第15話 契約成立
「というわけでね、ライリー君。君にはミカエラの影武者をしてもらいたい」
ドハティ公爵は、支配者の目でライリーを射抜いた。
彼からの視線だけではない。
ライリーと対峙している全員が、その目をしている。
――ああ、これは。
気圧されて頷く寸前で、ライリーはそれをグッと堪えた。
わかっていても、聞かずにはいられないのだ。
「念のためお伺いします。拒否権というのは……」
「ごめんね、ないよ」
そうだろうとも。
ここに連れてこられた経緯を考えれば、それも予想がついて当然だ。
ライリーのような平民に、絶対的な権力を持つ彼らに抗う術はない。
「その代わり謝礼は弾むよ。命の危険もあるからね。それに、現王は孤児院を国営化する考えだ。今回の計画が成功して権力に群がる膿みを出し切ったら、すぐにでもすべての孤児院を国営化して、そこにいる子どもたちを救うと誓うよ」
諦めを込めたため息をつけば、ドハティ公爵は蜂蜜のように甘い言葉でライリーを宥める。
手段を選ばない横暴なやり方と、不釣り合いな提言。
「なぜそこまでして孤児院の国営化を進めるのですか」
それは、ライリーがこの件に一枚噛むからなのか。
それとも偽善か。
「国は民なしでは成り立たず、子は宝だからだ。それをわかっていない蛆虫どもが議会で反対してね。本当、邪魔なんだよねぇ」
そして、ドハティ公爵は再びあの恐ろしい顔をした。
蜂蜜色の瞳は凍りつきそうなほど冷たく、心底忌々しげに吐き捨てるくせに、その顔は朗らかに笑っている。
二度目だろうと何だろうと、この顔と気迫は原始的な恐怖を掻き立てる。
この類の人間は、絶対に敵に回してはいけない。
ライリーは歯が鳴りそうになるのを必死に隠し、乾いた唇を舐めた。
「わかりました。お受けいたします」
「それはよかった。では、こちらが契約書だ。魔術契約書になっている」
ドハティ公爵が懐から何かを取り出す。
テーブルの上で広げられ、ライリーに差し出されたのは羊皮紙だ。
魔術契約書とは魔術の属性を司る火・水・風・土の四大精霊に誓うもので、内容を破ると契約書で定めたペナルティが科される。
国家間の同盟や条約ではよく使われると聞くが、例えば商売の取引契約では使わない。
知識としてはあるが、魔術契約書を見るのは初めてだ。
場違いな好奇心が膨らんでくるが、今はそんなことをしている場合ではない。
それを抑えつつ、ライリーは契約書に目を通した。
影武者の任務期間は約九ヶ月後のミカエラの成人の儀の翌日まで。
それまでに王族としての振る舞いやマナー、知識を教えてもらう。
リスク回避のため、対人戦闘の訓練や、予想される毒への耐性付けも含まれている。
そして、報奨金は目が飛び出るほどの金額だった。
ライリーが農場で一生働いて稼ぐ金額の倍以上ある。
それだけ危険だということだ。
そして最後の一文には、ドハティ公爵が言っていた孤児院の国営化についても記載があった。
契約違反した場合については、死を持ってと書いてある。
だが、足りない。
貴人に意見するのは烏滸がましいにも程があるが、しかし譲れないものがある。
「三つ、付け加えてもいいですか」
「なんだい?」
「ひとつ。私がもし死んだら、実の両親と同じ場所に墓を作ってください。ふたつ。死んだことは孤児院には知らせず、私の代わりに定期的に手紙を送ること。三つ。私がいただくはずだった報奨金は孤児院に全額を手紙と一緒に分割で寄付してください」
これは譲れない。
ドハティ公爵の話を最後まで聞いたとき、ライリーは死を覚悟した。
死ぬのは怖い。
まだ死にたくない。
冒険者になって魔獣や嫉妬した他の冒険者たちに襲われたりもしたが、冒険者になろうと思ってから覚悟する時間は十分にあった。
しかし、今回は自分で選んだ道ではない。
突然、命がかかった仕事を任され、「はいわかりました」と納得できるわけがないのだ。
だが、この状況から逃げられないのであれば仕方がない。
元からあった死への覚悟。
その方向性を少しずらせばいいだけのことだ。
諦めと一緒に受け入れればいいだけの話である。
そして、ライリーが死んだとわかれば、義母は送り出した自分のせいだと思い、自責の念に苛まれるだろう。
孤児院にいるチビたちも、ただ離れるより悲しむに違いない。
それならいっそ、王都で本当の家族と幸せに暮らしていると偽ったほうが何倍もマシだ。
ライリーの要求に、ドハティ公爵はおろかこの場にいる全員が顔を曇らせた。
それは、ライリーにとって不可解極まりない事態だ。
死ぬかもしれないことをやらせるために連れてきておいて、この空気は一体……?
