猫の手

紙芝居を見た日から

1週間近く経たが、

これといって変わらない日々が続く。

あの日以来、商店街で

あの人の影を見ることすらなかった。


夏休みはすでに

10日弱過ぎ去っていて、

時間は無情だが私たちと等しく

淡々と流れていった。

高校3年生にもなると宿題という宿題は

前年までと比べて

随分と少なくなり、

その代わり受験勉強をしろと

厳しく釘を刺される。

僅かな宿題もとうに終わらせ、

毎日学校に通っては

勉強へと時間を注ぐ。

今日も例に漏れず

そう過ごしている時だった。


鞄の中に入れていたスマホが

振動音を鳴らした。

短い間だったので

電話ではないらしい。


蒼「…?」


珍しい、と思う。

が、勉強のキリが悪い。

あと5分すれば

ちょうど1時間半の区切り、

そして内容的にもちょうどやめやすいので

その時に見ることにした。


時間になり、ペンを置いてスマホを見る。

見てみれば懐かしいことに

演劇部員から連絡が入っていた。

部長交代は文化祭後、

そして3年生は春休みの舞台を最後に

実質的に引退となる。

私は新入生の入部前後時に力添えをと

後輩から言われており、

顔を出していたので

他の3年生よりは多少長くはいた。

それでも夏を手前にほぼ

部室にすら行っていない。


連絡は現在部長である

鹿田夏希からだった。


夏希『お久しぶりです。急にすみません。どうしても相談したいことがあり連絡しました。役者や台本のことで行き詰まっていて…ご意見をお聞きしたいです。今度もしお時間があれば演劇部に来ていただけないでしょうか。』


