第32話 ユリウスの知己
玩具屋を出ると、陽が傾きつつあった。
そんなに時間は経っていないと思っていたが、意外と買い物に時間を費やしていたようだ。
とはいえ、帰宅の時間には余裕がある。
あてのない散策だ。
何も慌てることはない。
今度はどの道を行こうか、何を見て回るか考えていると、不意にユリウスが問いかけてきた。
「自分に何か買わないのか?」
「自分に? あぁ……考えてなかった。見てるだけで楽しいし」
見るもの聞くものすべてが新鮮で、孤児院にいる家族に贈り物も買えた。
贈り物を受け取った時の、チビたちの顔を想像するだけで、ライリーは幸せな気持ちになる。
この後、目的地もなく歩くだけになったとしても、それでいい。
これ以上、望むことはないのだ。
ユリウスが小さく呟く。
しかし、それは真横を通った子どもの笑い声でかき消され、ライリーは聞き取ることができなかった。
(大事なことを聞きそびれた気がする)
何を言ったのか聞こうと口を開きかけた時、人混みの向こうからユリウスを呼ぶ声が響いた。
「ユリウス!」
「ダニエル」
はっと顔を上げたユリウスは、声の主を見るやいなや、ライリーが見たこともない笑顔を浮かべた。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
「ああ、お前も元気そうだな」
ユリウスと親愛のハグをしたのは、彼と同じくらい上背のある男だ。
藍色の短髪は横を刈り上げており、野生味のある顔を引き立てている。
目は、凛とした顔立ちのユリウスとどこか似ていた。
冒険者の格好をしているが、立ち振る舞いや肌の質感から、よく見るとどこかの貴族がお忍びで平民街に来ていることがわかる。
一般の庶民から見るとただの平民の男だろうが、服の上からでもわかる逞しい肉体と、男の色気がある顔立ちに、行き交う男女から羨望の視線が飛んできている。
それをまったく気にしていない豪胆なところも、きっと彼の魅力のひとつなんだろう。
(だっ……誰?)
突然現れた、ほんの少しだけユリウスに似ている男。
その存在に戸惑うライリーに、彼はニカっと子どものように笑った。
「遊んでいるところ悪かったな。俺はユリウスのはとこ、ダニエル・ヘルシャスールだ」
「らっ……ライリーです」
圧倒的な存在感と押しの強さに負け、差し出された手に手を重ねる。
すると、がしりと強く掴まれ、腕がブンッとなるほど振り回された。
弾けるような笑顔と、澄んた空色の瞳。
ダニエルに悪気はまったくないのは、どこからどう見ても明らかだ。
見た目の迫力と有り余る元気、人懐っこさは、大型犬と似通っている。
豪快で気さくなところを見ると、人に好かれるタイプなんだろう。
その分、言動の勢いはまさしく奔流。
影たちと過ごすうち、陽気で押しが強いコミュニケーションには慣れたつもりだったが、やはり初対面の相手では、ライリーの人見知りが遺憾無く発揮されてしまった。
暑くもないのに、ライリーの手のひらに汗が滲む。
ユリウスの親族であろうダニエルに失礼な態度を取ってしまった。
不快にしてしまったかもしれない。
戸惑いと不安は、ブレーキが壊れたまま頭の中をぐるぐると回る。
「やっぱり、君がそうか」
ライリーの一歩引いた態度を気にすることなく、ダニエルはライリーの顔をじっと見てくる。
「えっと」
「大丈夫だ。こいつも俺たちと同じだ。だから俺がこの顔でも俺だと気付いたんだ」
「そうなんだ」
ユリウスが小声で耳打ちをする。
はっきりとは言わないが、その内容からダニエルも影の一員であることがわかった。
なるほど、どうりで押しが強いわけだ。
ユリウスは人見知りを発動しているライリーを気遣ってか、ライリーの体半分を自身の体で隠し、ダニエルがライリーにぐいぐいと迫っていかないように立ってくれた。
さりげない対応に、ユリウスの優しさがじわりと伝わってくる。
おかげで、ライリーの戸惑いと不安は無事に止まることができた。
「今日はまたなんで王都に? 辺境伯様はいつだって忙しいんだろう」
「辺境伯……あっ」
ユリウスの小声で発せられる言葉で、ライリーはダニエルが何者であるか思い出した。
頭の中にある貴族名鑑を引っ張り出し、該当のページを捲る。
ダニエルの顔は、つい最近見たばかりだ。
ダニエル・ヘルシャスール辺境伯。
彼が統率するヘルシャスール辺境騎士団は北の国境を守り、その規模は国の騎士団に次ぐ。
二年前に彼が爵位を継いでからは、冒険者ギルドと連携して魔獣の討伐遠征もしているようだ。
国内外の評判も良く、領地内も他と比べて治安が良いことから、その領地へと転居する者もいることが調査で明らかになっている。
貴族の顔と名前を教えるとき、ユリウスから説明を受けた内容が他の貴族より詳細だったのは、血縁関係があったからのようだ。
「王都に定期報告だよ。冬は雪で来れなくなるからその前に。あーあ、お前がいたら一緒に旅できたのにな。王城に取られたのは痛手だよ」
「もう何年前の話をしているんだ」
「たった七年前だろ。いつか絶対に俺の領地に連れて帰る」
「無理だろう」
「どうにかするさ」
不敵に口角を上げるダニエルは、今にも発火しそうなほどメラメラと闘志を燃やしていた。
ユリウスは呆れて肩をすくめ、ダニエルの話を右から左へと流している。
ユリウスは王城に仕える近衛騎士で、影の構成員だ。
それがなぜ、辺境に連れて帰るという話になるんだろうか。
事情がわからないライリーは、完全に蚊帳の外だ。
