天秤

夏休みが始まって以降、

朝起き、学校でみっちり勉強し、

そして帰宅する日々を続けていた。

この夏は今のルーティンを

繰り返していれば

自然と終わっていくのだろう。

確信めいた何かがあった。


学校を出る直前、

意味もなく特別教室の方を眺む。

あの日古夏と出会ったのは

本当にたまたまだったらしい。

受験勉強のために

来ていたとは言っていたけれど、

それも毎日ではないのだろう。

ほぼ誰もいない学校は

地区の図書館よりも

近い上に席は必ず確保できる。

素晴らしい場所なのだし

毎日過ごすべきだと思うのだけれど、

他の人は案外そうとは思っていないらしい。


勿体無い。

毎日続けていれば

ちゃんと結果はついてくるのに。

自分に対して厳しくあれば

その分さまざまな恩恵があるのに。

と、疑問と困惑を

言葉にしかけたのちに

ふと浮かんだのは、

他人の人生なのだからどうでもよく

私に関与しないことであるということだった。


踵を返し校舎を後にする。

夕日が影を伸ばす。

一定の速度を保って帰路を辿る。


しばらく歩くと

例の商店街へと差し掛かる。

すると、今日も古めかしい自転車と

その持ち主らしい人が視界に入る。

昨日や一昨日は見なかったが、

今日は準備万端らしく

深呼吸をしているのが見えた。

荷台に乗った木枠には

今回は布が被せられている。

珍しく商店街には

人1人もおらずいつも以上に

人工的な音のない空間だった。


横目で見るも私には関係ないと

通り過ぎようとした時だった。


「お姉さん、お姉さん。」


随分としゃがれた声で

そう呼ばれた。前を見ても振り返っても

残念ながら私しかいない。


足を止めて声の主の方を見る。

おろしたてなのか

やけに真っ白なTシャツに

裾の汚れた長ズボンを身につけた

老人のようだった。

腕は細く今にも手折れそう。

白髪混じりの短髪と声が相まって

性別はどちらかわからない。


蒼「何でしょうか。」


「お姉さん、ちょいといいかね。」


蒼「ご用件は。」


「紙芝居、見て行かんかね。」


紙芝居?

そうおうむ返ししそうになり

思わず口を噤む。

今の時代、この寂れた商店街で

紙芝居をしようなんざ

時間の無駄にも程がある。

物好きなご老人だこと。


蒼「すみません。急いでいるので」


「そこをなんとか。年寄りの願いさ。」


蒼「けれど」


「頼むよ、頼むよ。」


蒼「はぁ…。」


「数分でいいんだ。」


帰って掃除をして洗濯を回して。

今日行った勉強の復習をして。

やることの順番を決め、

時間まで決めていたというのに

今それは音を立てて崩れ始めている。

許しがたい気持ちになりながらも

足を止めたままそのご老人に

言葉を投げかける。


蒼「見るメリットはありますか。」


「あ、あぁ。」


蒼「どんな。」


「最後まで見てくれたらわかるさ。」


蒼「答えになっていません。」


「物語ってのはそういうもんだろう、お姉さんは面白いと話題になっている小説しか読まないのかね。」


蒼「小説はあまり。実用書の方が情報のブレ幅が少ないのでそちらを読んでいます。」


「そうか。なら一層楽しめるな。」


蒼「…?よく小説を読む人の方が楽しめるのではなくて?」


「見たことない新鮮な景色だろう。ましてや紙芝居なんて!貴重な経験さ。どうだ、メリットだろう。」


ほれ、正面に立ってと

お年寄りは言う。

椅子も用意されていないなんて

まるで見せる気がないように思う。

老人が布を外す前に

文句ったらしく口を開く。


蒼「時間はどのくらいかかりますか。」


「ざっと数分…いや、10分だな。」


蒼「はっきりさせてください。」


「10分。10分ありゃあ十分さ。」


蒼「わかりました。」


「最近子供達が減って困ったもんだよ」と

余計な話を挟み始めた。

長くなる前に早く始めるよう

促さなければと思ったが、

案外その話は広がることなく、

私の視線に気づいたのか

こほん、と大きく咳払いをした。


「それではぁ!紙芝居の始まり始まりー!」


布をとり、木枠の中には

タイトルらしい言葉が

ポップな色、字体をして並んでいる。

「てんしとシーソー」と言うらしい。


「今から約1億年後…大きな戦いが起こり、人類が片手で数えられるほどしかいなくなってしまった頃。とあるところに天使が2人いました。シーソーに乗って遊んでいますが、全く面白くありません。」


現代SNSで流れてくるような

美麗なイラストというわけでもなく、

子供に向けた可愛らしい絵だった。

何故私を引き止めたのか

ますます謎は深まるばかり。


天使の輪を浮かべた人型が

2人シーソーに跨っており、

それは体重が同じなのか

均衡が保たれていた。


「片方が言いました。『ねえねえ、うんと力を入れてみてよ。そしたら何か起こるかも』『うん、わかったよ。いくよ、そーれ!』片方の天使の周りにはきらきらとした魔法の粒がひかり始め、ぐんとシーソーは傾き、もう片方の天使は空を飛ぶことができました。」


