三


 くわうさんは二、三十年昔に日本に渡つて來たらしい。

 廣州くわうしうで修行した料理の腕をたうさんと云ふ親方に見込まれて――否何いやなに、本人がさう話すのである――一緒いつしよ神戸かうべに來たのだと云ふ。しかながら、陶さんの支那料理屋はあたらず、其后そのあとは色々な仕事にいたのだと云ふ。

「ニポンジン、惡イ奴ヰルヨ。ワタシ、ズイプン、ダマサレタヨ」

 感情がたかぶると、んなふうに訴へる事もある。

 しかし又、反面良い事もいくらかはあつたらしい。

「アレハネ、二十八ノ時タツタヨ」

 今度はちんさんと云ふ親方と漢方藥をあつかふ商賣を始めたのださうだ。支那から安く買附かひつけた如何いかゞはしい藥を、田舎の成金等に賣捌うりさばくのである。此方こちらのはうは非常にはやつて、黃さんも多少はまうけたらしい。

「タケド、親方ズルイヨ。ワタシノ、何十倍、何百倍、儲ケタヨ」

 其頃そのころ、黃さんは日本人の嫁をもらつたのださうだが、運は永くはつゞかなかつた。嫁は娘を生むと數年すねんもせぬうちに死んでしまつたのである。何でも西班牙スペイン風邪だつたらしい。

 細君に先立たれたあと、怪しげな仕事の首尾も、それこそ怪しくなつてきたと云ふ。

 商賣しやうばい段〻だん〴〵左前ひだりまへになるや、親方が急に高津さんといふ日本人にかはつたらしいが、雇主やとひぬしの交替から幾日いくかもせぬうちに、雇人やとひにん給金わりまへも客の前勘定まへかんぢやうもすつかりつかんだまゝ借錢しやくせんだけはたんとのこして、さつさと雲隱くもがくれ極込きめこんだらしい。前の親方に相談しようにも、此方こちらとて行方も何も判つたものではない。

 女房も仕事も失つた黃さんは、小さな娘と二人きり。よし支那くにもどつた所で、最早もはやたよるべき親兄弟も親類緣者しんるいえんじやも無かつたと云ふ。

 鰥夫やもめの男手一つで幼子を育てつゝ、異國いこくの町を遠近をちこち轉〻てん〳〵――

 竝大抵なみたいてい苦勞くらうで無かつた事は察するにあまりある。

 さうやつて口をのりながら、例の震災后しんさいご此土地このとちに流れ着き、店を始めたと云ふわけである。




                         <續>








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