傾き

演劇部からの申し出から翌日。

元演劇部である3年生に

連絡を入れたはいいものの、

受験勉強へと本腰を入れる夏が故

どうしても参加できないという

旨の返答しかなく、

また何人かはそもそも

既読にすらならなかった。


他に当てがあると言えば

中学時代の演劇部員…

これもほとんどが受験生なので

望み薄となってしまう。

それならばあとは他校に行ってしまった

後輩たちに連絡を入れる他ない。

まず初めに思い浮かぶのは

同じマンションに住んでおり、

高校入学後も何かと縁のある

忽那杏だった。


前日のうちにスマホで

連絡を入れたはいいものの、

今日の昼間まで

連絡が返ってくることはなく、

返事が来たかと思えば

寝てました、と。

そして、詳しく聞きたいとのこと。

相変わらず学校にいたものだから

すぐに、というのは叶わず、

杏には夕方向かうと

冷たいスマホを叩いて送る。


じめじめとした熱気の中

熱中症対策をして岐路を辿る。

寂れた商店街には

今日も紙芝居はいない。


マンションに戻り、

自分の家に帰る前に

杏の家へと寄る。

インターホンを鳴らすと、

中からばたばたと

慌ただしい音を鳴らして

杏が顔を出した。

今は夏休みだからか

髪の長くなっている。

ウィッグを身につけているらしい。

何か試していたのか

肩あたりに短い髪の毛が

パラパラと散っており、

寝巻きを着崩したような格好をしている。


杏「あー、どもどもご足労いただきまして…。ってか久しぶりっすね。」


蒼「入ってもいいかしら?ここで話してもいいのだけど、時間がかかりそうな内容なのよ。」


杏「うちの家今荒れてるんで蒼が入ったら発狂もんだけど…いいすか。」


蒼「嫌ね。片付けには何分かかる?」


杏「終わりは見えないね。」


蒼「じゃあ私の家にしましょう。」


杏「あ、ちょ。5分…いや、10分後行きますんで。」


蒼「そう。待ってるわ。」


杏「りょーかいっす。」


髪がロングの杏は

調子良くにっと笑って

扉をそうっと閉めた。


自室に戻って15分経て

ようやく杏は現れた。

ウィッグはとっており

いつものばっさりとした

ショートカットになっている。

普段着なのかTシャツと短パンという

ラフな服を身につけていた。


蒼「遅かったわね。」


杏「ちょーっと散らかったゴミだけまとめてたら思ったたよりかかっちゃって。」


蒼「何をしていたのよ。」


杏「ウィッグのカットっすよ。あれ死ぬほど難しくて。っぱ美容師って偉大。」


蒼「ああ、それでさっきの格好だったのね。」


杏「そーそー。急にくるからびっくりした。」


杏はふー、と長く息をつき

近くにあったソファへと

全体重をかけるようにしてもたれかかった。


蒼「ちょっと。」


杏「まあまあカッカせず。勉強もあるだろうしぱぱっと話しちゃしましょ。あ、お茶とか大丈夫っす。すぐ出たほうがいいと思うし。」


蒼「そうね。」


杏「そこは否定してくださいよー。」


にへら、と笑う杏。

ソファは独り占めされていなかったけれど、

隣に座るのは落ち着かないので

食卓の椅子の向きを変えて座った。


杏「それで…ざっくりと演劇関連のこととは聞いてたけど、どんな感じ?」


蒼「ええ。単刀直入にいえば、役者として手伝って欲しいのよ。」


杏「役者?蒼の学校の?」


蒼「そう。」


杏「大会っすか?」


蒼「いいえ、他校の学生にはなるから大会は難しいはずよ。だから文化祭ね。」


杏「おー、まじすか。」


蒼「ええ。あなた今暇でしょう。」


杏「失礼な。のんびりするのに大変っす。」


蒼「だらけているだけじゃない。」


杏「違うんだよちーがーう。のんびりするのって忙しいの。」


蒼「理解できないわ。」


杏「もー。確かにごりごり勉強してるーだとか、バイト漬けーとかではないけども。」


蒼「時間に余裕はあるのね?」


杏「蒼よりはある。」


蒼「あるわね。なら手伝ってくれるとありがたいのだけれど。」


杏「自分は別にいいんすけど」


杏はソファに沈むような体制から

ちきんと腰を背もたれに

つけるよう座り直した。

近くにあるクッションが傾く。


杏「それ、自分らの学校で埋められるならそっちの方が良くない?だって大会は出るんでしょ?ならうちが請け負った分穴が開く。」


蒼「ええ、その話は出たわ。だから1日目は大会メンバーで、2日目を杏、それから他の外部メンバーでという形にするのはどうかと意見が出てる。」


杏「他の外部メンバー?待って待って、何人足りないの。」