紙を捲ると、

天使が1人空で浮いている絵が出てくる。

『わあい、世界ってこんなに広いんだ』

『僕にも見せてよ』

『まだもうちょっとだけ!』と

1人なのに声を器用に使い分けて

あたかも2人で会話しているように

見せかけていた。


紙を捲る。

天使が1人空を見上げていた。


「『ああ、僕も空を飛びたいな』天使が呟くと、そこにてくてくと1人の男の子がやってきました。人間こと男の子です。『ねえ、どうしたの?』『空を飛びたいんだ。だけど1人じゃどうしようもできなくて』『僕が手伝うよ!』『本当かい?頼んだよ!』天使は大喜びでシーソーに乗ります。男の子が『行くよ!』と声をかけて乗ると…なんとびっくり!さっきよりもシーソーは大きく傾き、天使はさっきよりも高く飛び上がりました。」


空には2人の天使が浮かんでいる。

今度はそれを見上げる人間の男の子の絵。


「『いいな、僕も空を飛びたいな』」


きらきらとした目つきで老人は語る。

まるでもうやめてしまった

演劇の世界に戻ってきたようだった。

童心に帰った顔つきから一転、

だんだん表情が曇っていく。


「しかし、男の子は空を飛べませんでした。空まで飛ばしてくれる人が近くにいなかったからです。男の子は天使たちの飛ぶ空を同じようにみたくて仕方ありません。空を飛ぶために、他の人がいないか探し始めました。」


旅に出る少年の絵が映る。

1億年後という想定なだけあって

あたりは一面砂漠らしい。

細かいことに砂が風で舞っている様子も

描写されている。


「歩いて眠り、歩いて眠りを繰り返しているうちに、1人目の人間のいるところに着くことができました。しわしわのおばあさんとシーソーがあります。おばあちゃんは言いました。『あたしを空まで届けておくれ』。男の子は自分も空を飛んでみたかったのですが、おばあさんを空に飛ばすことにしました。」


それから歩いて他の人に出会っては

その人も空にと願い、

男の子はその度にお願いを聞く。

そしていつしか誰とも出会わなくなり

ひとりシーソーに座った。


「男の子は皆に幸せを分け与えた。するとどうだろう。自分の分の幸せがなくなってしまったのです。」


蒼「…。」


「ですから読者の皆さんも。」


手のひらを上に、

こちらへと向けられる。


蒼「幸せを分け与えるな、と。」


「いやいや、とんでもない。幸せの絶対量はあるというお話ですよ。」


この男の子のように、と

最後1人シーソーに乗るシーンを

指差して言った。


「もし男の子が旅をしなければ、おばあさんも他のみんなも不幸のまま。天使が魔法を使って1人先に空を飛んでいれば、自分は幸せだけれど他の人間と1人の天使は不幸になる。」


蒼「…。」


「例えば、だ。わたしがお姉さんにお花を渡したとしよう。1人聞いてくれたお礼だ!といいながら。渡された時は嬉しくとも、もしかしたら君はお花のお世話が面倒になるかもしれない。枯れ出すと処理も大変だ。するとどうだろう。初めはお金を払って花を買った方が不幸、花をもらった方が幸福なのに、いつしか花を渡せたわたしは幸福で、渡された方が不幸になる。」


蒼「ならば今はどうなんですか。」


「どうだろう?わたしは紙芝居を見てもらえて幸せさ。」


蒼「…時間を取られて不幸ですね。」


「はは、言ったとおりだな。」


紙芝居を片付けながら

上機嫌にご老人は笑う。


「ただしね、今一瞬ではわたしは幸福だったが、人生でみるとわたしが不幸な分、君は幸福かもしれないよ。」


蒼「それはありえません。」


「どうしてだい。」


蒼「私が人生をかけて不幸の道を歩き続けているからです。」


「そうか…なら、わたしは今こうして君と出会えたことで人生幸せだったと思うことにしようかね。」


幸せと思っとかなきゃ不幸な君に失礼だ、と

呑気に言いながら大切そうに

紙芝居のシーンを抱き抱えている。


蒼「最後に。どうして私に見せたんですか。」


「見たそうにしていたからだよ。」


蒼「そんなことはありません。適当なことを言うのはよしてください。理由を聞いているんです。」


「果たして本当に適当かな?紙芝居屋さんは存外、人を見る目があるんだよ。」


どれだけ話しても

話が通じないタイプらしい。

これ以上は時間の無駄だと

頭を下げてその場をさろうとした。

すると、老人は

慌てて背中に声をかけた。


「紙芝居は面白かったかな!」


きっと笑顔で言っているのだろう。

口角が上がっていそうな音がした。

答え合わせの如く、振り返る。


蒼「…!?」


面白くはなかった。

そう返事をしようとしたが、

振り返るとそこには

自転車もご老人もいないではないか。


蒼「…隠れ……。」


しかし、この短時間で

姿も自転車すらも隠せる場所などない。

もちろんだが天井に吊られてもいない。

地面に穴が空くくらいしか

方法はないだろうに、

当然の如くそれすら非現実的である。


蒼「…。」


もし、今見たものが夢だったのなら。

そう思い腕時計を確認する。

しかし、ちゃんと時間は経っていた。


蒼「……。」


なら一体今のは何なのか。

考えるだけ無駄だろうか。

そうだ。

時間の無駄だ。

落とし所を作ってやる。

そうすればほら、

必要なことにしか目が向かない。

それでいい。


言い聞かせるように何度も心の中で唱え

商店街から離れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る