第34話 貴族の誇りと変化した覚悟
生活サイクルが決まり、何もかもが新しい王都での生活にようやく慣れてきた。
朝起きてすぐ、ライリーはユリウスや他の影たちと地下の訓練所で鍛錬をする。
シャワーと朝食を挟み、それからは休憩を入れつつ夕方まで勉学やミカエラの模倣に励む。
そして一日の終わりには、入浴後にユリウスから香油を塗られながらマッサージを受けるのだ。
最後にご褒美があるからこそ、時には辛いと思う訓練を頑張れている。
ユリウスの手によって癒される時間は至福だ。
しかし、それよりも、寝る前にサロンでユリウスとのんびりと寛ぐ時間が好きだった。
気ままに語らい、時にはチェスやそれ以外のボードゲームに興じる。
たったそれだけのことだが、それが最も心が安らぐ時間なのだ。
就寝の時間になると、名残惜しくサロンを後にし、自室に入る。
その直前、ユリウスにおやすみと告げる時がとても寂しいと思うようになったのは、最近の話だ。
休日は、毎回のように街に遊びに行っている。
頑張っているご褒美と称して、ドハティ公爵が軍資金を渡してくるからだ。
目的地はなく、ふらりと歩いては目についたものを眺め、吟味し、購入する。
それは、もっぱら食べ物だ。
おかげで、王都の美味しい料理屋や菓子屋には詳しくなってきた。
一方、雨の日はユリウスとチェスに興じ、影たちと語らう。
チェスは、ユリウスと対戦しながら教えてもらっているからか、少しずつ上達してきたように思える。
混ぜてほしいと言ってきた影とも対戦したことがあるが、勝つことが多くなってきた。
こうなってくると、チェスが面白くて仕方がない。
チェスが好きなユリウスの気持ちが、少しわかった気がした。
早朝から農場の仕事をし、終わったら孤児院の手伝いに、夜や休日は冒険者ギルドで依頼をこなす。
そんな自分を追い立てるような生活とは程遠く、もちろん覚えることはたくさんあるが、王都では時間がゆっくりと流れていく。
ライリーはユリウスと過ごすことで自分で自分を甘やかすことを覚え、大人になってからは誰かに尽くすばかりだったが、ユリウスに尽くされる心地よさを知った。
以前はそんなふうに変わっていく自分が恐ろしかったが、変わった自分を受け入れることも大事だと考えるようになったのは、間違いなくユリウスのおかげだ。
貴族への認識も変わった。
それは、貴族であり、影でもある者たちと交流したからだ。
ある日の夜。
サロンに現れたのは、ファングとエラだった。
「やあ」
「お久しぶり」
二人とも紺色の騎士服を着こなしている。
凛々しい姿は、まるで本から飛び出した伝説の騎士のようだ。
ユリウスも、普段はこの騎士服を着ているんだろうか。
その姿を想像するだけで、なぜかライリーの心臓は力強く脈打った。
「お疲れさまです」
「お久しぶりです」
ライリーはユリウスに続いて立ち上がり会釈をする。
しかし、ここは影の屋敷。
形式ばった堅苦しい挨拶は、これ以上不要だ。
「元気そうでよかったよ」
「髪が伸びたわね」
「はい。この長さは生まれて初めてです」
ライリーは、後頭部で括った髪をするりと撫でた。
髪は今、下ろせば肩口の長さになっている。
成人の儀の直前にミカエラと同じ長さに切るため、ライリーの髪の長さはまだまだ記録更新する予定だ。
下ろしている時は鬱陶しいと思うが、ユリウスからもらった髪留めで結べば問題はない。
どうにかコツを掴み、今では自分でも結べるようになっている。
また、髪が長くてよかったと思うこともあるのだ。
今は冬になりかけの時期で、朝晩は特に冷えるのだが、髪を下ろしていると、首周りが温かい。
特に、耳を寒さから守れるのは大きな差だ。
(冬の間だけ、髪を伸ばしてもいいかも)
物心ついた頃から短髪を貫いてきたライリーは、寒さが厳しくなる今日この頃、そんなことを考えるようになっていた。
「あら。その髪飾り、綺麗ね。似合っているわ」
エラは目敏くライリーの頭に煌めくアバロンシェルの髪飾りを見つけ、褒めてくれた。