今のライリーは、二人にとって行き交う人々の中の一人に成り下がっていた。
ライリーが物怖じせず話に入っていけばいいだけなのだが、そんな勇気もない。
分厚い城壁に阻まれたような疎外感は、胸の奥に爪を立てる。
少し引いたところで二人の会話を聞いていると、ユリウスがはたと振り返った。
「すまん、話が見えないよな。俺、子どものころは行儀見習いでダニエルの家にいて、ダニエルの従僕もしていたんだ」
「へ、え……?」
ライリーは貴族が子ども時代にどう過ごすのか知らないため、貴族が貴族に従僕として仕えること自体が初耳だ。
ユリウスが従僕をしている姿を思い浮かべようとしたが、今のユリウスには従僕の気配は一片もなく、すぐに挫折してしまった。
しかし、今まで抱えていた疑問も解消される。
従僕の経験があったからこそ、ライリーのボディケアなどが完璧にできるのだ。
納得と同時に、俄然、興味が湧いてきた。
従僕だったころのユリウスはどんな少年だったのだろうか。
もっと凄いイタズラをしていたのか。
それとも、従僕の本分をまっとうしていたのか。
それを察したのだろう。
ダニエルは上機嫌で昔話を話し始めた。
「最初はちっこくて可愛かったんだぜ。俺が剣術習っているの見て、自分でこっそり練習しててよ。俺の親父に見られて凄い慌ててやんの。で、剣の腕があるからって従僕しつつ、将来はうちの辺境騎士団に入ってもらうつもりだったのにさ」
「昔のことだ。もういいだろ」
「いいや! 俺はお前を取り戻すまでずっと言い続けるぞ。いやね、成人前まで貴族学校に通ってたんだけどさ。卒業半年前にあった騎士団長の視察で目を付けられたらしくて、王城に掠め取られたんだよ。俺のユリウスだったのに!」
「お前のじゃない」
「連れないこと言うなよぉ」
ダニエルはユリウスの肩をがっしりと抱き、手で目元を覆いながらおいおいと泣きまねをする。
ユリウスはヒルのようにへばりついたダニエルを引き剥がそうと、肩に置かれた手を掴んだが、良き幼馴染、良き友人、良き同僚として求められていることは、満更でもないようだ。
突然、道端で始まった喜劇に、人々はくすくすと笑って通り過ぎていく。
傍から見れば、微笑ましい光景だろう。
しかし、ライリーは苛立っていた。
ユリウスの実家のことは、この二ヶ月の間に掻い摘んで聞いている。
ダウリング子爵家はサニーラルン国の東側、タンガル地方を治めており、領地の北側にあるタンガル山地から採れる魔鉱石が特産のため、子爵としては裕福だ。
家族は両親と兄が二人、すでに嫁いでいる姉が二人。
末っ子のため、多少の悪戯は許されていたことから、今もその悪癖が抜けないという。
これはユリウス本人から聞いた話だからいい。
だが、血縁とはいえ、ダニエルからユリウスの幼少期の話を聞くのは何故か嫌だった。
ライリーが見聞きすることは決してできない子ども時代の話を他人から聞かされると、胸の奥がチリチリと焦げつく。
無性にイライラする。
気に障る。
こんな感情を持つのは初めてだった。
ユリウスの幼少期のことを知りたい。
そう思ったのは間違いなくライリーのはずなのに、真っ黒で醜い感情がライリーを絡め取っていく。
(早くユリウスから離れろ!)
危うくそんな暴言が飛び出しそうになった時、ようやくユリウスがうんざりした様子で肩に乗ったダニエルの腕を払いのけた。
「うるさい。それより時間はいいのか。どこかに行くところだったんじゃないのか?」
ユリウスに指摘され、ダニエルは腰に巻いたバッグから時計を取り出し、その文字盤を見てベチッと大袈裟に額を叩いた。
まるでサーカスの道化師だ。
その様子は、相変わらず通行人の視線を掻っ攫っている。
「おっとそうだった。愛しの子猫ちゃんに土産を買うところだったんだ。またな。次の帰省のついでにうちにも寄れよ」
「そのうちな」
「ライリーも、またな」
「はい、また」
ダニエルは大きく手を振ると、慌てた様子で人混みの中に消えていった。
途端に、街のざわめきが戻ってくる。
嵐のようなダニエルがいなくなっても、ライリーの胸の内は荒れ狂っていた。
「騒がしくてすまない。ああいうやつなんだ。結婚して落ち着いたと思ったんだが……」
「いや、随分仲がいいんだな」
「そりゃあ七歳から成人するまで一緒だったしな」
「へえ」
理不尽な八つ当たりだとわかっている。
しかし、胸に渦巻く例えようのない暗い感情が、ユリウスにそっけない態度を取ってしまうのだ。
「おい、どうした。体調悪いのか?」
その挙句、体調を心配されることになり、ライリーは自分が情けなくなった。
自分の機嫌も取れないなんて、みっともないにも程がある。
せっかくの外出なのだ。
ユリウスには楽しい気分のままでいてほしい。
気持ちを切り替えなければ。
ライリーは視線をユリウスの、そのまた後ろへと投げる。
足早に通り過ぎる行商人。
店の軒先で客を呼び込んでいる売り子。
手を繋ぎながら歩いている親子連れ。
あちこちから聞こえる笑い声。
少し視線を上げると、ずらりと並ぶ黄色の壁が陽光に照らされて煌めいているのが目に入った。
ライリーはそれを眺め、深呼吸して気持ちを落ち着かる。
胸に燻っていた靄がぱっと霧散した。
「大丈夫だ」
「久しぶりに人が多いところに来たから疲れたよな。とっておきの場所がある。そこに行こう」
ユリウスはふわりと微笑むと、手招きをして歩き出した。
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