第33話 髪飾り
どこに向かっているかはわからない。
しかし、ライリーに不安はなかった。
ユリウスの隣に並ぶと、さりげなく人通りが少ない街道の端に寄せられ、対向から人が来ればユリウスが半歩先を歩いて道を作ってくれる。
ライリーを気遣った紳士的な対応に、申し訳なく思うと同時に、胸の奥がくすぐられた。
ユリウスのとっておきの場所。
それは、平民街の一角にある、王都の中でも王城の次に高さがある時計台だった。
時計台には、展望台がある。
展望台といっても、元々は時計台のメンテナンスのための空間で、王都の住民や観光客からの要望で一般開放する運びとなったようだ。
だが、展望台への道のりは少々険しい。
階段は管理者仕様のままだ。
「段差あるから気をつけろよ」
「うん。って、一段が高いな」
「だからそんなに人いないんだよ」
「なるほどな」
一段は高いが、慣れてしまえばこっちのものだ。
体を鍛えているライリーは、軽快に階段を登っていく。
登り切ると、まずは天井に視線を奪われた。
天井には、時計を動かす歯車と時刻を知らせる大きな鐘、原動力となっている魔石が設置されている。
カチカチと金属音が響く機械室に圧倒されていたライリーの背を押したのは、他の誰でもない、ユリウスだ。
ユリウスが展望台と案内の紙が貼ってあるドアを開けると、少し冷たくて柔らかい風がライリーの頬を撫でた。
差し込んだ光に目を細めながら、ユリウスの背中を追いかける。
「さあ、これが王都だ」
機械室のドアを潜ると、ライリーとユリウスの存在に驚いた白い鳥が一斉に飛び立った。
雪のように羽が舞い散る。
ユリウスに手を引かれて展望台の欄干まで行けば、夕日に照らされた王都が一望できた。
オレンジ色と黄色で統一された平民街の街並み。
そこから王城に向かって段々と建物が白っぽくなっていく。
暖色のグラデーションは美しく、ライリーは感嘆の声を上げた。
「うわぁ……」
「王都に着いた日、ちょっとしか見ていないだろ」
目を輝かせながら景色を楽しむライリーに、ユリウスはどこに何があるのかを指差して教えてくれた。
王都は、王城の周りを守るように貴族街が、その周りに平民街が広がっている。
貴族街と平民街の行き来は制限されていないが、棲み分けがしっかりとされているためか、貴族が平民街へ、平民が貴族街へ行くことはほとんどないという。
ユリウスは気取った貴族街よりも、賑やかな平民街の方が好きらしい。
展望台は、機体室を中心に全方向が見渡せるようになっている。
そこをぐるっと一周すると、ライリーとユリウスは西側の欄干に寄りかかり、沈みゆく太陽と王都の街並みを眺めた。
地上の喧騒は遠い。
風の音は、静かな音楽のように思えた。
「ライリー、これ」
「え、何?」
不意に、ユリウスがアイボリーの布袋を差し出してきた。
ライリーは反射で受け取り、それを観察する。
手のひらにのった袋。
中には、コロンとした小さな何かが入っている。
「開けてみて」
ユリウスに促され、ライリー布袋の紐を解いて口を開け、中に入っていたものを取り出した。
「髪留め?」
手の中にあるのは、丸くて赤いアバロンシェルがついた髪留めだ。
自然の産物であるそれは中に美しい流線が波打っており、手を動かして角度を変えるたび、太陽の光を受けて煌めいた。
その美しさに、ライリーは何度も光を反射させる。
「殿下に合わせて髪を伸ばしているが、普段は邪魔だろう。それで括ればいい」
「ありがとう! 今つけてもいい?」
「もちろん」
ライリーはユリウスの言葉に甘え、その場で髪を結ぼうとした。
髪をかき集めて輪に通す。
これを繰り返せばいいのだが、何故か上手くいかない。
チビたちの髪は束ねるのは得意なはずだが、自分の髪だと不思議なことに勝手が違う。
髪を結んだ姿を早くユリウスに見てもらいたい。
その気持ちが逸り、後ろに回した手の動きが鈍くなっていく。
「あれ、おかしいな。自分でやると難しい」
「貸して」
結ぶのに苦戦していると、見かねたユリウスがひょいと髪留めをライリーの手から抜き取った。
ライリーの背後に立ったユリウス。
その広げられた五本の指が、ライリーの伸びた髪を梳く。
きゅっと束ねられた髪は素早く一纏めにされ、ライリーの後頭部に赤い輝きがはめ込まれた。
ユリウスの手が、ライリーの髪から離れる。
ライリーは後ろを振り返り、頬を緩めた。
「ありがとう」
「どういたしまして。うん、似合っている」
ゆっくりと伸びたユリウスの腕。
ユリウスの指先が、するりとライリーの髪束を撫でた。
夕日に照らされたユリウスの微笑んだ顔は、とても赤い。
驚くほど柔らかな表情に、ライリーの鼓動が震えた。
ライリーの心に、ユリウスの優しさが燦々と降り、小さな温もりが芽吹く。
(なんだ、これ……)
胸が締め付けられるようだ。
しかし、嫌ではない。
じんわりと広がる熱は、むしろ心地良い。
このまま優しさの海を揺蕩っていたい。
惚けたライリーを正気に戻したのは、夕刻を知らせる鐘の音だ。
鐘のすぐそばにいたライリーは、突然の轟音に飛び上がった。
「びっ……くりしたぁ」
「ははっ俺も」
からりと笑ったユリウスは、ライリーほど驚いてはいなかった。
ライリーは、自分だけが思い切り体を反応させたことが恥ずかしくなり、貰ったばかりの髪飾りに手を伸ばす。
触れていると、気持ちが鎮まるような気がするのだ。
「それにしても、本当器用だな」
「器用貧乏なんだよ」
ライリーの言葉に、ユリウスは肩を竦めた。
その顔に謙遜の色はなく、本気でそう思っているようだが、解せない。
「嘘つけ。なんでも完璧にできるくせに」
「お褒めの言葉どうも。さて、そろそろ晩飯の時間だし帰るか」
ユリウスが空を見上げる。
太陽は急ぐように西の地平線へと沈んでいく。
橙から藍へと色を変える空には、ぽつりぽつりと星が瞬き始めていた。
今日最後の鐘が鳴り終わった今、街は夜へと姿を変えていく。
「あんだけ食ったのにまた食うのか? 俺はもう入らない」
ライリーの腹には、食べ歩きをしたものがまだ残っているような感覚がある。
ケイトには申し訳ないが、晩御飯は完食できないだろう。
「そうか? まだ入るぞ」
「この大喰らいめ……」
首を傾げるユリウスに、ライリーは呆れ顔を向ける。
しかし、頭の上に疑問符を浮かべるユリウスの姿に笑いが込み上げてきた。
「ちょっ……何、その顔! あははは!」
「なっ……んで笑うんっだよ……!」
「ユリウスだって笑ってんじゃん」
じわじわとライリーの笑いが移ったのだろう。
最初は堪えるように笑っていたユリウスも、次第に声を上げて笑い出す。
ライリーとユリウスはしばらく誰もいない展望台で笑い転げた後、腹筋をプルプルと震わせたまま、階段を降りていった。
地上には、ぽつりぽつりと暖色の光が浮かび上がり、街道を明るく照らしている。
人通りは少なくなったが、平民街はまだ賑わっていた。
それを眺め、心を弾ませながらユリウスの隣を歩く。
心地良い夜の風が、帰路につくライリーとユリウスを優しく包み込んだ。
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