その文章の後には

固い文章とは反対に

可愛らしい熊が

ぺこり、とお辞儀している

スタンプが送られている。

よくよく見てみれば

熊は汗をかいている様子。

謝っているようだった。


蒼「…。」


すぐに返事をしようとしたが

僅かな間手が止まる。

もしこのまま演劇部に向かうと

まず勉強する時間が減る。

今日立てた予定は

悉く崩れることは確定する。

加えて、例えばとして

もし現在の部内の問題についての

相談なのであれば、

今や外部者である私が介入しても

良い方向にまとまるのだろうか。

この相談がどんなものなのか

具体的に聞く必要がある。

もし長引きそうな問題なら

その時はどうするのか。


不意に例の紙芝居が思い出される。

方や自分の時間を演劇部に使い

勉強する時間は減る。

方や自分の時間を自分に使い

順当な利益を得る。


蒼「幸せの絶対量…ね。」


けれど、もしこのまま

演劇部のことを放置していれば、

後輩の彼女達が

不幸な結末を迎える可能性だってある。

それはあまりに突飛な発想で

現実的ではない空想だろう。

そうだ。

今ある目の前のことだけを

判断材料にするべきだ。


蒼「…。」


これまでの繋がりも含め、

無視することはできない。

部活は火曜、木曜、金曜だったはず、

夏休みもその日程で活動しているのなら

今日彼女達は学校にいるはず。

そう思い、相談にはのることと、

現在学校にいることを伝えると

即刻既読がつき、

演劇部で待っているとの連絡が入った。


自らする、と言ったのだ。

相談内容にもよるが、

ある程度は責任を持って対応せねば。

開いていた参考書やノート、

端に置いていた過去問を

鞄に詰め込む。

肩に重力がかかる。

鞄を掛け直し、演劇部へと向かった。


部室棟には近年だったか、

空調が各教室に取り付けられたらしい。

これだけの猛暑ともなれば

当たり前だろう。

特に室内で長く過ごす文化部にとっては

必要不可欠な物だ。

部室棟は午前から誰かがいたのだろう、

廊下もひんやりとした空気が充満していた。


演劇部の部室の扉に手をかける。

扉を開くと、そこにいた人たちが

ぱっと顔を上げるのが見えた。


「なにやつ!…っとおお、蒼先輩じゃないですか!失敬失敬。」


ぱっつんの前髪に

細いツインテールをした

1年生の手嶌桃だった。

1年生だが、中高一貫校の関係で

この演劇部での所属は最も長く、

実質私の先輩でもある。

桃は「こちらへこちらへ」と

部室内へと手を引いた。


部室内には4人。

随分と少ないな、と思う。

部長であるポニーテールをした、

きりっとした目つきの夏希は

勢いよく立って頭を下げた。


夏希「先輩!すみません、夏休みなのに急にお呼びしてしまって…。」


蒼「ちょうど学校にいたから平気よ。今日に連絡をくれてよかったわ。」


夏希と桃、

そしてあまり関わってはいなかった

1年生の2人がいた。

ふわふわとした印象のある

おっとりとした目をした崎野碧里と、

対照的に眉間に皺を寄せている

ショートカットをした乃村京香は

並んで座っている。

4人で円になるように座っていたようで

その輪の中に混ぜてもらうようにして

鞄を置き、腰を下ろした。


蒼「早速だけれど、要件はなにかしら。」


夏希「その、ものすごく言いづらいんですが…。」


蒼「端的にお願い。」


桃「おっと蒼先輩。それ、圧ですよ圧。」


「そんなつもりはないわよ」も返すも

桃はふんふんと鼻を鳴らした。

相変わらず無表情な上で

突飛な言動をするのだから読めない人だ。

正面に座る夏希は言葉を選んでいるのか

言い出すことを渋っているようで、

なかなか話出さなかった。

ひと言口を挟もうかと思った瞬間、

隣にいた桃が「あー」と声を上げた。


桃「先輩、秋の大会に役者として出てくれませんか。」


夏希「ちょっと!」


桃「ため過ぎですよ。頭の中のドラムロールが永遠になるかと思いました。」


蒼「どういうことかしら。」


桃「ドラムロールってあるじゃないですか。」


蒼「そっちじゃないわ。わかっているでしょう。」


桃「手厳しーっ。」


桃は両手を上げながらきーっ、と言う。

その後平然と落ち着いた声で言い払った。


桃「見てお分かりの通り、部員が足りないんです。ならその人数の台本にすればいいんじゃないのか、ですよね。」


蒼「ええ。地区大会は10月でしょう?」


桃「はい。台本を変えるならここが最後のチャンスだと思います。が、台本でも少々今行き詰まってまして。」


蒼「どういう状況なのかしら。」


桃「まず、今年は自分たちで台本を作成して舞台に挑もう、という話になったんです。台本は由佳子先輩が書くという方向で決まりました。」


戸梶由佳子は2年生で、

確か文学部を兼部していたはずだ。

演劇部では役者の立ち位置になることは

ほぼなかったが、

裏方として小道具や衣装、

台本選びなどで

部を支えていた印象がある。


桃「ですが同時期、まあいろいろとありまして、再々お伝えしますが見ての通り部員がいなくなりました。」


蒼「今日休んでいるだけではなくて退部したということ?」


桃「退部した人もいるみたいですが、ほとんどは退部届も出さず幽霊部員状態です。先生もほぼほぼ放任状態ですから、現状を知らないかと思います。」


京香「この前話に行ったがなあなあな反応しか返ってこなかったしな。2度と」


桃「まあまあ。言いたいことはわかるけども。…というわけで、台本は元の予定の9人のまま、しかし現在動ける部員は私とたまたま今日来ていない人を含め6人。」


蒼「残り2人は誰なのかしら。」


桃「片方はさっきも話題にあげましたが戸梶由佳子先輩です。舞台には上がりたがらないと思いますが、最悪頼み込むしかないかと。もう1人は舞ちゃん…宮崎舞波ちゃんです。覚えてますよね、私と同じ中学からの1年生の子。」


よりにもよって、と

束の間思ってしまう。

「そうなのね」と

短く返事をした。


桃「台本は現在も完成しきっていないようで、断片しかない状態です。」


蒼「なら尚更早めに対処できたんじゃない。」


夏希「わかっていました。台本を変える話も何度も上がっていたんですけど、由佳子がやりたいと言ってくれたので任せたかったんです。」


桃「初期、台本作成案が出た時みんな賛成していたのもあり、私もできればそちらの方向で進めたい気持ちがありました。」


蒼「それは今いる1年生も?」


碧里「はいー。この世にいる他の誰にもできない台本なんですよー。面白そうじゃないですか?」


桃「ただし、もし台本が間に合わなかった場合のことも考え、予備のものも用意することになりました。その締め切りは来週まで。その台本も同様9人のわけですが。」


蒼「あくまで代替品ってことね。」


桃「ですです。今現在、間に合わない可能性があろうことか出てきておりまして。急遽予備の台本を進行している状況です。」


蒼「そう。台本がないと役については話し合いづらいわ。1人2役やれば片付く話なこともあるでしょう。まずは台本について、今現在のみんなの意見としてはどうしたいのかしら。」


夏希「私は今でも由佳子の作成した台本でやりたいです。」


夏希はこれまで申し訳なさそうに

おろおろと視線を泳がせていたが、

真っ直ぐと射るような目で

私の方へと声を飛ばす。

碧里も同様の意見、

京香と桃も同様だが

懸念が大きいようであれば

早めに舵を切るべきだと話す。


蒼「私としても早めに決断すべきだとと思うけれど、現部長は夏希よ。あなたが待つというのであればそれが答えじゃないかしら。」


京香「そうっすよ。1週間分、差はできるけどその分詰めることはできるっす。」


碧里「部長1人の問題じゃないんで大丈夫ですよー。」


夏希「…ありがとう。」


部活をしていた当時、

夏希はよく同学年の部員を

まとめてくれていた記憶がある。

頼りになる人だとは思っているが、

今を見るに責任感が強すぎるのだろう。

声細々と絞り出すように

感謝の言葉を言っていた。


蒼「そして役者の件ね。どうして部員が減ったのかしら。」


桃「それなんですけど、長くなっちゃうんですよね。簡単に、ちょー簡単に縮めちゃうと、温度感の違いです。そこで役者やってた先輩達がどっと抜けちゃって。」


蒼「それで秋の大会に役者として…と。」


桃「はい。京香ちゃんも碧里ちゃんもたまーに役者はしますがたまーにです。メインは裏方。」


夏希「役者希望は私と桃、舞の3人です。とても厳しくて…。」


桃「私も入っとるんかーい。」


夏希「桃は役者だよ。向いてるもの。」


桃「へいへいへーい、役者も好きだからたくさんしますよー。元々そこの1年2人は裏方の予定だったんですけど、こんな状況になったもんで、役者やるって言ってくれました。感謝の極み。」