「我々は君を死なせるつもりはないよ」
「もちろん私もそのつもりです。しかし、万が一がありますから、そのための追加事項です」
「……わかった、付け加えるよ」
ドハティ公爵はしばらく考えたのち、羽ペンを手に取った。
さらさらと流れるようにライリーが提案した追加事項を書き加えると、再びライリーに提示する。
ライリーは再度一から順に目を通し、それから何度も確認し、ライリーにとって不都合がないか確認していく。
(うん、大丈夫だ)
この任務自体が不都合以外の何物でもないが、契約内容に不備はない。
ライリーは頷き、顔を上げた。
「契約するにはどうすればいいのでしょうか」
「異論がなければ一番下に署名と血判を押してくれ」
「わかりました」
差し出された羽ペンで自分の名前を書き、腰に差していた短刀で左の親指を切り、名前の隣に押印する。
切った指はじくじくと痛んだが、この状況に気が高ぶっているのか気になるほどではない。
エラが布を差し出してきてくれたので、ありがたく受け取り止血に使った。
ライリーが契約書をドハティ公爵に返すと、彼はライリーが署名した横に署名指印する。
すると、羊皮紙の文字が仄かに明滅した。
これで契約完了のようだ。
ドハティ公爵は、羊皮紙を手早く丸め、再びその懐に納めた。
「これで契約は成った。改めてよろしくね、ライリーくん」
「よろしくお願いします」
「さて、長旅で疲れただろう。今日明日は休みとするから、私の王都内の屋敷で養生してほしい」
「ありがとうございます」
「ユリウス、頼むよ」
「御意」
ドハティ公爵がユリウスにそう指示すると、ユリウスは右膝をつき左手を胸に当てて敬礼した。
その顔は真面目の一言につき、昨日から今日まで過ごした中で見たことのない表情だ。
(へぇ……。ちゃんと真剣な顔もできるんだ)
思わず感心してしまったが、よくよく考えればユリウスは貴族で、第二王子付きの近衛騎士だ。
真面目な顔は当然のことだろう。
「いつもの悪い癖は発揮しないように」
「手遅れです。方向性は違いますがいつもより酷いです」
「おや、それはそれは」
ファングの報告にくっと喉を鳴らすドハティ公爵や苦笑しながらライリーを哀れみの目で見る王子たちを見ると、あの揶揄うような態度はいつものことのようだ。
方向性が違うというが、いつもの方向性だとどうなっていたのか気になるところではある。
いや、やはり怖いから知りたくない。
ちらりとユリウスを見ると、彼は真顔のままだ。
しかし、僅かに目が伏せられている。
気不味いような、不満そうな。
そんな感情が顔に滲み出ていた。
それも一瞬のこと。
ユリウスは感情のない真顔に戻ると、視線でライリーにソファから立つよう促してきた。
「御前、失礼します」
ライリーは公爵閣下や王子たちに一礼すると、ユリウスの後を追い、隠し通路に入っていく。
後ろを振り返るが、ライリーの後についてくる者はいない。
ファングとエラは、そのままあの部屋に残るようだった。
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