髪飾りは、ライリーの私物の中で一番の宝物だ。
髪飾りが綺麗だと、そして、似合っていると言われ、ライリーは嬉しくなって頬を緩める。
「ありがとうございます。ユリウスにもらったんです」
それを聞いたファングとエラは目を見開き、そして、目を細め、口元をにやけさせた。
王都へと向かっていた時、彼らはほとんどの時間、真面目な顔をしていたため、その印象が強く残っている。
しかし、今は違う。
ユリウスがイタズラにかかった影の悲鳴を聞いた時に浮かべるような、そんな顔をしている。
(う、わ……。意外だ)
しかし、そういえばとライリーは思い出した。
ライリーとユリウスがテントで就寝した時、ファングはジャクソンが妻に逃げられたことを話していたはずだ。
もしかしたら、その時もファングは今のような顔をしていたのかもしれない。
二人の視線はユリウスに向いている。
その標的にならなくてよかったと、ライリーはこっそりと胸を撫で下ろした。
「ほお?」
「なんですか」
「いやいや。何でもない」
「その顔、やめてください」
「ファングは何も言ってないわよ」
いつも他人を揶揄っているユリウスが、ファングとエラに揶揄われている。
また新しいユリウスの一面を見られて、揶揄われている最中の彼には申し訳ないが、ライリーは心が弾んだ。
もっと違う顔を見てみたい。
そう思うようになったのは、いつからだろうか。
「無駄絡みするなら帰ってくださいよ」
「失礼ね。今日はちゃんと用事があって来たのよ」
「そうそう。ライリー」
ファングとエラの用事は、ライリーに関することのようだ。
一歩引いたところに避難していたライリーは、ファングに名前を呼ばれてそろそろと三人に近寄る。
すると、ファングとエラは手に持っていた小さな紙袋をライリーに差し出してきた。
「領地に帰省したお土産だよ」
「貴族だけが買える……というものじゃないから、安心して。気に入ってくれたら嬉しいわ」
「ありがとうございます。あの、開けても?」
「もちろん。どうぞ」
承諾を得て、ライリーはそれぞれ紙袋を開封する。
ファングからのお土産は栗を使ったパウンドケーキ、エラからのお土産は梨のタルトタタンだった。
どちらも甘くて美味しそうな匂いがする。
夕飯で満腹になっていた腹がソワソワと動き出す気配がしたため、ライリーはくっと腹に力を入れて嗜めた。
(嬉しいけど、なんで俺に?)
帰省してお土産を渡すなら、影全体に渡すのが手っ取り早いだろう。
ライリーは、ファングとエラから個人的にお土産をもらう理由がわからなかった。
そんなライリーの疑問を察したんだろう。
ファングとエラは種明かしをしてくれた。
「王都に向かう途中、どこのスイートポテトが美味しいか教えてくれただろう? 秋、王都に出張に来ていたのが、ライリーが言っていた銀猫亭だったから、帰省のお土産にしたんだ。そしたら、領地の家族がえらく気に入ってね。そのお礼だよ」
「私も同じよ。ありがとう」
「こちらこそありがとうございます。俺はお気に入りの店を答えただけなのに、こんな貰っちゃって」
「気にしないで。ほんの気持ちだから」
ファングが目尻に皺を寄せ、ふわりと笑う。
その表情は、他界した義父を彷彿とさせた。
年齢も容姿も声も違う。
共通点は、性別のみ。
しかし、その理由は何となくわかる。
(俺、大事にされているんだな)
ファングと会うのは二度目だ。
会話も必要最低限だったと記憶している。
しかし、その言葉の端々から、あるいは眼差しから、ライリーが大切だと伝わってくる。
それを、肌で感じている。
じんわりと胸が温かくなり、少し冷えていた指先に熱が戻ってきた。
ふわふわとした心地でお土産を眺めていると、隣に立っていたユリウスが首を傾げた。
「帰省にしては短かったのでは?」
「そうなのよ。聞いてくれる?」
「え……? あ、はい」
ユリウスの問いにエラが勢いよく被せるように答える。