夏希「京香と碧里、そして先輩にも参加していただけるとなったとしても、数は足りないのですが…それでも、3人よりかは舞台を回せる可能性は高いです。どうか、お願いします。」


夏希は座ったまま

土下座をするように頭を下げた。

台本は変える気はない。

台本の内容としても

役者人数を変えるなどの

融通はきかないのは流石に確認済みに違いない。

ともなれば台本の完成を待ち、

それに必要な役者を集めるのみ。

夏希含め演劇部としての決断は

現状では最適解だったのだろう。

ゆっくりと瞬きをする。


ある程度は責任を持つ。

自分から踏み込んだのだ。

どうせ受験は。

…。


蒼「わかったわ。」


夏希「…え……!?いいんですか…?」


蒼「ええ、参加するわ。」


夏希「あ、ありがとうございますっ!」


蒼「残りの3人分は自分達で埋められる?それとも他の人を連れてきた方がいいのかしら。」


碧里「お話邪魔してすみませんー。その、3年生…ってお忙しいんじゃー。」


蒼「心配は無用よ。それより自分たちの心配をしなさい。」


碧里「ひゃいー。」


碧里は緊張感なく、

しかし首根っこを掴まれ宙に浮かされた

うさぎのような声を出した。

実際、志望校なんてものはないのだが

自分のラインは把握している。

模試でいつも記入する大学は

大抵A、時折B判定だった。

夏前の努力を継続すれば

酷く落ちぶれることはない。


桃「埋められるかどうかは、予備の台本は最低でもあと1人は欲しいですね。由佳子先輩の方はまだわからないですが…。」


蒼「なら2人、可能なら3人には声をかけた方がいいわね。あてはある?」


夏希「他の3年の先輩くらいですね…同じ学校内で、となると演技経験者はだいたいここに集まっている印象ですし。」


蒼「そうね、経験者の方がいいわね。3年は確か皆進学のはずだから難しいと思うけれど、念の為連絡を入れてみるわ。」


夏希「ありがとうございます。」


桃「身の回りでいますかね、経験者。」


桃以外の1年生2人は

首を横に振っていた。

夏希も首を傾げている。

経験者、と言われると

浮かぶ顔はいくつかあった。


蒼「他校の学生は可能かしら。」


夏希「大会では駄目だと思います。が、文化祭は大丈夫なはずです。後で確認してみます。」


桃「あてがあるんです?」


蒼「ええ。けれど、大会までにはまた代役を立てる必要がある。二度手間ではあるわよ。」


夏希「そうですよね…。」


桃「でも越えるべき壁ってまず文化祭でしょ。9月の上旬ですよ。」


京香「文化祭って2日間でしたっけ。」


夏希「そう。」


碧里「なら1日目は大会用メンバー、2日目はスペシャルメンバー、みたいなのでどうでしょうー?」


蒼「現実的に可能なのかしら。」


碧里「うーん、でも今の感じ、県大会や全国大会を目指せる感じではないですよねー。」


そのひと言が空気をさす。

誰もがわかっていたけれど

誰も口にしなかった。

去年は県大会まで進出して

そこまでとなった。

だから来年こそは全国へ。

そう言った矢先のこれだ。


夏希は下唇を噛んだ。

きっと全国を目指していたのだろう。


夏希「…そうだね。今回はそもそも出場できるかどうかでもある。だから、自作の台本でできるところまで完成度を上げる…それが目標になるかも。」


桃「今の目標はそれですね。今後どうなるかはわかりませんよ。もしかしたら県大会は目指そうってなるかもしれないですし。」


蒼「最終的にどこを目指すかもあなた達次第よ。そこは意見しないようできるだけ意識しておくわ。都度話し合うように。」


夏希「はい、わかりました。」


蒼「文化祭は…碧里の案を採用するかは台本が決まって、役者を決める時に話し合いましょう。皆は来週の台本の期日までに、念の為予備の台本を読み込んでおくこと。私は誰かに手伝ってもらえないか声をかけるわ。」


夏希「ありがとうございます。迷惑をかけてしまってすみません。」


蒼「迷惑だなんてひと言も言っていないわ。」


むしろ、部員が次々と辞めていく中で

よく逃げ出さなかった。

この惨状ともなれば、

考えれば逃げた方がメリットは大きいだろう。

が、正しいとは言えない。


夏希は部長としてそこから

席を外さなかった。

台本に感じでは感情の面での意見が目立つが、

立ち振る舞いとしては正しいように見える。


蒼「まずは文化祭を目指して頑張りましょう。」


「はい」と

数人の声がまとまるのがわかった。

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