廣東酒家

すらかき飄乎

    廣東くわんとん酒家しゆか



      一


 能〻よく〳〵見ずとも、店はたしかにかしいでゐる。

 大震災につぶされもせず、燒かれもしなかつた家だと云ふから、中〻なか〳〵に見上げたしぶとさだが、それでもんなにつてしまつては到底たうてい住めぬと、當時たうじの家主がまさ取壞とりこはさうとする所につて來て、二束三文にそくさんもん買叩かひたゝいたらしい。

 さうして置いて、人も雇はず自分丈じぶんだけで大工仕事に執掛とりかゝり、うにうにか修繕しうぜんしたのださうな。震災を耐へた家に輪を掛けて、此仁このじんすこぶる見上げたしぶとさではないか。

 さうやつて、何とか當座たうざに合はせて、今の商賣しやうばいを始めたと云ふが、其時そのときに柱や戸口とぐち格子かうしに自ら施したとおぼしき辨柄色べんがらいろは、かつぬりつたないのと、且は陽射ひざしや雨風にさらされたのとで、何とも痛ましい樣相やうさうを呈してゐる。

 ぺん〳〵草が生えた屋根に鎭座ちんざまします粗末な看板もまた、自ら揮毫きがう据附すゑつけたに相違さうゐない。「廣東酒家くわんとんしゆか」なる力强くもつたな墨痕ぼくこんが、まるにらみをかせてゐるやう。

 たゞたれ此店このみせを「廣東酒家」などゝ大層たいそうな名前で呼んではれない。客と云つても八割方は葉服ぱふくばかりであるが、渠等かれら此所ここを「コーさんとこ」とぞんざいに呼慣よびならはしてましてゐる。

くわうさんとこ」

 さう口にする時の渠等かれら表情へうじやうからは、何時でもかすかな侮蔑ぶべつの色がうかゞはれる。その含意ヌウアンスは、本場仕込ほんばじこみだと平生いつも威張ゐばつてゐる黃さんの腕前うでまへたいする、けだ正當せいたう評價ひやうかであるのかも知れない。しかるに、晝時ひるどきともなると、大抵おほかた二人や三人の若い葉服ぱふくれん此店このみせ飯臺はんだいひじを突きながら、丼を掻回かきまはしてゐるのである。

 まあ、たしかに此處こゝは、他の店に比べると、隨分ずいぶんやすいは廉いに違ひない。渠等かれらあんちやん達は、何時もきびしいふところの具合に呻吟しんぎんしてゐて、

「本場の支那料理しなれうりが聞いてあきれらあ!」などかげでは文句をならながらも、週の內、二日か三日は、くわうさんの店でますのである。




                         <續>







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