その顔は土砂降りの雨に打たれたように悲壮感を顕にしていた。
勢いに押されたユリウスは、おそらく反射で頷いたに違いない。
「休みは滞在期間も含めて二十日だったの。でも、実家に着いて三日目の朝から雪が降り出してね。元々予定していた病院で子どもたちへの読み聞かせをキャンセルして、冬支度の手伝いで領地中を回ったわ。私は何の役にも立てず、雪で道が閉ざされる前に王都に戻らなければならなかったのよ……」
エラは興奮しているようで、まるで一息で話し切ったかのような勢いがあった。
「私も似たようなものでね。私の実家の領地はエラの隣で、同じく雪が降ってたために、王都にすぐ逆戻りだ。本当なら、もう少し学校で剣を教えていたかったんだけどなぁ」
ファングも参ったと言わんばかりに頭を掻いている。
二人とも、領地で何かしらの慈善活動をしているようだ。
しかも、それを楽しみにしていて、直前でキャンセルしたことをとても申し訳なく思っている。
ライリーにはわからなかった。
ファングもエラも、領民のために動いていた。
それができなかったのは、人の力ではどうすることもできない天候が理由だというのに、何故そこまで罪悪感を募らせているのだろうか、と。
「あの、エラさんは冬支度をして回り、ファングさんは途中まで剣術を教えていた。なのに、何でそんなに残念がっているんですか?」
「それは、全力を尽くせなかったからだね」
「貴族としての義務を果たせなかったのよ。領民に申し訳なくて、ね」
困ったように話す二人にライリーはますます混乱してしまう。
「そうなんですか? 俺の孤児院には、一食分の寄付しかしない人しか来ませんでしたから、それに比べたら凄いことだと思うんです」
その瞬間、空気がピシリと音を立てて凍った。
ファングは顔の中心に皺を寄せ、エラは頬を引き攣らせ、ユリウスは能面のような顔をしている。
三者三様の反応は、明らかにライリーの発言に不満を示していた。
迂闊な発言はしていないはずだが、三人の顔を見て、ライリーはぎくりと肩を揺らす。
どこが気に障ったのかさっぱりわからないため、謝りようもない。
「えっと……」
「ああ、ごめんね。ライリーの疑問はわかるよ。でも、あの人たちと一緒にされたくなくてね」
「あの人たちって、フィッツジェラルド伯爵とヒーリー男爵のことですか?」
ライリーは頭の中で孔雀のような服を着た男を思い浮かべた。
フィッツジェラルド伯爵はハルデランの領主で、ヒーリー男爵はその隣の領地を治めている。
年に数回、不定期で孤児院に現れる彼らは、憂さ晴らしをするように現れたかと思うと、最後に嫌味を吐きながら少額の寄付をして帰っていく。
人を人とも思っていない態度に腹が立つ。
未だに怒りは収まらず、ライリーは反骨精神で目に焼き付けた彼らの顔をよく覚えていた。
貴族名鑑で彼らの名前を見つけた時、そのページを破り粉々にしてやろうかと思ったくらい、負の感情を持っているのだ。
「そうよ。彼らはね。悪事という悪事には手を染めていないのだけど、領地に重い税をかけ贅沢三昧しているの」
「貴族の風上にも置けない奴らだ。貴族を名乗る資格もない」
エラもユリウスも、彼らの顔を思い出したんだろう。
苦虫を噛み潰したような顔をしながら、こめかみに青筋を浮かばせている。
ライリーが嫌っていたフィッツジェラルド伯爵とヒーリー男爵は、貴族の間でも嫌悪の対象のようだ。
不快感を露わにしている二人に対し、ファングは瞬時に顔を元の柔らかな表情に戻した。
そして、何事かを思案するように窓の外を見やる。
窓の外では、クスノキの葉が爽籟に吹かれている。
冬でも葉を落とさないクスノキは、寒さに負けず、風に立ち向かっているようにも見えた。
ファングは軽く息を吐く。
そして、ライリーと真っ直ぐに相対し、柔らかくも凛々しい表情でライリーを見つめてきた。
