第30話 ドハティ公爵の訪問
ライリーが王都に来て二ヶ月が経った。
五日間の訓練、一日の休みを繰り返していると、時が過ぎるのはあっという間だ。
気がつけば年に一度の大嵐の季節が過ぎ去り、秋になっていた。
朝は肌寒く、日中も長袖を着ることが多い。
これからは、冬に向かってどんどん寒くなっていく。
ミカエラの成人の儀はすぐそこのように感じるが、ライリーに焦りはない。
教師役であるユリウスがライリーを急かすことはなく、つまり、影武者になるための準備は順調に進んでいるということだ。
ユリウスをはじめ、影たちに支えられながら、ライリーは楽しくも忙しい日々を送っていた。
トレーをテーブルに運び、豪華な食事に腹を鳴らす。
早く食べたい気持ちを抑え、カウンターでケイトと話すユリウスを今か今かと待っていると、ようやくユリウスがテーブルにやってきた。
食堂に来た時とは打って変わって、ユリウスは神妙な面持ちをしている。
「どうした?」
「あと一刻半で、ドハティ公爵閣下がライリーに会いに来る」
衝撃的なユリウスの言葉に、ライリーはぽかんと口を開けて固まった。
ドハティ公爵は、王弟としての公務で多忙を極めていると聞く。
影の頭目として、ライリーの訓練の進捗状況はユリウスから報告を受けているが、実際にチェックしたい。
しかし、しばらくは様子を見に行けないとの連絡は、ユリウスを通じて受けていた。
それが、今日これから来るという。
(ドハティ公爵閣下の訪問って、影たちの得意技、サプライズじゃないよね?)
忙しい身の彼が、まさか流石にそんなことはしないだろう。
どうにか時間を捻出してくれたに違いない。
「わかった」
「お茶会形式でマナーもチェックするそうだ。ドハティ公爵閣下の姿が見えたら、ライリーはミカエラ殿下だ」
「了解」
そうとなれば、まずは腹ごしらえだ。
ミカエラがサプライズで来た時に比べると、予告された分、緊張はあれど心に余裕がある。
(よし、やるぞ!)
用意された朝食をすべて食べ終わると、ライリーは早速準備に取り掛かった。
先触れのあった時刻、サロンの一席。
ソファに座るのは、ドハティ公爵その人だ。
「やあ、久しぶりだね」
陽光に煌めくプラチナブロンドは後ろで一つに結ばれ、蜂蜜色の瞳はライリーの一挙手一投足をつぶさに観察している。
すでに、訓練成果のチェックは始まっているのだ。
穴が開くほど見られ緊張するが、ライリーの後ろにはユリウスがいてくれる。
ユリウスが見守ってくれていると思うだけで安心し、力が湧いてくるのだ。
「お久しぶりです、叔父上」
ライリーは胸に手を当てて腰を折り、目上の者に対する礼をする。
そして、優雅に体を起こすと同時に、ミカエラの溌剌とした笑顔を意識しながら破顔すると、それを見たドハティ公爵は微笑んで頷いた。
まずまずの滑り出しだ。
「元気そうでなにより。さあ、座って。せっかくの紅茶が冷めてしまう」
ドハティ公爵に促され、ライリーはソファに座った。
紅茶を勧められたが、食事の席でも年長者が優先される。
彼が紅茶を飲んでから、ライリーもカップのハンドルを掴み、紅茶を口にした。
「勉強はどうだい?」
「ユリウスの教え方が上手くて、順調に進んでいますよ」
「じゃあ、復習といこうか。アシュリーン女王の最大の功績は?」
早速の教養テストに、ライリーは膝の上に置いた拳にグッと力を入れた。
そして、脳内の図書館のドアを開放し、該当の情報を探していく。
アシュリーン女王。
彼女は二十八代目の王で、四人目の女王だ。
国政では福祉に力を入れ、外交では巧みな話術で周辺国と友好を深めた賢王。
その最大の功績といえば……。
「治水工事です。サニーラルンの北東から南西に流れるバルン川は、毎年、夏から秋の嵐の季節に氾濫する。それを防ぐため、国家事業として治水工事を実施。それ以来、バルン川は一度も氾濫していません」
「正解。お疲れさま、楽にしていいよ」
「ありがとうございます」
ドハティ公爵の言葉で、ライリーはミカエラの模倣を解いた。
常に笑顔で、それでいてコロコロと表情が変わるミカエラになりきるのは、中々に頬が疲れる。
ドハティ公爵と同席していることに変わりなく、完全に気を抜くことはできないが、ライリーは膨らませた緊張の風船から少しだけ空気を抜いた。
「ユリウスもこっちへおいで」
「はい」
ユリウスはライリーの隣に着席する。
そして、断りを入れてから紅茶を飲んだ。
ユリウスもライリー同様、緊張していたらしい。
(そうか。俺のテストであると同時に、ユリウスの仕事もチェックされていたのか)
どうりでいつもと様子が違うわけだ。
ライリーは今更ながら、今日のテストの裏を察して頷いた。
「二人とも頑張っているね。ライリーの教養は満点。模倣はあと少しだけど、マナーは完璧。ユリウスも、ライリーに上手く教えているようだ。これからもその調子で頑張ってほしい」
「はい、ありがとうございます」
「御意」
二ヶ月の成果を褒められると、胸が温かくなる。
今にも跳び上がりたいほど嬉しい。
短く言葉を返したユリウスも頬を緩ませている。
ドハティ公爵は茶菓子として添えられていたフィナンシェを上品に食べ、また紅茶を飲む。
ユリウスとは違った品の良さに、ライリーは不躾ながら、彼をさりげなく観察する。
これもまた、勉強だ。
「ライリーは覚えがいいね。あと半年したら手放さなければならないのが惜しいよ」
ライリーに向けられた視線。
蜂蜜色の瞳が、欲を灯したように見えた。
彼が本気を出せば、ライリーを影に引き込むことは息をするより簡単なことだ。
あの契約がなければ、近い未来、本当にそうなっていただろう。
(こ、こわっ……怖すぎる!)
平静を装っているが、心の中はパニック状態だ。
「ありがとうございます」
なんとか返事をし、紅茶を飲むと同時に喉に詰まった生唾を嚥下する。
動揺を隠しきれたかは定かではないが、ドハティ公爵が気にした様子はなく、ライリーは小さく胸を撫で下ろした。
「そうだ。この二ヶ月ここに篭りっきりだろう。お小遣いをあげるから遊びに行っておいで。今年はどこも豊作だったようでね。美味しいものをたくさん食べておいで」
ドハティ公爵は極上の笑みを浮かべると、懐からじゃらりと音のする重そうな革袋を取り出し、ライリーとユリウスに差し出した。
「これは……」
「じゃあ、また来るね」
ライリーの疑問を聞き流し、ドハティ公爵は颯爽と立ち去っていく。
その背中を追いかけようとしたが、はたと気付いて止めた。
彼は多忙の身。
引き留めるのは迷惑になる。
ライリーはユリウスと顔を見合わせ、そしてテーブルの上の革袋へと視線を移した。
「どうする、これ」
「ありがたく使わせてもらおう」
「じゃあ、お礼の連絡よろしく」
「もちろん。直接は次の機会に、だな」
「そうだね」
ありがたく小遣いを受け取ることとし、見るからに大金が入っている革袋はユリウスに預かってもらった。
庶民にとって多額の金は慣れないもので、逆に恐怖すら感じてしまうからだ。
とはいえ、外出は楽しみで仕方がない。
次の休みに王都散策をすると決めてからその当日まで、ライリーは誰から見ても浮き足立っていた。
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