蒼「数で言えば3人。ただ、台本によっては1人数役すればいけるはずよ。」


杏「さらに待って。台本もらってない感じ?まだ蒼には知らされてない?」


蒼「いいえ、決まってないわね。」


杏「おっとぉ…文化祭の日程は?」


蒼「9月の頭。大会は10月ね。」


杏「きっつ。」


杏は間をためてためてそう吐いた。

杏も中学時代同じ演劇部だったため

どんな感じで進行するのか

ある程度予想がつくのだろう。

私も杏と同意見、

厳しいのひと言に尽きる。

けれど、今主権を握っている

現在の演劇部メンバーが

やると言っているのだ。

いくら先輩とはいえ、

引退している以上

私の意見は反映させすぎるべきではない。


杏「よく相談に乗ってそれ受理したね。」


蒼「仕方ないでしょう。」


杏「そう?非合理的だ、とか言って絶対関わらなさそうなのに。受験の年だしなおさら。」


ついに蒼にも心変わりが、と

訳のわからないことを言いながら

ローテーブルの上にある

ティッシュを手に取り鼻を噛んでいた。

からからな喉で言葉を発する。


杏「まあさっきも言ったけどうちはいいっすよ。舞台に立てるの好きだし。」


蒼「中学の時は舞台の上は苦手って言ってなかったかしら。」


杏「人間心変わりくらいありますでしょ。」


蒼「変わりすぎよ。あなたは前からころころころころとあれしたりこれしたり。一貫性が無さすぎるわ。」


杏「あはは、ちくちくしないでー。耳がいたーい。」


蒼「それならちゃんと」


杏「はいはーい、考えときまーす。」


耳を塞ぎながらそういうとその場を立ち、

「じゃあ要件は以上っすね」と

逃げるようにして玄関に向かった。

その背を追うと、

杏が靴を履いては「あ」と声を漏らした。


杏「後で先輩の部活のグループ招待しといて欲しいな。あ、いきなりグループはまずいか。話通してからだよね。」


蒼「そうね。もしかしたら後輩たちも他の人に声かけているかもしれないし。」


杏「おけおけ。あと台本のことを考えてやっぱりうちじゃなくて学内でするってんならそれで全然いいから。」


蒼「さっきは舞台に立てるのは嬉しいと」


杏「いやいや、嬉しいは嬉しいよ。けど、うちにとっての最善じゃなく、部活としての最善をとってほしい。そうしたいのは蒼だって山々でしょ。」


蒼「それはそうね。」


杏「あと、もう決めたことなら仕方ないけど…。」


蒼「何かしら。」


杏「やっぱりうち、学内で役者探した方がいい気がするんだよね。後からくる負担を考えればさ、そっちの方がいい気がする。」


彼女にしては珍しく

意見の合うことを言ってくれる。

もっともだ。

それが正しい。


蒼「けれど、見つからないのよ。3年生は受験、他演技に興味ある人は皆部活に集まってる。」


杏「まあ演技とか以前にそもそも人前苦手って人多いしね。」


蒼「大会のこともあるから経験者に絞って声をかけているのよ。」


杏「あー…そりゃ厳しいよ。妥協点を探さないと。」


蒼「いい案でもあるのかしら。」


杏「それはー…いつか考える。いつかね。」


蒼「ないじゃない。」


杏「今はないの。わからずやー。」


蒼「結構。話は戻すけれど、なら残りの2人は学内で探す方向にしましょう。」


杏「初心者ありの方がいいんじゃなーい?まあ2ヶ月ありゃ…うーん。」


蒼「素質のある人であれば、の条件が必要ね。」


杏「そんなん一目じゃわかんないけども。」


蒼「ええ。だから不安定な要素を出来る限り排除するために経験者のみに絞っているのよ。」


杏「まあなー、わかるけど。」


蒼「さっきからはっきりしないわね。」


杏「これをクリアしたらこっちが不安になる、みたいなことになってんなーって。」


まるで。

ああ、またシーソーが浮かび上がる。

どうしてこんな

天秤のような話ばかり出てくるのだろう。


蒼「そうね。学内で探すのは賛成よ。明日以降はできるだけそっちに絞って声をかけてみるわ。」


杏「夏休みなのにできそう?」


蒼「現実的ではないけれど、知り合いくらいには連絡するしかないわね。」


杏「お先だいぶ真っ暗じゃん。」


蒼「あなたも当事者になるのよ。」


杏「うっわ、そうだった。」


苦い顔をした後、

「手伝えることがあったらいつでも言って」と

ひと言残して私の家から去っていった。

ふと床に敷いてあるラグを見る。

短い髪の毛が1本落ちていた。

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