頬にかかる吐息。
ユリウスから香る風呂上がりの匂いに、耳がじわりと熱くなる。
「なっ何……?」
「ライリー。寝れていないだろう」
すべてを見透かすような視線と確信している声。
図星を突かれてライリーの心臓が跳ねたが、ユリウスに不調を知られるわけにはいかない。
ユリウスは近衛騎士として責務を果たしている。
そして、ライリーと同じく、ミカエラの成人の儀という大仕事が控えているのだ。
半年以上、ユリウスには世話になっているが、ライリーはこれ以上、彼に負担をかけたくなかった。
「そっ……そんなこと」
「あるだろ。目の下の隈、酷いぞ」
誤魔化そうと紡いだ言葉は遮られ、ユリウスの指がライリーの目元を撫でる。
半年以上もライリーのケアをしているユリウスだからこそ気付いた、小さな異変だったのかもしれない。
壊れ物に触れるような手付きに、罪悪感で締め付けられていた胸の奥まで撫でられたような、そんな気がした。
途端、堰き止めていた感情が瞳から溢れ出す。
「ユリウス、俺……」
「全部、聞かせてくれ」
隣に座り、震える背中を撫でてくれるユリウスに、ライリーは感情のすべてを打ち明けた。
ライリーの抱える気持ちに対して、ユリウスは何も言わない。
静かに相槌をし、ライリーの苦悩を共有していくだけだ。
それが、ライリーは嬉しかった。
結局のところ、ライリー自身が考え方を変えなければならないことはわかっている。
余計なことを言わないという気遣いがありがたかった。
「話してくれてありがとう」
「いや、こっちこそありがとう。ちょっと楽になったよ」
「俺は聞くことしかできないからな。でも、遠慮なく話してほしい」
「うん」
ライリーが流した涙の粒を、ユリウスは甲斐甲斐しく柔らかなタオルで拭ってくれた。
その優しさに、胸にぽっと小さな灯りがともる。
泣いて、溜め込んでいた鬱屈した気持ちが軽くなった気がした。
「それで、だ。寝れないのはやっぱりまずい」
「だよね」
「ちょっと待ってろ」
不意に立ち上がったユリウスは、クローゼットから小瓶を持ってきた。
「それは?」
「就寝用のフレグランスだ。枕に吹き付けて使う。ムスクはリラックス効果があるんだ」
ユリウスはそれを自身の枕に吹き付けた。
僅かに強くなったムスクの香りを胸いっぱいに吸い込む。
言われてみれば、どことなく安心する匂いだ。
ライリーがムスクの甘い香りにうっとりしていると、ユリウスはベッドに横になり、空いたスペースをトントンと叩いた。
「寝るぞ」
「寝るって、ここで?」
「誰かと寝ることで眠れることもある。寝れなかったら、眠くなるまで話をすればいい。きちんと体を休めるために、やれることはやるぞ」
ユリウスの笑顔は頼もしく感じる。
戸惑いと申し訳なさはあるが、やれることはやるという正論に背中を押され、ライリーはそろそろとユリウスの隣に寝転んだ。
「うん。ありがとう」
「どういたしまして。明かり、消すぞ」
「はぁい」
ライリーの返事と同時に部屋が暗くなる。
カーテンの隙間から滲む月光が、ライリーとユリウスの輪郭をぼんやりと浮かび上がらせた。
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
目を閉じれば、ムスクの香りが鼻腔を擽る。
ベッドは少し狭く、触れ合った肩から伝わる熱。
それを感じながら、ライリーはとろとろと眠りの世界に沈んでいく。
ユリウスと寝ると、悪夢は見ず、朝までぐっすりと寝ることができた。
日中は負の感情に引き摺られてしまうことも、中々寝付けない夜もあったが、ユリウスと他愛のない会話をしていれば寝ることができる。
安眠の効果を証明したことから、この日以降、ライリーはユリウスと同じベッドで寝ることになった。
ライリーの体からメンタルまで調整するのが今のユリウスの仕事とはいえ、それがライリーにとってどれほど身の程を弁えていない愚かなことなのか。
そう思い知らされたのは、ミカエラの成人の儀の前日だった。
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