賽を投げる

現在役者予定なのが

夏希、桃、碧里、京香、舞波の5人と

助っ人として私と杏。

残り集めるべき役者の人数は2人。

数分、スマホの画面と

睨めっこをしてすぐに伏せる。

望みのありそうな人たちに

連絡をしたものの

返事のない人が数名いた。

無駄に待っていたって仕方ない。

そんな時間があるのなら

別のことに使っている方が意義がある。

そそくさと机に向かった。


休日でも部活をしているところがあるらしく

土日でも学校が

開校されているのには助かった。

が、お盆になれば

その門は開かれることもない。

図書館も休みになるところがしばしばある。

なので勉強はできるだけ早め早めに

詰めておきたかった。

帰省などもあるわけではないのに。


日差しが傾く頃、

荷物をまとめて教室を出る。

靴箱に着く手前、

特別教室へと無意識のうちに視線が動く。

今日は誰かいるのか

夏の光に紛れるようにして

電灯がついている。

もしかしたら、とふと思う。

しかし、1人のための教室ではない。

他の学年、クラスの

生徒であることは十分にあり得る。

ただ、古夏ではないと

言い切れないことも確かだった。


らしくもなく足を止め、

その教室の扉に手をかける。

斜陽が当たっていないのにも関わらず

確と生暖かい感覚が染む。

夏はどこまでも浸食するらしい。

僅かに指先に

力を加えて開く。


手前の空間には

偶然なのか私が立ち寄る時は

毎度人がいなかった。

今回もそのようで、

空席のままの教員用の机と

生徒用のそれがいくつかきちんと並んでいる。

人が生活している痕跡はあるのに

伽藍堂に見える。


その時だった。

が、と奥の方から

椅子を引く音がした。

体の方向を変える。

上靴がきゅ、と鳴った。


蒼「誰かいますか。」


これまでこうしていただろうか、

声を上げて奥の方へと進んだ。

すると、日差しを避けるように

カーテンが半分閉じられ、

その日陰に隠れるようにして

古夏が1人座っていた。

ふと机を見ると

広げられているのは

入学時高校で配布された問題集。

再度彼女の顔を見ると、目が合った。

驚いたのか肩が少し上がっている。


蒼「いつもここで勉強しているのかしら。」


古夏「…。」


古夏は1度頷いたが

すぐに首を傾げた。

それから使っていたノートのうち

最後のページを開き、

何かを書いている。

少しかかるようで、

彼女の隣の席に腰掛けた。

数秒して視界の隅に

そっとノートが差し出された。

『毎日じゃないけど登校した時はここにいます』

と相変わらず整った字で

話してくれた。


蒼「そう。」


古夏「…。」


そっとノートを自分の元へと戻す。

そして勉強に戻るでもなく

気まずそうに手を膝の上に

置いたままじっとしているのを見て

不思議に思う。

古夏はまた何かを書き始めた。


書き終える頃、

ようやくはっとした。

話すことも何もないのに

ここに座り続けている意味がないのだ。


気づいてる。

最近、何かおかしい。

自分の中で軸が揺らいでいるのだ。

夏のせいかろ

いいや、そんな曖昧なこと…。

しかし事実、陽炎のようにゆらゆらとして

その本体が妙にぼやける。

最近正しい思考回路が

できていないからだろう。

商店街で立ち止まったり、

演劇部のお願いを聞いたり。

役者の件も

杏に釘を刺されてしまった。


これまでの正しさが、

築き上げて信じ続けている正しさが

最も簡単に崩れそうな気配すらある。

そんなわけもなく

非現実的な妄想でしかないことは

重々に承知しているはずなのに。


古夏『何かお話でしょうか。』


蒼「いいえ、何も……」


そこまで口にしては言葉を詰まらせる。

すかさず顔を上げた。

古夏は躊躇うように瞳を揺らしていた。

その瞳に私はどのように映っていたろう。


酷く。

酷く人道的ではないことを

思いついてしまった。

考えればこれはきっと

するべきことではないとわかる。

彼女の傷を抉るも同然だ。


役者を探していた。

そして、目の前には役者経験者。


元より伸ばしていた背を

更に伸ばすように姿勢を正す。

それからゆっくり頭を下げた。


蒼「役者として舞台に参加してくれないかしら。」


古夏はどんな顔をしているのだろう。

ひゅ、と息を呑む音が

髪の隙間から聞こえてきた気がする。


蒼「この高校に演劇部があるのは知ってるわよね。そこの部員数が足りなくて、役者を探しているの。受験もあるだろうから大会までとは言わないわ。文化祭だけでもいい。」


古夏「…。」


蒼「お願いします。」


古夏「…。」


とんとん、と肩を叩かれる。

顔を上げると、

古夏は悲壮感を漂わせた顔をして、

けれどその後少し笑って

またノートへと顔を向ける。

頭を上げて、ということだったのだろうか。

そのまま待っていても

長いこと時間がたった。

そしてようやく彼女は

ノートを両手で手渡した。


古夏『まずお誘いいただきありがとうございます。とても嬉しいことですが、ご存じのとおり私は声を出すことはできません。役者として重要なセリフをひとつも言うことができません。足手纏いになるかと思います。演劇や映画が好きな方は他にもいらっしゃいますから、そちらをあたっていただいた方がいいのではないでしょうか。』