「貴族は社会の模範となるように振る舞うべきだ。そして、与えられた地位に奢ることなく、領民の、大きく考えれば国民の幸せのために奉仕する。それが貴族の義務であり、誇りなんだよ。残念ながら、貴族がなんたるかを履き違えている輩もいるけどね」
ファングの言葉には、音以上の重みがある。
貴族とは何なのか。
それを教えてもらったのだ。
短い説明ながら、それはライリーの心に衝撃を与えた。
貴族はすべからく胸糞の悪いやつらだと唾を吐いていた。
しかし、その考えを覆すほど、ユリウスとファング、エラは『良い貴族』だ。
それはきっと、彼らの主人たる王家の者もそうなんだろう。
貴族の誇りを知ったライリーは、翌日に開かれたドハティ公爵とのお茶会で、予想が的中していたことを確信した。
王とは、貴族とは、国がより良い未来へ進むために、最善の道へと舵を切り、国民に奉仕する。
国を豊かにすることこそが使命。
そのために、まずは代え難い宝である国民を大切にする。
健康に生きていくために、健全な子どもの育成と教育、職の斡旋、生活の保護が必要だと考えている王は、犯罪に手を染め、政の進行を妨害する貴族たちを粛清した後、これまで妨害されて為すことのできなかった政策をすぐさま実行に移す考えのようだ。
「国民には申し訳ないことをしている。だからこそ、ミカエラの成人の儀を機に変えなければならない。今がまさに正念場なんだ」
そう微笑むドハティ公爵の目には、決意が漲っていた。
その気迫はライリーを圧倒する。
自然と背筋が伸び、膝に置いた拳に力が入った。
(ああ、この人は……この人たちは……)
まさに国のために、国民のために為すべきことを為す者たちだ。
王族だから、貴族だからと嫌悪していた。
憎い相手だと思っていた。
しかし、それは誤りだ。
彼らはライリーと変わらない血の通った人間であり、ライリーと同じように喜んだり悲しんだりする。
家族を想い、仲間を想う。
そして、顔も知らぬ国民をも想う。
大なり小なり悪事を働く者はおり、それと同じくらい善人もいる。
そこに貴族や平民などの身分は関係ないのだ。
そして、憎悪の対象だった冒険者も然り。
その者の身分や所属で判断するのではなく、個人の考えや行動で判断する。
そうすれば、これまで見えてこなかったものが見えてくる。
認識ひとつで世界が変わる。
それを理解した瞬間、ライリーは世界の広がりを感じた。
どこまでも広がる世界は、知らないことに満ちている。
ライリーは驚きと同時に、自身の視野の狭さと無知を恥じた。
(俺、本当に狭い世界で生きていたんだな)
変わることができたのは、ドハティ公爵やファング、エラのおかげだ。
彼らが気付かせてくれた。
しかし、最初のきっかけはユリウスだ。
彼が生まれてきた環境も身分も関係なくライリーと接してくれたからこそ、今このタイミングで変われたのだ。
「無知は恥ずべきことではない。広く世を知り賢く生きる術を国民に与える役割が国であり、そうするために今私たちは動いているんだ。ライリー。君も、その歯車のひとつだよ。そして、私たちが守るべき民だ」
ドハティ公爵は、その大きな手で膝の上で握られたライリーの拳を包み込んだ。
その温かい手から、確かな想いが伝わってくる。
流れに逆らえず、仕方なく引き受けた影武者の仕事だった。
ユリウスをはじめとする影たちと交流するようになり、強引ともいえる契約で生まれた澱を少しずつ消していく日々。
それでも、押し付けられた仕事だからと、どこかで他人事のように感じていた自分がいた。
しかし、今、この瞬間。
(俺がやるべきことが、ハルデランにいる家族のためにもなる。俺が、この人たちと一緒に、この国を変えるんだ)
心臓が激しく燃え上がった。
流されていただけの自分はもういない。
ドハティ公爵の言葉で、影を真に信用することができたライリーは、自分自身の意思で影武者になることを決意した。
「はい」
その決意は、ドハティ公爵にしっかりと伝わった。
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