二



 それに――

 黃さんには一人、娘がある。

 十九だと云ふ。

 輕薄けいはくなる措辭そじにては、美人シヤンと云ふべきか。女優にも劣らぬとまでは、假令たとひ云はれぬにしても、十人竝じふにんなみ以上は充分にあらう。

 細身のからだに腰の締まつた支那服を何時も着てゐて、すらりと伸びた腕に丼を運んでゐる。

 あんちやん達はと云ふと、手と口とは丼の中味を相手にしながらも、視線の方はちら〳〵とさりなく娘にまとはり附かせてゐる。今し方、入口近くの飯臺はんだいすみに座つた、何所どこだかの専門學校の學生抔がくせいなどはもう五日も此店このみせに通ひ詰め、娘の顏や手足や――かく口にするのもはゞかられるやうな方面はうめんまで、熱に浮かされたやうな眼差まなざしをぺた〳〵と貼附はりつけてゐるのである。

 しかし、夫已上それいじやうの事は望まぬのが、まあ無難ぶなんであらう。

 何時いつだつたか、臨時の雇用やとひ川端通かはゞたどほりの工場に出向いて來た職工が、一寸ちよつと鄙猥ひわい言辞げんじろうしてからかつた事がある。娘は目を大きく見開いて眞つ赤になつた。

 さあ、くわうさんが怒るまい事か。大きな支那庖丁を鷲摑わしづかみにして、

「御前、パカヤロ! 何シテル! 何言ツタ! 何言ツタカ! 支那人思ツテ莫迦パカニスル、ヨロシナイ。ソツプニ、シテヤロカ! 食ハレタイカ! 勘定カンヂヤウラナイ。カヘレ! 歸レ!」

 男は這〻はふ〳〵ていで逃出したが、爾后じご再び黃さんの店の敷居をまたぐ事は、決してかなはなかつたと云ふ。

「支那人と云ふものは怖ろしいものだ」

 其后そのあとだつたか、前だつたか、老職工のじんさんが神妙なかほで話してゐたものだ。

「支那人は、猿でも人でも、何でも喰つちまふのだ。え? 何だつて? ――いや〳〵與太よたどころぢやあない。大昔、孔子樣の弟子の、シロだかクロだかつてへ人も、何でも『チヽビシオ』なんてものにされて、喰はれちまつたと云ふのだから……」

 甚さんばかりでなく、口さがない聯中れんぢゆうの中には、かげんなうはさをする者迄ものまである。

「コーさんとこの喰ひもんには何が這入はひつてるか判つたもんぢやないぜ。なあ?」

「さう〳〵、鴉の足だの、猫の腦味噌だのでソツプを取るらしいぢやないか」

「なあに、其んなもんぢやあないつて事だあね……」

「え? 何がだい?」

此所こゝだけの話だが、何年か前に死んだと云ふ女房も、ずつとソツプの中でだしになつてるつて話だぜ」

「あゝ、やつぱり……」

「人の肉喰べたら病膏肓やみつきだつて云ふからね」

「だから、あんな不味まづいつて云ふのに客が來るんだね……」




                         <續>








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る