蒼「…もっともね。」


古夏「…。」


古夏は発声ができない。

無言のままの役はほぼない。

大抵の役は話すシーンがあり、

その中で抑揚をつけ、

会場を響かせ声を伝える。

その手段が取れない。


わかっている。

古夏を誘うことはしない方がよかった。

声を出すことのできないことを

突きつける上に、

昔いた芸能界の、演技の世界のことを

彷彿とさせるのだ。

何故彼女が舞台を降りたかも知らず

また舞台の上に戻れだなど、

無責任にも程がある。

どれだけ彼女を傷つければ

気が澄むのだ、と

藍崎さんに対して考えていたことが

今自分の首を絞めている。


けれど、彼女は舞台を降りた後も

アニメや映画など

何かと演技の関わるものと

触れてきていることは知っている。

嫌いになったわけじゃないのだ。

このノートにだってそう。


蒼「やりたくない、わけじゃないのよね。」


古夏「…?」


蒼「古夏としてはどうか聞かせてちょうだい。私や演劇部への心配は無しにして。」


古夏「…。」


ノートを突き返す。

古夏は困っているようだった。


蒼「演劇部はチームワークで成り立つもの。怪訝に思うのも無理ないわ。」


古夏「…。」


蒼「それに声のない役はほぼない。今回台本がまだ決まっていないから正確なことは言えないのだけど、全ての役にセリフはあるはずよ。」


自ら創作するのだから

台本の内容の変更は効くかもしれないが、

先に初校が上がってきてから吟味すべきだ。

書いている途中にそんなオーダーが入れば

行き詰まってしまい

そもそも台本が完成しない可能性がある。

去年から接してきた

2年の由佳子のことを見るに

プレッシャーに強い方ではなかった。


蒼「だから正直参加するとなっても、古夏はどのような役回りになるのか…そもそも役として参加できるのかすらわからない。役者として参加してなんて誘っていながら、こんなことも不正確でごめんなさい。」


古夏「…。」


蒼「でも案はあるはずよ。言葉数の少ない役にしてもらって、声は音響で流すとか。それも難しいのであれば、劇を見てアドバイスが欲しいわ。」


それこそ1番の屈辱であろうが、

今の私はそれを無視して、

全てに鈍感なふりをしているしかない。

そんな自分が愚かしい。

していることが藍崎さんと同じだ。


古夏はノートを眺め、

それからまた書き連ねて

私へと見せた。


古夏『私が心配しているのは声のことがひとつ、そして私自身が登壇することで演劇部の評判を下げてしまわないか、というのがもうひとつあります。』


蒼「…昔からの噂があるから、ということよね。」


古夏「…。」


彼女は静かに頷いた。

あの時、ゴールデンウィークあたりの時、

藍崎さんを止めなければ

この真相とやらも

わかっていたのだろうか。

それとも、結局出てくるものは

ネットで流れている噂と

全く同じだったろうか。

それを確認する術はなく

私自身それをする気もない。

確かに今の噂のあるまま

舞台に上がるなど、

多くの人の目には不誠実に映るだろう。

演劇部にも、何故登壇させたのか

誰が起用したのかなど

批判がくることは想定される。


彼女の過去については

演劇をやめたということよりも、

演劇を、役者をしていたことだけが重要だ。

それは今も変わらない。

私にとっても演劇部にとっても、

彼女が役者をしていたか、

それだけが重要だった。


彼女の演技は

見るに値するものだ。

叶うならもう1度。

期限が来る前にもう1度見たい。

そんな正しくない欲に傾き

言葉を吐く私は愚かだ。


蒼「わかったわ。心配なら演劇部のみんなに聞いてみる。それで皆して古夏の参加に対して賛成だった場合、来てくれるかしら。」


古夏「…。」


蒼「もう1度言うわね。」


古夏「…。」


蒼「私や演劇部への心配は無しにして、古夏はどうしたいか聞かせてちょうだい。」


古夏「…。」


か、かっ。

ペンが泳いだ。

僅かな時間のはずが、

これまでのどの文章の時よりも

長く、遙か永遠に続くかと思われた。

時間感覚の変容にようやく

自分が微々ながら

緊張しているらしいことに気づく。


ペンが止まる。

ノートが差し出された。


古夏『舞台の景色を忘れることができません。』


そうひと言だけ書いてあった。

なんとも遠回りな、と思う。

演劇が好きです、でも

役者をやりたいです、でもない。

忘れることができない。

それほどに恋焦がれている。

表ではほぼ永久的に

舞台にもドラマにも

出演することは難しくなった。

機会がなくなったに等しい。

それでもどこかで望んでいたのだ。

初めて本音を聞いたような気がした。

なら私がやることはひとつ。


蒼「わかった。連絡してみるわ。無理だと言われても話し合う。」


古夏「…。」


蒼「また週明け、決まったら連絡するわ。」


古夏はそこまでしなくても、と言うように

困ったように笑った。

ぱー、と遠くから

トランペットの音が響いていた。

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